第一章 ダリア姫の不安

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 いつも城の中でダリアは、時間が経つのをおそろしく遅いように感じていた。それだけ毎日が退屈だった。その大きな原因は家庭教師が毎日、三人から四人、ダリアの勉強を見ているからだった。それも昼食のあとから日がどっぷりと暮れる夜まで。けれど、それだけ成人目前のダリアには、多くのことを勉強する必要があった。  しかしダリアにはどうしても「親友の具合が悪いこと」という大問題が心に引っかかっていた。そのせいで最近は集中力に欠ける日々だった。事情を知ってダリアに同情的な家庭教師もいたが、ほとんどは国王からの信頼があっての教職ゆえ、失敗は許されないとばかりに、ダリアにきつく指導した。するとダリアもだんだんと反抗的になり、授業をサボるという悪循環だった。  ダリアは読書と語学の勉強は好きだったけれど、歴史や数学などは嫌いで、たびたび城内の図書室に逃げ込んで授業の時間をしのいでいた。しかし図書室での籠城がばれてからは図書室への入室を制限されてしまった。  ダリアは成人になることへの期待を膨らませる日々を送る中、思い通りにもならない大人への反抗心も少しずつ大きくなっていた。とくに今日のダリアの心中はひどく荒れていた。アゼレアのお見舞いのあとは、いつも気持ちがすさんでいる。まるで梅雨の時期に十日も晴れ間を見ていないときのような、浮かない気持ちになってしまう。  そんな気分の今日、よりによってダリアとの相性がとくに悪い歴史の教師になったのも、ダリアの反抗心に追い打ちをかけていた。その家庭教師は四十歳近い神経質な男性で、骨のようにひょろひょろとした体つきをしている。しかし講義中はまるでダリアをいかくするように大きな声を出し、さらにはビリビリと強い圧力を発することから、ダリアは彼を「ミスターカミナリ」と心の中で呼んでいた。 「聞いているのですか、ダリアさま!」 「はいはい、聞いてる聞いてる」 「それでは、今、わたくしが説明した英雄の名前をお答えなさい」  心の中で(そんなの知らない)と舌を出す。あっかんべーとしているのは心の中なのに、なぜかミスターカミナリはそれが見えたかのように「ダリアさま!」と怒鳴る。  ダリアはミスターカミナリが度の強いメガネを外した、その一瞬の隙を突いて、講義用に利用している応接室から脱兎のごとく逃げ出した。  足の速さと身軽さでダリアに敵うものは、少なくともこの城内にはいない。  ミスターカミナリもだいぶ遅れてドスドスと走ってきては、ダリアがかくれていた柱の真横を勢いよく過ぎ去った。そのままゼエゼエと走りながら、見当違いのどこかへと探しに行ってしまう。 「ふふっ、いい気味ね」  ダリアは少しだけ胸がすくような気持ちを感じながら、城内を歩き出した。しばらくはフラフラと目的なく歩いていたが、ふと弟の部屋に遊びに行ってみようと思いついた。  弟のユカリプ王子は十歳になったばかりながら、すでにダリア以上の学問を勉強している。そのうえ帝王学や武道を学ぶ日々を送っているのだが、ダリアとは授業時間がずれていることが多い。ダリアが家庭教師の講義を受けている時間に、ユカリプが休息や城外へ外出をしているのだと聞いていた。ならばこの時間帯は、本来ならダリアが授業を受けている時間なのだから、弟は自由時間のはずだ――とダリアはほくそ笑んだ。  ダリアはこれまでにも「私の授業中にユカリプに会いに行けば、少しは会話ができるはず」と、家庭教師の目をくぐっては弟に会いにいっていた。もちろん父親や教師たちはいい顔をしない。だが、年の近い家族である弟とは、たがいに仲が良く慕い合っていたので、食事の時間以外に顔を合わせられない日々をダリアは不満に感じていたのだ。  ダリアはミスターカミナリと鉢合わせないように遠回りをしながら、弟の部屋に向かった。ダリアと違って次期国王である弟は、宮殿に住む国王の部屋にほど近い一室を使っている。そのとびらにノックしようと手をかかげると、とびらがわずかに開いたままだったのに気付いた。  ユカリプはダリアと違って几帳面な性格で、とびらを開ければ閉める、はじめたことは終わりまで、という徹底さを持っている。そんな彼の部屋の入り口が開いたままというときは、たいていだれかが部屋に入ってきているときだ。ダリアは思わずツバを飲みこんで、音をたてないようにとびらのそばに近づいた。 「――お前には先に伝えておこうと思って……」  ユカリプの部屋から聞こえたのは父の国王の声だった。 「反対です、絶対に! なぜ、ダリアお姉さまが――」  廊下まで響くような大きな声は、ユカリプのものだ。それより、なぜここにいないはずの自分の名前が出てきたのだ? ダリアは息を殺すように続きを待った。 「すでに遅いのだ。迎えの『レッド・オーガ』も来てしまった。今からでは代わりの者を探すことができない」 「『レッド・オーガ』が? ですが、それはさんざん昔話だと言ったではないですか!」 「昔話ということにして幼いころから話して聞かせる――それが代々の決まりだったのだ」  昔話、それに『レッド・オーガ』という単語。  ダリアは小さいころに聞かされていた一つの昔話を思い出した。 「湖底楼と赤鬼の伝説……」
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