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ショッピングモールは誰に会うか分からない。特に同じ学年の知り合いに遭遇する確率は決して低くない。だから私はショッピングモールの入り口をくぐるなり、持ってきていた別のメガネにかけ替えた。いつものメガネが四角い黒縁メガネだけれど、今かけたメガネはおばあちゃんがお誕生日に買ってくれた縁が薄く銀色で丸い形のメガネだった。メガネひとつで人は印象が変わると聞いていたから、変装にはもってこいだと思ったのだ。それに唯一持っている野球帽をかぶって夏子のうしろを追いかけた。
「なんて格好してんのよ」
「だって、誰かに会ったら怖いから」
「そんなの、無視しちゃえばいいじゃない」
「それができないんだよ」
「ふうん」
夏子は陸にいてもだれもが初対面になる。けれど私はそうじゃない。地元を歩く限り、だれかに会う危険性を感じなければならない。こればかりはダイキくんも例外じゃない。学校でダイキくんと話したり一緒に活動をすることには何の違和感もないけれど、休日に不意打ちで会ったりしたくない。相手がだれでも、休みの日に知っている人に会いたくはなかった。そのためにも変装は私に必要なものだった。
「やっぱり人が多いと、ウラシマタロウのオーラもあちこちに見えてくるわね。ただ、人が多い分、オーラも混じりあって判別しにくいわ」
夏子は目を細めて顔をしかめる。この場所に来るまでは感じなかったが、ひと目につくと夏子のピンク色の髪にキレイな顔はとても目立った。すれ違う人やエスカレーターを登っていく人たちの視線が多く私たちに降り注ぐ。
「ほら、アオイ。行くよ」
夏子はまるで平気な様子で、立ち止まっている私のうでを取った。私は「夏子ちゃん、離して」と弱々しく訴える。けれど喧騒に紛れてしまって、夏子には聞こえていないらしい。
「夏子ちゃん」
「うん? 何か言った?」
三回目の呼びかけで夏子は振り返る。私はすぐ横に見えたファストファッションストアを指さした。
「お願いだから、帽子をかぶって!」
「なんで?」
キョトンとする夏子はかわいい。これは何も私の感想だけでなく、私の後ろを通りすぎた女の子たちも同じことを言っていた。私はまるで視線や言葉が自分に刺さっているような錯覚を感じながら、夏子のうでを取ってお店に入った。
どれも千円以下の服が並んでいて、私でも買えそう。でも、私は帽子を探した。
「あった!」
ライトブルーでワンポイントすら地味な帽子。値段は千円ジャストで、決して安いとは言えないけれど、これで注目してくる視線の多くを減らせると思えば、安いもんだ。
私は急いで会計を済ませると、タグを切ってもらって夏子に渡した。
「プレゼント。お願いだから、私といるときはこの帽子をかぶってて」
「プレゼント……」
夏子はまだキョトンとしていた。なんで帽子をかぶるのか、やっぱり分かっていない。けれど、だんだんうれしそうに頬を緩めていった。
「うれしい。友だちからのプレゼント。こんなにうれしいものなのね」
「夏子ちゃん?」
私は夏子の派手な髪色が目立たないでほしいというわがままで帽子をプレゼントしたにすぎない。それなのに夏子はとてもうれしそうに笑うものだから、私は再び複雑な気持ちになった。
「さ、お店を出るわよ!」
夏子は元気いっぱいにうでをふりあげると、私の手をつないで歩きだした。今日は夏子と手をつないでいてもひんやりとしていない。むしろ汗ばみそうなほど熱かった。でも、それを嫌だとは感じなかった。私は夏子の手をにぎって、一緒に歩いていた。
「それにしてもひっろいわねー」
夏子はきょろきょろと顔を動かしてあちこちに目を向けて楽しそうだ。私は相変わらず知り合いに会わないようにと心の中で祈りつつ、帽子を深く被りながら比較的若い年齢のグループとすれ違うごとにびくついていた。
「もう、何を怖がってんの。そんなにおびえなくても、だれもおそってこないわよ」
そう言う夏子はフードコートに目を向けた。
「良い匂いするわね……あとで来ましょう」
「もう、さっさと見つけてよ」
「がんばってるわよ。でも、これっていう人がいないわね」
夏子はフードコートから目を反らすと、そのまままっすぐに進もうかエスカレーターを上って上の階を見て回るかで悩みだした。私としては早く決めてもらって動きたい。動いていれば、少なくとも注目されることはないからだ。
「よし、もう少しこのフロアを見て回りましょう!」
私の願いが届いたのか、夏子はまっすぐ前を指さして言った。私は「いいよ」と早足で歩きだす。
「おっ、もしかして鈴村か?」
私は自分の名字を呼ばれてギョッとした。声がしたのはちょうどエスカレーターの前を横切ったときだった。うしろから肩を叩かれた。
「やっぱり鈴村じゃないか。お前も休日には出掛けるんだな」
失礼でなおかつ余計なお世話なことを言っているのは、昨年度に私の担任だった黒部先生だった。黒部先生は白馬先生より二つほど年上で、ちょっとチャラい感じのイケメンだ。女の子の間には白馬先生派の通称「白派」と黒部先生派の通称「黒派」とに分かれているぐらい黒部先生にも人気があるらしい。白馬先生は白派があることに、気づいてさえいないようすだけど、黒部先生は自分の人気の具合を把握しているらしく、白派の生徒を少しずつ懐柔しているというウワサもあった。
私は白派と黒派のどちらにも属していないけれど、それでもどちらかと言えば白馬先生の方が好きだった。黒部先生は黒派の生徒に対してひどくひいきする傾向があったからだ。テストの点数も甘く点けがちだし、おしゃべりもうるさくない程度なら注意しない。けれど黒派の生徒でなく、さらに興味がない生徒には冷たい態度を取りがちだった。そのせいで私には、黒部先生に良い思い出はなかった。
それでも、あいさつをしないわけにはいかない。ここであからさまに無視などしたら、後日学校で衆目にさらされながら説教をされたりしかねないからだ。
「こんにちは、黒部先生」
それじゃあ――とその場を去りたかったけれど、黒部先生は私たちの行く手を遮った。
「キミ、うちの生徒じゃないよね? どこの子?」
やっぱり――と私は気づいた。目当てなのは決して私じゃなかった。当然、夏子の方が目的だったのだ。夏子は「だれ?」と私の方を見ている。私は早くこの場を去りたくて何も言えない。
「おい、鈴村。紹介ぐらいちゃんとしろよ」
ちゃんとしろ、という言葉にトゲがある。しかもその言葉は私の心に鋭く突き刺さってきた。
私は呼吸をガマンしながら「友だちの乙姫夏子です。遠くから遊びに来たので案内してました」と一息で紹介した。黒部先生はようやく満足げに笑うと「こんにちは、夏子ちゃん」と呼んだ。なれなれしさに吐き気すら感じたが、今は黒部先生の前で時間が過ぎるのを耐えるので精いっぱいだった。
「アオイ? 大丈夫?」
夏子は私の異変に気づいて顔をのぞきこんでくる。それを私はプイと避けた。
「鈴村、仮病は良くないって言ったよな。すぐ仮病をする癖、直せって先生、言ったよな」
私は思わず「ヒッ」と息を飲んだ。黒部先生の声には優しさがあるように聞こえた。けれど、そこには「自分は優しいんだ」という演技感を覚えて、さらに強い圧力となって私の胸を圧迫してきた。
「夏子ちゃんも、大変だよね。鈴村って、ちょっと難しいだろ?」
私はくちびるを噛みしめて息を殺した。早く時間が過ぎて……。
すると夏子が私の前に立ちはだかった。
「ちょっと、さっきからなにをトンチンカンなこと言ってるんですか? アオイは繊細なんです。傷つくようなことを言わないでください」
「傷つく? 何のことかな。それに先生だって鈴村のことは気にしてんだよ」
「先生なんでしょ? 生徒のことを気にするのは当たり前だっつーの」
夏子は吐き捨てるように言うと、私の手を取った。
「アタシも学校には行ってたけど、アンタみたいな偽善者教師がいなかっただけ、幸せだわ!」
そう言って夏子は「あっかんべー」と舌を出す。黒部先生は呆気に取られてボンヤリと立っている。
「あれー、黒部せんせーじゃん!」
その声でさらに私はビクッと体が跳ねあがった。黒部先生の背後へ駆け寄ってくるのは数名の男女グループ。しかもどの顔も見知った顔だ。――同じ学年のグループ。しかも一人二人はクラスメートだった。
「夏子ちゃん、行こう!」
すぐに夏子の手をにぎり返すと、私たちは駆けだした。混んできたショッピングモールは走りにくかったけれど、逆に人の間を抜けていくことですぐに黒部先生の手が届かないところまで行けた。夏子は振り返るともう一度「べーっだ!」と舌を出して黒部先生に威嚇していた。それがなぜかおかしくて、さっきまでの緊張も一瞬で消えて私は笑いながら走っていた。
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