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第三章 ダリア姫の決意
森の中に続く一本道を歩いていくと、途中で王国を出る道と、「危険」と書かれた立て看板に、木々の間をいくつもの板が道をふさぐように張られているうす暗い道とにであう。その板をくぐった先が、湖への道だ。ふだんは使われない道のため舗装もろくにされてなく歩きにくい道ではあるが、それでもわずかに木々が避けているため、湖に向かってダリアは迷わず歩くことができた。
森に入って三十分も経っただろうか。湿っぽい香りの中にただよう木々の香りが、少しだけダリアの重たい足取りを癒す。湖の姿はまだ見えないが、水の音が聞こえてきた。
水滴の跳ねる音がちゃぷんちゃぷん、と。
ダリアはひたいの汗を拭いながら足を止めずに進み続けた。この先に、アゼリアが――。
「それ以上こないでくれないかな。アニキのキゲンが悪くなるんだ」
風が吹いたと思ったら目の前には背の高い『赤鬼』が無表情で立っていた。
「だ、だれ――」
「おれは……レッド・オーガとか赤鬼と呼ばれている。お前は、ダリア姫だな」
「どうして私の名前を知っているの?」
これがレッド・オーガなのか、とようやく一歩二歩下がって身構えた。
背丈は父親と変わらないが、体中の皮ふの色が赤く、たしかに人間には見えない。けれど、鬼と呼ぶものに生えているような角は見当たらなかった。
「へえ、怖がらないんだ」
彼はクスッと笑ったが、すぐにもとの無表情にもどって言った。
「昨日、城まで迎えに行ったのが、オレだ。部屋のそばまで行ったら、窓から逃げ出したのを見て、追いかけた。迎えに行ったら逃げられるなんて、よくあることらしいからな……」
ダリアはひどくおどろいた。彼が捕まえようと動いていたら、すでにつかまっていたかもしれないのだ。それなのに自分はわざと見過ごされ、結果アゼリアが連れていかれたのだ。
「じゃあ、アゼレアとも会ったの?」
「ああ。むしろアゼレアからおれに声をかけてきた。そしてダリア、お前の代わりに自分を連れて行ってくれないか、とアゼレアの方から提案をされた。その心意気をオレは気に入ったし、アニキも気に入ると思って、代わりに連れて行った。安心しろ、アゼレアは元気だ」
「元気? 湖の底に連れていかれたというのに、なにを言うの」
ダリアは怒りと混乱を抑えるように、胸に手を当ててゆっくりと息を吸った。アゼレアが自ら湖に向かったのは知っている。けれど、元気とはどういうことだろう。いけにえだというのに。
赤鬼は肩をすくめた。
「人間は誤解をしている。いけにえと言っても、なにも食うわけじゃない――それ以上言う必要もないと思っていたが、知りたいか?」
「知りたい。そして、アゼレアを取りもどす。あるいは自分がいけにえになるの」
ダリアはすかさず答えた。その答えに赤鬼は目を見開いておどろいた表情を見せた。
「それは無理だ。アニキはアゼレアに決めた。もう他の人間が湖底楼に入ることはできない」
「湖底楼……?」
「湖の底にある、アニキが住む城を、湖底楼って呼ぶ。主であるアニキが決めた相手しか水の中を生きて入ることはできない」
湖底楼の名を昔話で聞いたことがあったけれど、やはり架空のものだと思っていたし、そのいけにえとなった人間が水中を生きて潜り、住むことができるなど、到底想像できることではなかった。
「アニキには『先生』がいるからな。魔法も少しは使えるんだと」
赤鬼はつっけんどんにそう言うとダリアを一瞬で肩に担ぎあげた。
「安心しただろ? お友だちは生きているし、むしろ陸の上にいるときより元気になったんだ。会えないぐらい、どうってことないだろ」
そう言うと赤鬼はダリアが来た道を歩き始めた。
「まあ、アニキの嫁さんへの客人だ。丁重にお返ししてやるぜ。帰りは運ばれてもどれるんだ、ラクでいいだろ」
しかしダリアは体中を動かして暴れた。そして赤鬼の背中を強く殴り、ひざでところかまわず蹴り上げた。赤鬼が「うげっ」とうめきながらよろめくと、ダリアはスルリと赤鬼の肩から抜けるように転がり落ちた。そばでは赤鬼が「ぐうぅ」とたおれこんでいる。
「私は、アゼレアに会わないことには、あなたのことばを信じられないし、ゼッタイに帰れないの!」
ひざの泥を軽く払うと、赤鬼には目もくれずに森の奥へとふたたび歩きだした。そんなダリアのようすを赤鬼は不思議そうに見ると、ふいに笑い出した。
「アハハ、変な奴。いけにえにされなかった、ラッキーって、今まで見たいに豪勢な生活をしてりゃ良いのにさ」
赤鬼はひとしきり笑うとダリアの横に並んで一緒に歩き出した。もうダリアを止めるつもりはないらしい。
「アニキは気まぐれだから、会ってくれるかわかんないけど、口添えぐらいしてやるよ」
ダリアは警戒心を強く持ちながら、ギロッときつい視線を横に向けた。
「どうしてそんなことしてくれるの? 別に自力でなんとかするわ」
「だって、おれがお前を気に入ったんだよ」
今度はダリアが目を丸くしておどろく番だった。
「私、変な人とかガンコ者って言われることが多いの。でも、そこを気に入ってくれる人なんて――」
ダリアはようやく警戒心を弱めることができた。なぜなら脳裏に大事な人の顔が浮かんだからだった。
(アゼレア以外、いなかった。こんな私を気にいってくれたのは、家族以外ではあなたで二人目だわ)
彼が赤鬼の名とは違って気さくな少年だと感じたダリアは、アゼレアの置き手紙に書かれた「優しそうな人」ということばを思い返すと、思わず(そうみたいね)とうなずいていた。
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