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 さて『冲船屋』での聞き込みを追えた流介は次の取材場所を見つけあぐね、往来で一人ぼやいていた。 「うーん、幻の女郎だけでもっともらしい話を捻り出すのは困難だな。いっそのこと創作にして「推理小説」でも書いてみるか……」  海外で近頃評判の小説を自分が手掛けるという空想に浸りかけた流介は、途中まで考えていや待てよと我に返った。 「下手に推理小説などと銘打ってしまうと、読者が期待する「解決」を書かねばならなくなるな。その点「奇譚」であれば「その後のことはわからない」で済む。安易な逃げは禁物だ」  埒もないことを考えながらぶらりと通りを歩いていると、大きな風呂敷包みを手に血相を変えた中年の男がこけつまろびつやって来るのが見えた。 「どうしたんですか、鬼か天狗にでも追われたような顔をして」 「実は新聞記者を名乗る男が執拗に追いかけてきて……」 「新聞記者を?」  流介は仰天した。なぜなら流介もまた新聞記者であり、いくら事件に飢えていても街中で人を追いかけ回すなど正気の沙汰ではない。 「はい、その荷物の中味は人間の頭だろうなどと言いがかりをつけられまして」 「人間の頭ですって?」 「はい。私は剥製(はくせい)師で、学者さんなどの依頼で主に動物の剥製を手掛けております。今日は鳥の剥製を届けに行くところなのですが、そこへ新聞記者とかいう男が現れて…あっ」  剥製師がぎょっと目をみはった次の瞬間、「あっ、いたっ」という叫び声と共に路地から一人の和装の男性が姿を現した。 「その風呂敷の中を見せたまえっ」  男性の尋常ならざるまなざしを見た途端、流介は背中で剥製師を隠すように立ち「ここは僕に任せて、早くお逃げなさい」と言った。 「す、すみません」  剥製師は頭を下げると、風呂敷包みを両手で抱きかかえるようにして駆けだした。 「待てっ……そ、そこの君っ、邪魔だっ」  流介は荒い息を吐いて無理に突っ切ろうとする男性の手首を掴むと「あらぬ疑いをかけるのはよしたまえ」と諭した。 「な、何者だあんた」 「通りがかりの者だ。職業は記者だ」 「き、記者?」 「なんでも君も記者を名乗ったそうじゃないか。記者の仕事は記事を書くことであっておまわりの真似をすることじゃない」 「しかし、あの男は……」 「人間の頭を運んでいるというのだろう?なぜそんなことを考えたんだい」 「以前にも怪しい人物の元に剥製を運んでいるんだよ。『道理庵(どうりあん)』の主の元にね」 「道理庵?なんだいそれは」  男の言い訳を聞いた途端、流介の中で記者としての勘が動いた。これはこれで面白そうだ。 「同業者君、ちょっと話を聞かせてもらえないかな。通せんぼをしたお詫びに、とびきり旨い蕎麦をごちそうしようじゃないか」 「ほう、そいつはありがたい。実を言うと蕎麦には目が無いんで」  男はそう言うと、噛みつかんばかりに吊り上がっていた口許をだらしなく下げた。
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