第一章 ダリア姫の不安

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 城から町への抜け道はない。けれどこの城は「国民との垣根を低くする」という考えから、塀の高さも低いため、ダリアはなんなく塀を乗り越えて城外へ出ていた。  塀の周りには巡回している衛兵がいることもあるが、ダリアはいつも見つからない。けれど気を抜くとバレる危険もあるため、塀をこえると外壁に並ぶ木々のかげにかくれ、しばらく周囲をうかがう。  朝から昼頃の城の門前は、衛兵の他に清掃の使用人が一人二人見えるぐらいで、あとは春風がそよそよと吹いているのどかなようすだ。近くを通りそうな馬車もいないと確認して、ようやくダリアは背筋をのばして城下町へと歩きはじめた。  午前中の国民は、ほとんどが学校か、この国で一番のにぎわいである王国の中心地である城下町、あるいは海岸そばにある市場の三か所、どこかに集まる。  ダリアと同じ年頃の子どもなら、学校にも商店にも工場にも、または市場にもいるものなので、ダリア一人がうろうろとしていても、だれもおかしいとは思わない。そもそも国王以外の王室の人間を、国民のほとんどが顔はおろか、名前もろくに知らないものだ。兵士のように格好で判別できるものでもないし、王室の記念日に一家の名前が町中の新聞に掲載される程度で、このようにダリア本人を目の前にしても、彼女がこの国の姫君であるとは国民に分からないものだった。だからこそダリアも、城内とは違って、ひとりの女の子として扱われる町中へ遊びに出かけるのが楽しく、そして居心地よく感じていた。  城下町の中心は商店が密集しているが、それを通り抜けるとだんだん広い敷地が見えてくる。ポラリス王国の中心は国民の商業都市となっていて、外周へ向かうほど広い土地を所有する貴族、あるいは広さが必要な工場がいくつも並んでいた。ダリアが向かったのは国の北の方で、工場が連なっている。国民の使う衣類や家財道具を造っている工場が並んでいるのだが、そのうちの一つ、シャツや普段着などを生産している工場の看板前に立ち止まった。開け放したとびらの奥から何台ものミシンが動いている音が、小さな地響きのように聞こえてくる。  工場のすぐわきには二階建ての家があり、そこの入り口も開け放たれていた。 「おはよう、おばさん。アゼレアいる?」  少し大きめの声を出しながら入り口のとびらを叩いた。するとそばの椅子に座って編みものをしていた、四十歳ぐらいの女性が顔をすっと上げてダリアを見つけると、すぐにほほ笑んで出迎えた。 「おはよう、ダリアさま。アゼレアは二階にいますよ」  わかった、とダリアも笑みを返しながら、入り口横の外階段から二階へ駆け上がった。 「アゼレア、来たよ」  ノックをしながらも返事を待たずにドアを開けると、そこにはベッドに腰かけた少女が窓から入る陽の光に照らされながら本を読んでいた。 「いらっしゃい、ダリア。また来てくれたのね」  栗毛のやわらかい髪の毛が、クルクルと顔の周りをおおっている。可愛らしいヒツジのようなこの少女がアゼレアだ。 「だってまた会いたくなったから」  ダリアは照れくさそうに言うと、道中の花屋でアゼレアのために選んで作った、小さなブーケを手渡した。  アゼレアはダリアの十年来の親友だ。  アゼレアの両親が長を務める工場は、ダリアの城内で働く使用人への支給服を多く受注生産している。その縁から幼いころにダリアとアゼレアは出会い、すぐに仲が良くなって一緒に遊ぶようになった。また、姫という立場から学校に通えなかったダリアと、生まれながらに体調を崩しがちで思うように学校に通えなかったアゼレア。ともに学校に通うのが困難と言う同じ境遇から、二人の仲もよりいっそう深くなり、近年はダリアの強い要望から、同じ家庭教師に勉強を教わることもあった。  しかしそれも去年までの話だ。  アゼレアの体調は悪化する一方で、一年前から家を出ることもままならなくなってしまったのだ。  ダリアは、アゼレアに忍び寄る死の影に怯えていた。だが、本人のアゼレアが一番に苦しんでいるのだから、自分まで不安をあらわにしてはいけないとも思っていた。  アゼレアがベッドから離れられなくなっても、友だちであることは変わらない――ダリアはその強い気持ちから、三日から五日に一度はアゼレアを見舞うようにしていた。 「毎日でも来たいのに」  ダリアは本音をポツンとつぶやいた。しかし小さすぎた声はアゼレアの耳に届いていなかったようで、アゼレアは青白くも美しい顔をほころばせながら、受け取ったブーケをかかえていた。  ダリアは城で聞いたうわさ話や、会わなかった日におきたことを、ときには内容を盛って大げさにしながら面白おかしく語った。アゼレアはそれをクスクスと笑いながらうなずいて聞く。少しずつ頬にも赤みがさしたように見えると、ダリアはうれしくなってさらにいろいろな話題の引き出しを開けていった。  二、三時間が経った。アゼレアに会いに来たとき部屋に差し込んでいた日差しも消えたころ、ダリアは「また来るね」と腰を上げた。アゼレアがベッドから立ち上がろうとするのをダリアは必死に止め、足早に部屋を後にした。けれど城へと近づくにつれてダリアの足取りは少しずつ重くなった。なぜならアゼレアの体をベッドに押しもどすとき、また彼女の体が軽くなっていたことに、ショックを受けたからだった。
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