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「考えがうまくまとまらないときは足を動かすと良い」
ダリアのお気に入りの家庭教師のひとりが、むかしそんな知恵を教えくれた。たくさん勉強をしていては、体もなまってしまうから、座ってばかりではなく運動も適当にしておくと良い、とのことだった。
ここ数日、ダリアは図書室の本をほぼすべて読みあさった。二度三度と読み直した本もあるほどだ。それでもなにも解決のための知識は得られず、ひらめきもなかったのだ。このままでは同じところをぐるぐる回るだけで、一歩も前には進まない。窓の外が雲一つない晴天だったのもあって、昼は城外へ出かけることに決めた。しかしひとりで行きたいところなどなく、結局ダリアの足は森の中の湖に向かっていた。
湖にふたたび来たところで、なにかが変わるわけではないと思っていた。けれど、少しでもアゼレアのそばにいたい、と思ったのだ。
湖のそばまで来ると、思わず体がぶるると震えた。この間より気温が低いように感じたのだ。今の季節は春へと向かう途中で、さらに太陽から降り注ぐ陽の光で暖かい時期だ。ダリアも森に向かうとちゅうで、予想以上の温かさに思わず羽織ってきたアゼレアの羽織も肩から外して、持ってきたカゴにしまったぐらいなのに。それなのに湖に近づくほど、冬に逆もどりするかのように肌寒くなり、一歩ずつ進むほど足元から冷気が首元まで上がってくるのだ。
不審に思いながら湖面を見ると、湖面の水がすべて凍り付いていた。これが寒さの原因だったのだ。
「どうしてっ?」
思わず叫んで湖面に近づいた。素手で氷を叩くが、厚みがあるのか、ビクともしない。
「アゼレア、アゼレアーっ!」
大きな声に氷の表面が震えるが、ふれるとまるでガラスのような頑丈さを感じた。
「アゼレア! アゼレアー!」
「寒いのはここだけ。湖底の方は心配いらないぜ」
はっと顔を上げると、目の前の氷上で、赤鬼がダリアを見下ろすように立っていた。
「どういうこと?」
「お前さんがまた来ると思ったアニキが、あきらめるまで湖底楼に手を出せないよう、氷を張る魔法を使ったんだ。だからさ、あきらめなよ」
赤鬼も氷の湖は寒いのか、ダリアから離れるように歩くと、そばに倒れる大きな木のみきに腰かけて「ほーっ」と息をついた。ダリアも一度は湖から離れたが、肩に羽織をかけると、手ごろな石を拾ってふたたび湖に近づいた。
氷を割るイメージで石を湖面にぶつける。しかし傷一つつかないのを見ると、今度は高さと勢いをつけて投げつけた。今度はわずかな傷がついた――と思った次の瞬間には、その傷がきれいに治っていった。おそらくシルエラの魔法によるものだ。
「なあ、あきらめなよ。魔法の使えない人間には、その氷はどうにもできないって」
「無理なことなんてない! あきらめろ? いいえ、ゼッタイにあきらめないわ。……でも、悔しい! 人間に魔法で対抗するのは、反則よ」
「反則もなにもないだろ?」
赤鬼は離れたところからでもよく通る声でダリアに声をかけていた。ダリアは別の大きな石を選んでは投げたり落としたりぶつけたりと試した。しかし傷がついたそばからみるみる直っていく氷を、ダリアは口をへの字に曲げながら見つめ、ついに一つのため息をついた。負けを認めたのだ。
「ねえ、そっちにいっていいかしら」
「こっち?」
ダリアが赤鬼の横を指さすと、赤鬼も座っている横のあたりを指さした。
赤鬼がめずらしいと言いたげな顔をしているのを見て、ダリアはクスりと笑った。
「あなたと少し、話がしたいの」
赤鬼は「どーぞ」ととなりを開けるような素振りをした。ダリアはカゴを手に赤鬼のとなりに座ると、中からサンドイッチを取り出して一つ赤鬼に渡した。
「なんだ、これ」
「私のお昼ご飯。サンドイッチ。全部は多いから、あなたにあげるわ」
「ふうん。じゃあ、いただくよ」
赤鬼は疑うような顔つきでしげしげとサンドイッチを観察してから、大きくムシャリとかぶりついた。
「うめっ」
小さくうなった赤鬼は、とたんに笑顔をダリアに向けた。ダリアもほほえむと、ひときれ手に取って小さくかじりついた。三角に切られたパンにハムとチーズ、レタスがはさんであるシンプルなサンドイッチ。パンに塗ってあるバターの塩気が、ハムの香ばしいおいしさを引き出している。ダリアのお腹の中にいた空腹と苛立ちを、少しずつ溶かしていくかのようなおいしさだった。
「うまいな。人間はこういうものをふだんから食べているのか」
赤鬼はペロリと平らげると、口の周りや指の間にまでついたパンくずまでなめとっていた。
「まあ、そうね。あなたはいつも、なにを食べているの?」
「木の実のジャム、これよりもっとパサついたパン。ハムとかチーズはめったにないご馳走だ」
赤鬼はそういうと、カゴの中にまだ残っているサンドイッチを指さした。
「これも食べていいか」
「どうぞ。それより、お話を聞かせてくれる?」
「おふぁふぁひ?」
ほほをパンパンにふくらませるほど、赤鬼はサンドイッチを勢いよく頬張っていた。急いで口をモグモグとさせて飲み込むのを見て、ダリアは「ゆっくりでいいわよ」と苦笑いした。
「なにを聞きたい?」
赤鬼の問いに、ダリアは水筒のお茶をすこしのどに流してから答えた。
「どこに住んでるの?」
「ここから少し離れた大きな木の上。あと、魔女の家」
「そう、木の上と魔女の……魔女の、家?」
ダリアは耳を疑った。森の中にそんなものがあるとは知らなかったのだ。
赤鬼は「人間なら知っているだろう」と思っての発言だったらしく、ダリアのおどろいたようすを見て赤鬼の方がびっくりしていた。
「知らないのか。バーちゃんが「ここは人間が怖がって近づかないんだ」って言ってた」
「私は知らなかった。だれでも知っていることではないと思うわ」
そういうと、ダリアはもうひと口お茶を飲んでから水筒の口をしめて立ち上がった。
「その森の魔女に、会わせてちょうだい。話がしてみたいわ」
赤鬼はしばらくダリアを見上げてじっとしていたが、ダリアの目が強くかがやいているのを見ると、「いいぜ、分かった。バーちゃんのとこまで案内してやる」と言って立ち上がり、ダリアの前を歩き始めた。
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