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9 開けぬ扉
マユリアは神である。
キリエの中ではお生まれになってから今日まで、ずっと神であられた。
だからこそ、自分はただひたすら、迷いなく一筋に主にお仕えしてきた。
キリエは自分で望んでこの宮へ来たわけではない。ある大貴族と、その家に仕えていた侍女であった母との間に庶子として生まれ、ゆくゆくは家のためにどこかへ嫁ぐ、その日のためにと、5歳の時に行儀見習いとして宮へ入れられた。だが、実父の死によって、卑しい身分の母の子であるキリエは家には不用な者とされ、13歳という年齢で、誓いを立てて一生を宮の侍女として生きるようにと、宮へ捨てられる形となったのだ。
ただ一度だけ、八年前に「黒のシャンタル」を人に戻すために力を尽くしていたあの日々の中で、ミーヤにだけ語った自分の人生、自分の運命。ふと、それを思い起こしていて、自分はこれまでに自分で何かを選んだことがないのだと気がついた。
選ぶことなどできなかったその道を、ただこの道を行けと命じられる道を、必死に、まっすぐに歩き続けてきただけだった。
それはマユリアとて同じことであった。お生まれになってから二十八年の間、ずっと神として生きてきたマユリア、まさに神そのもの、その言葉に相応しいお方であったマユリア、そのマユリアが、ほんの一月後には人に戻られる。
マユリアが神ではなくなる。
そんな日が来るなど本当のことだとは思えなかった。
おかしなことを、とキリエは心の中で独り言ちた。
マユリアは自分よりもずっとずっとお若い。もしも、自分がミーヤやリル、アーダのように若かったなら、物心ついた頃から神であったマユリアをこそ、真の神であると思っても不思議はないかも知れない。
だが、自分はマユリアの倍以上の人生をたっぷりと生きてきている。
そのご誕生にも立ち会っている。
それを知っていてなお、そのお方がこの世が出来た頃よりずっとおられたお方のように思っているとは。
いくらお生まれになった時から光り輝くほどのお美しさであったからと言え、千年前の託宣を実行された方だとは言え、他の方にない2期目の任期をお過ごしだとは言え、なぜにここまで、あの方こそ本当の神だという想いにかられるのだろうか。
キリエはここまで来て、すぐそこにマユリアが人にお戻りの日が確かなものとなろうとしている今になって、神官長の気持ちが分かるような気がしてきた。
(そんな、それはあまりに危険なこと……)
頭ではそう思うものの、その気持ちが分かる、どうしてもそう思えてくる自分に愕然とする。
ラーラ様が人にお戻りの時はどうであっただろう。
確かに過ぎたその出来事を思い出し、その時と同じだと思おうとする。
あの時は……
(ただ淡々とやるべきことをやった)
そのことにまた驚く。
仮にも神であったお方が人に戻られる日のことだ、何か感慨があったとしても不思議ではない。
そうは思うのだが、どうしても今回のように特別な感情があったとは思えないのだ。
(いや、ラーラ様はご先代のことがあり、人に戻った後はそのままシャンタル付きの侍女となられる、そう仰っていた。だから自分はお戻りになったことに特別な感情を抱けなかったのだ)
そう自分に言い聞かせるが、では、その前は方々の時はどうだっただろうかと考えても、やはり特別なものがあったとは思えなかった。
キリエはいくつもの理由を、言い訳を考える。
自分は宮でほぼ60年を過ごしている。
その間にシャンタルの交代は何度あった?
幼い自分は初めてその日を迎えた時にどう思った?
年を経るに従い、その日を迎えるシャンタルとの距離は縮まっていったが、想いはどう変わった?
どう思いだしても、どの方の時にも今回のように特別な想いはなかった、そう結論を出すしかなかった。
それどころか、ラーラ様が人となった後、マユリアと「黒のシャンタル」にお仕えするのを当然とすら思った。いや、実の家族に「戻ることは無用」と言われたラーラ様が、侍女となって残るとおっしゃった時は、その事実をお伝えしなくて良いと知り、ホッとすらした。
ラーラ様がその座にあられた時には神と思い、大事な方とは思ったが、人に戻られた後には人になられる方、との認識しかなかったのだ。
では、どうして当代マユリアの時には、今回は、そのように思うのだろう。
キリエはもう一度落ち着いてその理由を考えた。
――あの方は本当の神だからだ――
その答えしかどうしても導き出せない。
キリエはどうして自分はこの場所、マユリアの応接へとつながる扉の前まで来て、こんな考えに囚われているのかと考え、自分を現実に引き戻そうとした。
後は扉の中に声をかけて名乗り、扉を開く許可をいただき、中に入ってお伝えするだけだ。
『報告がありました、数日のうちに次代様がご誕生になられます』
そうして、マユリアが人に戻られる準備をする。
八年前に一度はやった、その同じことをするだけだ。
だが、それをやりたくないがために、マユリアが人に戻られる日が近づいたことをお伝えしたくないがために、ここでこうして留まっているのだ。
キリエはその事実に気がついてしまった。
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