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「キミたち、何してるのかな?」
海岸のそばの道路に街灯が灯り始めたとき、声が降ってきた。私と夏子が同時に顔を上げると、そこにはビニール袋と長いトングを持った白馬先生が、不安そうに私たちを見下ろしていた。
「白馬先生」
「鈴村じゃないか。どうした? いつもはもっと早くに帰るだろ?」
白馬先生は私の今年のクラス担任だった。名前は白馬王子。二十四歳の若い先生で、名前に違わない爽やかな王子様という雰囲気の先生で、特に女子人気が高い。けれど一部の生徒をひいきするようなことのない先生だったから、私は好意的に見ていた。
「だれ?」
夏子が私の方を向いて尋ねた。私は「担任の先生だよ。白馬先生って言うの」と簡単に答えた。
「ふうん」
「君は、あまり見ない子だね。鈴村の親せきかな?」
「ちがうわ。見てわかるでしょう?」
夏子の挑発的な物言いに白馬先生は苦笑する。
「そうだね。でも親せき同士で似ないことはよくあるし……」
「親せきって選択肢しかないわけ? アタシはアオイの友だちよ」
友だち、という言葉に私はまた顔が真っ赤になった。白馬先生は夏子の言葉を聞いてうれしそうに笑った。
「そうか、鈴村の友だちか! いやあ、よかった」
「それ、どういう意味よ」
「そのままの意味だよ。鈴村にこんなステキな友だちがいたとはな」
「…………」
口数の多いはずの夏子がだまった。どうしたのだろうと振り返ると、夏子は顔を真っ赤にさせていた。照れているのだろうか?
「うっさいわね、何よあんた。ちやほやされてそうな感じ、嫌味ね。ほら、アオイ。行こう」
立ち上がった夏子のうでに引っ張られて、私もよろけながら立ち上がった。
「気をつけて帰るんだよ」
白馬先生の声に、私は「はい」と返事をする。
「なんであんな奴に返事すんのよ!」
夏子はなぜかとても不機嫌そうだった。怒りで顔を赤くしたのだろうか?
暗くなりつつある砂浜でポツンと立っている白馬先生のすがたが、プリプリと怒って明るい市街地へと向かう夏子のすがたと対照的で印象に強く残った。
「ねえ、夏子ちゃん。どうしちゃったの?」
しばらく海岸沿いの道路を夏子に引っ張られながら歩いていた私は、息も絶え絶えになって「ストップ」と足を止めてもらった。
「夏子ちゃん、ヘンだよ?」
「ヘン? なんで」
夏子はもう怒ってなさそうだった。むしろ、ちょっと不満そうな表情に見える。
「白馬先生は良い先生なんだよ!」
私は白馬先生を嫌っているように見えた夏子に、白馬先生の良さを伝えようと思いつく限りに白馬先生を褒めることにした。
「生徒を対等に見てるの。女の子をひいきするとか、運動ができる男子やおもしろい男子をひいきするとかもないの」
「それって、先生として当たり前じゃないの?」
夏子の反論に、私は困ったように笑った。
残念ながら、現実はそうではない。実際は私のように、先生にもクラスメートにも距離を取るような生徒は、扱いに困るらしい。はっきりとそう言った先生は今までに一人しか出会っていないけれど、ほとんどの先生が私のことを腫れ物のように扱っていたからだ。
それに比べたら白馬先生は私のような生徒のことでもちゃんと見てくれていた。読書をしていれば「その本がおもしろいなら、こんな本もおもしろいと思うよ」と何冊か本のおすすめをしてくれて、そのどれもがおもしろかったということがあった。図工の時間に版画の下絵を描いていたら「もっと主人公を大きく描こうね」と注意されつつ、でも「構図は良い感じだね」とほめてくれた。いつも教室で一人が多い私を特別に気遣うことがない。それも私に安心を与えてくれる理由のひとつだった。一人でいたいのに、一人でいることを問題視する先生はたくさんいたから。
私には友だちがいなかった。ただダイキくんと話せるだけで、ダイキくんと特別に仲が良いというわけでもなかった。そんな生徒がいれば、先生としては不安なのかもしれない。でもそれをあらわにしないで見守ってくれているのが白馬先生だった。
「それにね、白馬先生は矛盾したこと言わないし、いろんな人の意見をちゃんと聞いてくれるの。あと……そう! 朝と夕方の小学校に行く前と帰りにね、さっきみたいに海岸のゴミ拾いをしているの。毎日だよ。雨の日でも。それってすごいよね」
夏子は「そう、ゴミ拾い」と言って笑った。
「アオイでも好きになっちゃうような先生なのね」
「ち、ちがうよ」
首を横に振って訴える。しかしその様子を見た夏子はさらに口角をあげて笑った。
「あら、どうかしら。まるでさっきから「私は白馬先生のことが好き」って言わんばかりじゃない?」
「ちがうもん!」
私は夏子の誤解に、自分でも驚くほど大きな声を出して否定した。
「だ、だって……」
「だって?」
夏子はさっきまでの意地悪な笑みと打って変わって優しいほほ笑みを浮かべた。
「ごめんね、アオイ。意地悪したわ。あんたにはちゃんと好きな人がいる。分かってるから」
私は荒く呼吸を繰り返しながら「え?」と夏子の言葉に問い返した。夏子はクスクスと笑って私の頭を優しく撫でた。
「言ったでしょう? これでもアタシは大人なの。あんたが恋してることぐらい、お見通しよ」
「い、いじわるー!」
「そう、意地悪しちゃったの。ごめんね」
夏子はそう言ってウィンクをした。私は小さくため息をついた。
「悪かったわ。ちょっと、あの男……白馬に、イラついてしまったの」
「なんで?」
ふたたびメインストリートの方へと並んで歩きだしながら、私は尋ねた。夏子は言い渋った。けれど白馬先生を誤解しているように感じて悲しい私は、夏子が話してくれるのを待った。すると夏子はあきらめたように口を開いた。
「あいつ。あいつもウラシマタロウなのよ」
「……それって――」
私が続けようとしたら、夏子は「ここで話はストップ!」と両手で大きくバツマークを作った。
「それより! あんたはもう、帰らないといけないんでしょう?」
「そ、そう。そうだった」
海岸も遠くなり、駅や商店街のある町中に入ってきてようやく空が暗い茜色に染まっていることに気づいた。そろそろ帰らないとアウトだ。
夏子はしげしげと町中を見回したけれど、しばらくしてうなずいた。
「今日はいったん、帰るわ。明日の朝九時に、また海岸に来てちょうだい」
「明日?」
「そう、明日の朝九時よ。ウラシマタロウを一緒に探してもらうんだから」
「ほ、本当に私と?」
「ほかに誰がいるのよ。あと、町の中も案内してちょうだい。おもしろそうだけど、一人だとさすがに心細いわ」
私は「わかった」とうなずいた。朝の九時なら図書館に行くという言い訳で外出ができると算段をたてられたからだった。
「じゃあ、明日ね」
「ええ、明日」
私は夏子に手を振って、駅の方へと歩きだした。駅の裏手に見える高層マンションが私の家だった。歩きだして数歩、ふと振り返ると、まだ夏子が私を笑顔で見ていた。なんだか恥ずかしくなった私は、もう一度だけ夏子に手を振ると、走り出した。
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