青春にさよなら

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 「推しが結婚したの」  二人だけの放課後の教室、日誌を書く俺の横で同じクラスの小牧朱莉(こまきあかり)がそう呟いた。  突然の話に思わず見ると、小牧は机の上で頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。顔は見えないが、声色で良いニュースではないことは分かった。 「ざ、残念だったな」  なるべく言葉を選んでそう言うと、小牧はふふっと肩を小さく揺らして笑った。 「ほんとにね、残念。好きだったのにな」 「いつからなんだ」 「んー、1年前。高二の四月かな」  随分細かく覚えてるんだなと言うと、小牧はまた小さく笑った。 「覚えてるよ、好きだったんだもん。そのとき話して、好きになったの」 「話せたのはすごいな。イベント的なやつか」 「まぁそう。笑顔で、これからもよろしくって言われた」  「それは良かったな」と返すと、小牧は少し間を空けて言った。 「でももう好きではいられないんだけどね」  今度はさっきよりも大きくははっと笑ったが、その声は頼りなく小さく消えた。  結婚しただけなら、これからも好きでいて良いんじゃないか。励ます思いでそう言おうと口を開くが、小牧にとってはそういう問題ではないのかもしれない。  思い直して口を噤むと同時に、小牧が「ねぇ、」と話し出した。 「私達、もうすぐ卒業だよね」  急に話が飛んで、「おぉ」と格好悪い声が出る。 「三年間同じクラスで嬉しかった」  突然聞こえたその言葉は、いつもよりずっと柔らかく聞こえて、何だか少し照れ臭くなる。  そういえば、一年の頃の小牧はこんなに優しい感じではなかったと思う。今よりも髪は短く、少々気が強くて、振り返るとくだらない言い争いばかりしていた。  仲良くなったのは多分、二年生の時からだ。新しいクラスには知り合いがほとんどいなくて、唯一気楽に話せたのが小牧だった。あの時の俺は本当に小牧に助けられていた気がする。 思い返すと、懐かしいやら寂しいやらで胸がじんわりと不思議な感じがした。 「俺も、小牧と同じクラスで楽しかった」  言葉に出すともっと恥ずかしい気がしたが、これは、いつかは伝えたかったものだった。  小牧は小さく「そっか」と言うと、窓から目を離し、頬杖をついていた腕をぐっーと前に伸ばす。  逆光に照らされた小牧の横顔は、想像とは違い、思い出に浸っているのは俺だけだと思わせるように、薄く影を帯びていた。  今まで見たことのないような小牧の表情に、何か言わなければと思ったが、何を言えば良いのか分からなかった。  時計の秒針の音が響く教室で、短い沈黙を破ったのは小牧だった。 「それ、書き終わったなら私が出してくるよ」  小牧は机の上の日誌を指差した。 「お、おぉ。さんきゅ」  日誌を手渡すと、小牧は机の横に掛けてあった鞄を取って肩にかけ、じゃあね、と小さく笑って手を振った。  そうして教室のドアに近づいていく小牧の背中を黙って見ていると、小牧はなにか思い出したように急に立ち止まり、こっちを振り返っていつも通りの明るい口調で言った。  「そういえば、彼女できたって聞いたよ。あんたを好きになるってどんな子なの」  またも突然の話に驚きながらも、さっきとは違う、普段の調子の小牧に安心した。 「この前告白された、三組の子。優しくていい子だよ。あ、最近好きな俳優が結婚したって言ってたから、もしかしたら小牧と話合うかもな」  そう言うと、小牧は目を丸くして驚いたが、すぐにまたへぇ、と笑った。 「きっと同じ人だろうね」 「分かるもんなのか」 「分かるよ」  何故かと理由を聞く前に、小牧は続けた。 「好きな人に似てると、好きになっちゃうの」  そう言った小牧の顔は優しかった。 「なんだよ、それ」  言葉の意味が分からずに聞くと、小牧は今度は呆れたようにははっと大きく笑った。 「分からなくていいよ」  小牧はそう残してまたバイバイと手を振る。  そのまま教室を後にする小牧の背中に向かって、俺は思わず声をかけた。 「あのさ、」  小牧の肩は少し揺れ、振り返るのを躊躇っているようだった。 「さっきの話だけど、卒業するまで仲良くしてくれよな。それで、卒業しても、これからも、よろしくな」  言い終わって小っ恥ずかしくなって、見られていないのに顔を逸らした。  小牧はなんて言うだろう。当たり前でしょとでも言うだろうか。  そう思っていると、小牧はゆっくりとした口調で静かに言った。 「ごめんね。その言葉、好きじゃなくなったの」  その時、俺は純粋に、もっと頭が良ければいいと思った。小牧の言いたいことが、俺には分からなかった。  ただ、夕日のさした廊下を歩いていく小牧の背中は真っ直ぐで、それを見ながら俺は、ずっと、言葉の意味を探していた。
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