16 裏の裏の裏

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16 裏の裏の裏

 キリエが覚悟の先にあることを考えていた頃、ルギは部下たちにエリス様ご一行の捜索についての話をしていた。 「では、ご一行は逃げたのではなく、逃げた振りをしていた、そういうことにする、ということですか?」 「そういうことだ」  本当はトーヤたちは宮の中にはいないのだが、宮の中にいると、ルギは部下たちにそう告げていた。 「あの、よく分からないのですが」  ルギの後を継いでシャンタル宮第一警護隊隊長になったゼトが、困ったように言う。 「エリス様ご一行はトーヤと申す月虹隊副隊長が、実はルークではないと正体がバレて、それで宮から逃げ出した、そういうことですよね?」 「ああ、だが、それがそもそも狂言なのだ」 「狂言、ですか……」    ゼトがちょっと困ったような顔になる。 「逃げた振りをしていたが、それはエリス様を狙う者の目をくらますために、宮から逃げたという情報を流したということだ」  ルギはキリエから言われた通りに部下たちにそう説明した。 「だから、今は宮の中にはおられない、そう思わせておいて、実は宮のある場所に身を隠されている」  シャンタル宮は広い。その気になれば、どこかの部屋に一行を隠すことなど造作もない。 「では、もうご一行の行方は探さずともよい、そういうことですか?」 「いや、捜索は続ける」  ルギがはっきりとそう言った。 「あくまでご一行は宮にはいない。そう思わせるためにも、封鎖が明けたらまずはカースへ行く」 「カースへですか」 「そうだ。リュセルスにいないとなると、後はトーヤが八年前に出入りしていたカースしか心当たりはない。そこを調べないわけにはいかない」 「なるほど、分かりました」    副隊長のボーナムが納得したという風で答える。 「ただし、こっそりとばれぬように探している。その(てい)でいきたい。そうすれば、エリス様を探している相手は混乱するだろう。どちらが本当なのだ、と」 「なるほど、なかなかに難しい任務ですな」  続けてまたボーナムがそう言う。 「おまえたちもご一行はどこにいるか知らぬ。そうしている方が真実味を持って相手に映ることだろう」 「と言いますが、我々は本当にご一行の行方を知らないわけですし」  ボーナムが少し隊長をからかうようにそう言って、やっと少し場が和んだ。 「確かにな」  ルギも話を合わせて少しだけ笑みを浮かべる。 「では、封鎖明けにと同時にカースへ捜索に入る。その準備をしておいてくれ」 「はい!」  衛士たちが声を合わせて答えた。 「隊長」  その中でゼトだけが違う声を上げた。 「なんだ」 「もしも、カースでトーヤを見つけたらどうすればいいでしょうか」  ゼトは今でもトーヤをなんとか捕まえたいと思っている。万が一を考えて、ルギの考えを聞いておきたいようだ。 「トーヤをもしも見つけたら、か」 「はい」 「考えるまでもない。ふん(じば)ってここへ連れてこい。遠慮することはない」 「分かりました」    ゼトは晴れやかな顔で隊長室を出ていった。  ルギは八年前のことを思い出す。  聖なる湖のすぐ近くにある、あの洞窟の出口付近でいきなり剣を構えることになった。トーヤは模擬刀しか持っていなかったが、それでもルギの命を狙ってきた。    ルギは思わず古傷を押さえる。  あの時、もうほんの一瞬、体を引くのが遅れていたら、今、自分はここにはいない。あの時の恐怖感。    普段はとぼけた風に、親しみやすいとすら思えるあの男の、あれがもう一つの顔なのだ。戦場では、ああいう人間しか生き残ってはいけないのだろう。  トーヤはそんな戦場で、「黒のシャンタル」を連れて生き残ってきた。  そして戻ってきた。    ルギは腕には覚えがある。当時のシャンタル、当代マユリアと出会ったあの日、その瞬間から永遠にマユリアに仕えるために、できる努力は全てやった。そのためなら惜しむということは一切やらなかった。  剣も、手の豆をつぶしながら、最初は模擬刀を受けて体中打ち身だらけになり、剣技を身につけてからは真剣で、あちこち切り傷を作りながら技術を磨きこんだ。  格闘技、戦闘術、馬術、槍術(そうじゅつ)弓術(きゅうじゅつ)水練(すいれん)はもちろん、体を動かすことだけではなく、学問から王宮での礼儀作法、ありとあらゆることを身につけてきた。  何もかも、マユリアに恥をかかせないため、マユリアをお守りするためだった。  ゆえに、あの日、トーヤに斬りつけられようがどうしようが、負けるなどと微塵(みじん)も思いもしなかったのだ。しかも相手はまともな武器も持っていない。気が済むまで剣を使わせ、模擬刀が折れたら力でねじ伏せ、引きずって宮へ連れて行こうと思っていた。  それが、紙一重(かみひとえ)で自分の方が命を取られるところだったと理解した瞬間、背筋が縮み、汗が流れた。  あれからあの男はさらに戦場でその腕を磨いてきたのだろう。  もう一度ここへ戻ってくるために、できることは全てやったのだろう。 「今やったらどっちが勝つだろうな」    部下たちがいなくなった部屋の中で、ルギはぽつりとそうつぶやいた。  いや、負けるわけにはいかない。もしも戦う状況になったとしても、自分は決して負けるわけにはいかないのだ。 「マユリアのお為に」  ルギはもう一言そうつぶやいた。  
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