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(3)ちょっとずつずれていく
日曜の朝も雲ひとつない快晴になった。出かける準備を済ませると、ポシェットを肩に掛けて玄関に立った。
「アオイ。今日も図書館に行くんだっけ?」
お母さんの眠たげながらもするどい声に、思わず体が固まった。ゆっくり振り返ると、壁に頭をもたげているお母さんが、私をしずかに見つめていた。心配そう、というよりも不機嫌そうな視線だった。
「昨日も図書館じゃなかったっけ」
「…………」
私はウソをつくのは苦手だ。ダイキくんにもよく「アオイはウソが下手だな!」って笑われるぐらい。でも、私はこのときのために予習していたウソを使った。
「おもしろいシリーズの本を見つけたの。でも分厚くて重いから、借りるのが大変なの」
「一冊ぐらいなら持って帰れるでしょう?」
「でも、すぐに読み終わっちゃうし、どんどん次が読みたくなっちゃって。家だとやめるのもむずかしいから、図書館で読むぐらいがちょうどいいかなって……」
お母さんは「そういうもんなの?」と言いながら、私がポシェットを持っていることに気づいた。
「スマホは持った? どうせ夕方まで帰らないつもりでしょう」
「あ、スマホ……忘れてた」
私はヘラッと笑いながら、はきかけのくつを脱いでろうかを走った。自分の部屋からスマホを持ってくると、お母さんの前でポシェットにしまう。
「なんのためにスマホを持たせたと思ってんのよ」
「ごめんなさい。でも、ほら、持ったから」
「明るいうちに帰りなさい。図書館以外には行かないこと」
「はあい」
できるだけ明るい声で返事をする。そして急いでくつをはくと、玄関の重いとびらを開けて外に出た。
「いってきます」
そう言ってドアを閉めると、いってらっしゃいの代わりにカギがかかるガチャッという音が聞こえた。
冷たいとびらの前で、私はかすかに震えた。けれどすぐに歩きだして深呼吸をする。エレベーターを降りてマンションをでるころ、ようやく指先に感覚が戻ってきたようだった。
「スマホは……電源を切っておこう」
ポシェットから子ども用のスマートフォンを取りだすと電源を切った。
私はもともとスマートフォンはいらないとお母さんに言っていた。連絡を取り合うような友だちはいない。ダイキくんとは連絡できたらうれしいけれど、今までにダイキくんがスマートフォンを持っているという話も聞いたことなかったから、私から「連絡先を教えて」と聞くこともなかった。だから私にはスマートフォンは不要だった。
それでもお母さんがスマートフォンを持たせたのは、私の位置の確認をするためだとすぐに分かった。ほとんど家にいることが多い私は、留守番をすることも多い。そのときにちゃんと家にいることを確認できるように、お母さんはスマートフォンを持たせたんだ。そして今日のように出かけるときもなるべく持たせて「図書館にいる」ということを確認しているのだと思う。だから私はよくスマートフォンを家に置きっぱなしにしていた。学校にも「授業中に使用しない」という校則を守れば、持ってきていいことになっている。でも私はほとんど家に忘れていた。スマートフォンを持ち歩くだけで、お母さんの冷たい目がどこまでも付いて回るようだったからだ。
昨日も図書館に行くとウソを言って出かけた。スマートフォンを家に置いて。それに気づいたお母さんが、帰ってきた私を叱った。
「なんで持っていかなかったの!」
「忘れてて……」
もちろん「わざと忘れました」なんて言えない。ごめんなさいと何度も言って、頭を下げ続けて、お母さんの怒りが去るのを待った。
「まったく。図書館に行くって言って、本当は別のところで遊んでんじゃないでしょうね?」
その言葉にドキッとした。図星だったからだ。
「まさか……ほら、一度マナーモードにし忘れたことがあって、恥ずかしい目にあっちゃったから、それからは図書館に持っていきづらくて」
苦し紛れの言い訳をすると、お母さんは眉間にしわを寄せて厳しい声で私をなじった。
「それはアオイがバカなだけでしょう? まったく、本を読むのになんでテストの点数も常識も平均レベルより下なのかしら」
お母さんの厳しい言葉に、私は何も言えなかった。
「あーあ、思いだしちゃった」
昨日のことを思いだすと、足も重くなったように前に進まなくなる。
私はため息まじりに図書館とは逆方向である駅の方へ歩いていた。
「あれ、アオイじゃん!」
ふと顔を上げると、リュックを背負ったダイキくんが向こうから歩いて来るところだった。
「だ、ダイキくん!」
休日に会いたくないと今までなら思っていた。けれど二日連続で会えると、それはそれはうれしい気持ちになる。さっきまでの重たい気持ちも吹き飛んで、思わずダイキくんのそばへ駆け寄った。
「どうしたの?」
「図書館に行くとこ。アオイはお出かけ?」
「夏子ちゃんと海岸で待ち合わせ」
「へえ、そうなんだ」
ダイキくんは笑顔でうなずくと、ふと首をかしげた。
「アオイ、なんかあった? さっき声をかけるまですごい暗い顔してたけど」
「えっ、見てた?」
「うん。気になって」
私は急いで自分の顔を両手でさわった。もう暗い顔をしてないよね?
「悩みごと? 僕にできることはある? それとも話を聞こうか?」
私の頭の中にはお母さんの顔が浮かんだ。すぐに首を横に振る。
――ダイキくんに自分の家の話はしたくない。
ダイキくんだって私が学校でどんな立場なのかを分かっているはずだ。これ以上、ダイキくんを困らせたくなかった。
「大丈夫だよ」
私はニッと笑顔を作った。するとダイキくんは顔をしかめた。
「アオイ、ウソつくの下手すぎ。……でも、話したくないなら、聞かないよ」
ダイキくんはそう言うと私の手元にスマートフォンがあるのを見つけた。
「それ、アオイのスマホ?」
「そうだよ」
電源を切ったまま、ポシェットにしまうのを忘れてずっと手に持っていたのだ。急いでポシェットにしまおうとすると、ダイキくんがそのうでをつかんだ。
「待った。連絡先を交換しよう!」
「え?」
「ダメか?」
「だ、ダメじゃないよ!」
私は急いでスマートフォンの電源を入れなおす。起動画面が遅くてソワソワする。その間にダイキくんも自分のスマホをポケットから取り出していた。
「これで、何かあったら連絡つくな」
「あ、ありがとう」
「こちらこそ。じゃあ、図書館に行くから、またな!」
ダイキくんはスマートフォンをにぎった手を振りながら私が来た道を歩いて行く。
「夏子ちゃんと約束がなかったら、図書館に一緒に行けたなあ」
思わずそうつぶやくと、私は「なに言ってんだ、バカ!」と自分のほほを引っ張った。夏子との約束だって大事なんだ。だからさっさと行こう――私はスマートフォンをポシェットにしまうと、駅の方へとかけだした。駅前の時計が、夏子と待ち合わせの時間である十時になろうとしていた。
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