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第二章 ダリア姫の悲劇
お妃さまでもあったダリアの母は、国王であるダリアの父の多忙な仕事を支えるため、日中の育児はすべて専門の乳母や使用人にまかせ、多くの執務にかかりきりの日々を送っていた。それは幼い子どもであるユカリプやダリア、そしてよその国へ嫁いだダリアの姉と、みなが通ってきた寂しい道のりだった。
母が亡くなるまで、母は子どもたちの眠る前の時間を、姉から順番に一緒に過ごしていた。そして眠る前にはその日の子どもたちのようすを聞き、それから母は必ず、昔話を聞かせた。
国でもっとも有名な『ドラゴンの物語』はもちろん、国の周りに広がる森の怖さを教えるための『エルフと魔女の決闘』、道徳のための『ウソつきにバラ』や他国から伝わった『空の上から飴がふったお話』など、たくさんのお話を聞かせてくれたが、一番多く語られたのが『湖底楼と赤鬼の伝説』だった。
「森の奥の湖底楼から赤鬼が城へ来たとき、けっして逆らってはいけない。食べものを出せと言われたら差し出せ。姫を出せと言われたら涙を飲んででも差し出すのだ」
湖からの来訪者、赤鬼――レッド・オーガからは逃れられないから――と。
そこまで思い出してダリアはぐらりと体がかたむいた。思わず手をついたのが弟の部屋のとびらで、がたんと大きな音を立てて閉まった。
「だれだ!」
父の怒鳴り声が聞こえると同時にとびらが大きく開かれ、中の照明の光がダリアの顔を照らし出した。それはまったく生命を感じさせないほどに蒼白とした顔だった。
「き、聞いていたのか」
ばつの悪そうな表情の王は「入りなさい」と部屋の中へ下がっていった。代わりに弟が勢いよくダリアの胸元に駆け込んできた。
「ウソです、ウソです! 伝説や昔話は、ウソのお話なんです! お姉さまがどこかへ連れていかれることなんてありませんし、僕が許しません!」
胸元でわんわんと泣きじゃくる弟のようすを見るほど、ダリアには昔話だと思っていた話が現実に起きているのかと、妙に実感していく。
「お父さま、くわしく話を聞きたいので、私の部屋に来てもらえますか」
「ああ、わかったよ」
ダリアはユカリプに精いっぱいの笑みを見せると、ゆっくりとその肩を引きはがした。
「いや、いやだ! 行かないで、ゼッタイに……お姉さま! ゼッタイに行ってはいけません」
お姉さま――そう叫ぶ弟の声を背に、廊下を歩きはじめた。
「ダリアさま! やはり弟君のところでしたね」
ようやく見つけたぞ、と顔を真っ赤にしたミスターカミナリの前を、ダリアはなにも言わずに素通りする。叱りつけようと声を上げかけたミスターカミナリだったが、国王もそのすぐうしろにいるのを見つけると、息をのんでひざまずいては「なんだ、なぜ? 国王が……」とブツブツつぶやいたまま二人の背を見送った。
「すでに迎えのレッド・オーガが待っている。陽が沈む前にお前を差し出さねば、王家になにか不吉なことが起こると脅された。しかし、これは昔から王家にかけられた呪いで、避けられないものなのだ。ダリア、君ならわかってくれると思う」
ダリアの部屋の塔からは、すでに陽が傾いているのが窓の向こうに見えた。それはタイムリミットが近づいているということでもあった。
急なことに頭は熱くなっているというのに、なにも考えられず、涙も出てこなかった。
悲しい、寂しい、怖い。どうなるんだろうという不安。すべてを弟のように泣いて流し出せたら楽だろうに、と思いながら、ダリアは父親の顔をじっとみつめた。
「ここを出たら、どうなるのでしょうか」
ようやくカラカラの口からでたことばは、不安からくる問いだった。しかし父は首を横に振った。
「分からない――すまない、私だっておとぎ話とばかりに思っていたのだ。父も……おまえのおじいさんもさんざん言っていたというのに。いつか、家族のだれかがレッド・オーガの迎えで連れていかれると」
「おじいさまが?」
「そう。おじいさまのお姉さんがレッド・オーガに連れていかれたそうだよ」
「なぜ」
ダリアはなぜそのことを早くに教えてくれなかったのか、と尋ねたかった。いつか起きてしまうかもしれない事実を、なぜ物語として語ったのか、と。しかし父親はそれを呪いの理由を尋ねられたと受け取ったのか「わからない」と歯切れ悪く答えた。
「ダリアには申し訳ないが、もう時間がない。着替えはしなくていいし、荷物もいらないそうだ。だから、応接室へ行きなさい。レッド・オーガがお前を待っている」
父親は国王の顔つきで命令すると、二度とダリアの方を振り返らずに部屋を出て、長い廊下を無言のまま歩いて行ってしまった。国王の歩く足音がコツンコツンとどこまでもひびく。それはまるでダリアを押し付けるような圧力だった。
ダリアは不思議なことに、とつぜんのできごとに関わらず、気持ちがとても落ち着いていた。改めて覚悟を決める必要がないほど心の波はおだやかだった。
ダリアは廊下に背を向け、窓に足をかけた。レッド・オーガのもとに行くことに、まったくの恐怖心などないのに、会いに行かない方法ばかりを頭の中でくり返し考えていた。
ダリアの心の中にあったのは、ただ一人、アゼレアだけだった。
小さく深呼吸すると、音をたてないように窓の外へ飛び出した。着地もいつもより静かになるよう、姿勢と足元に気を付ける。そしてなんなく城外へ逃げ出すと、そのままアゼレアの家まで一直線に走り出した。
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