ある世界の、ある国の、ある一組の夫婦の話

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ある世界の、ある国の、ある一組の夫婦の話

 地球ではない、クィダマードという名の世界の、ウイティク王国という名の国で、今日、一組の夫婦が誕生した。  今年で十七歳になる、ウイティクの第二王女、アイラエラ。それと、ウイティクにいくつかあるうちの一つの公爵家の長男、マクル・グリエント。二十歳になる彼との婚礼だ。  今は夜中。昼間に盛大に行われた結婚式も、その後のパーティーもとうに終わり、グリエント公爵家の、彼らのための寝室で閨を終わらせた二人は、互いに体を休めるようにベッドに横になっていた。 「……ねえ」  静寂の中、アイラエラが口を開く。 「あなたは、この運命をどう思ってるの。どう受け入れたの」  彼女の言葉に、マクルは体ごと彼女へ向き直る。 「どういう意味だ?」 「そのままの意味よ。……私は、生まれる前から人生を決められていた。生まれるのが王子であれば、他国の姫を娶る。王女であれば、この家に降嫁する。決められていたこと、定められていたことよ。そして生まれたのが私だった。あなたは三歳の時に、人生をともにする──いえ、しなければならない人間を決められた」  アイラエラは淡々と、抑揚のない声で喋る。それを聞いたマクルは、 「──俺が、嫌か」 「いいえ。……いいえ」  アイラエラの声に力がこもった。アイラエラもマクルへ体を向け、愛らしい顔を少し、睨むような表情へと変化させる。 「私はあなたが好きよ。あなたに初めて会った三歳の時のこと、よく覚えてるわ。黒髪が窓から差し込む陽の光を反射して、煌めいていて。青いその瞳を眺めていたら、吸い込まれそうな気分になった。この人が運命の人なんだって、そう思ったわ。……けど」  アイラエラは体を起こし、 「あなた、……あなたは、私のことなど好きではないでしょう……?」  震える声でそう言うと、顔を両手で覆った。 「アイラ」  マクルも身を起こし、震える彼女を抱きしめる。 「俺は君が好きだ。そこに嘘はない」 「……いいえ、嘘よ」 「嘘じゃない」 「嘘よ!」  アイラエラは悲鳴のように叫ぶと、マクルの腕から抜け出そうとする。けれどマクルは抱きしめるその腕に力を込め、それを阻止した。 「……離してよ」 「嫌だ。今離したら、取り返しのつかないことになる。──アイラ、俺は君を愛してる。なのに、何をどうして、俺が君を好きじゃないなんて話になるんだ」  僅かに怒気の込められた声で問われ、 「いいのよ……もう、良いの。私はもう、王女じゃない。あなたの妻よ、あなたのものよ。……もう、正直になってくれて良いのよ……」  アイラエラのその小さな声に、言葉に、マクルは整った顔を歪め、 「……俺の愛は、君には何一つ伝わってなかったってことか?」  そう言うと、腕を離し、アイラエラの長く指通りの良い金の髪に指を通し、一房取ってキスを落とすと、アイラエラの両腕を掴み、 「アイラ、顔を見せてくれ」  そっと、顔から手を外そうとする。アイラエラは抵抗するでもなく、その動きに応じた。けれど俯いた彼女の顔は、マクルには見えない。 「アイラ」  マクルは懇願するような声とともに、アイラエラの顔に右手を添え、優しい手付きで上向かせる。  自分へと向いた彼女の頬には涙の跡があり、その表情は、何かを諦めたようなものに見えた。 「……アイラ」  何も言わない彼女へ、マクルは叱るような口調で言う。 「君はこれまで、俺がどれだけ君を愛しているか、君と引き離されたくなかったか、君との未来を夢想したか、何も分かっていないらしいな」 「引き、離す……?」 「そうだ。君が一言、俺じゃ嫌だと言えば、君の婚約者は俺ではなくなり、弟たちのどちらかが君の婚約者になっただろう。俺はそれを恐れた。良き婚約者であろうとした。君の機嫌を損ねたくなかった。君に愛されたかった」 「……私が……あなた以外を選ぶ訳ないじゃない……」 「そんな風に言ってくれるならどうして。どうして俺が君を愛していないことになる」 「だって……だってマクル、あなた、……いつも私から一歩引いていたじゃない……。笑顔が硬かったじゃない。いつも私の顔色を窺ってたじゃない!」  アイラエラはマクルの手を振り払うと、緑の瞳からぽろぽろと涙を流しながら、怒ったような顔で、絶望したような顔で、その涙の溜まった瞳をマクルへ向ける。 「今日も、ええ、そう! 今日も! あなたは私に一線を引いてたわ……! 私とあなたの結婚式なのに! 私とあなたが夫婦になる日なのに! 一線を引いた態度で、硬い微笑みを顔に貼り付けて! ねえ、それを見た私の心の内が分かる?! 確信したわ。あなたはただ、任務をこなすためだけにここに居るのだと。今日のことも、今日までの全て何もかも! 家のためにやってるって!」 「違う!」 「何が違うの?! 教えてよ! 私を愛してるというなら、どうしてあんな態度を取ったか教えてよ! どういう気持ちで私を抱いたか教えてよ!」 「……それは……」  口ごもったマクルへ、アイラエラは 「ほら、言えないでしょう?! 本当は愛してないからだって、だからあんな態度を取ったって──」 「違う! だから愛してる! 態度は、……態度は、緊張、していた、から……」 「緊張?! あなたが?! 全てをそつなくこなすあなたが?! お父様とも余裕な態度を崩さず話すあなたが?! 嘘も大概に──」 「嘘じゃない! 君は何も分かってない! 俺がどれだけこの日を待ちわびていたか! やっと、やっと君が俺の妻になると! 踊り出したいほどに嬉しかった! 神に感謝した! もう、何度も見てるのに、婚礼衣装を着た君に見惚れた……そう、だから、何も失敗してはならないと、この特別な日に汚点を残さないようにと、そう思ったら緊張して、あれが精一杯だったんだ。今まで生きてきて一番……いや、二番目に緊張した。不甲斐ないとは思う。けどあれが、俺の精一杯だったんだ。信じてくれ」 「二番目って、一番緊張したのは、いつの何によ」  睨みながら言われたそれに、マクルは一瞬息を詰め、頬を薄赤くし、 「……さっき……」 「さっき?」 「……君、と、閨を、ともにした、時、が……」  視線を逸らしながら言われたそれに、アイラエラは奇妙な顔つきになる。 「……あれが?」 「悪かったな……!」  悔しげに言われるが、だが、あれは、アイラエラにとって。 「とても堂々としてたように思えたけれど?」 「頑張ったんだよ……! 君を傷つけないように、君に嫌な思いをさせないようにって……! ああ、もう、俺がどれだけ緊張してたか分かるか?! どれだけ気持ちを抑え込んでいたか分かるか?!」 「抑え込む……?」 「そうだよ抑えてたんだ! じゃなきゃ俺は獣のように君を貪ってたに違いないからな! ……ああもうなんでこんなこと言わなきゃならないんだ……!」  顔を真っ赤にするマクルを見て、アイラエラはきょとんとしたあと、 「……は?」  目を見開き、こちらも顔を赤くした。 「む、貪っ……?! ま、待ってよ、嘘でしょう? あなたが私に、そんな情熱を向けるなんてあり得ないわ──っ?!」  瞬間、アイラエラは押し倒され、その唇に、深く口付けをされた。 「んっ、んん……! んぅっ!」  抵抗しようとしたアイラエラは、その両手を掴まれベッドに押し付けられることで、されるがままになってしまう。  婚礼の時の誓いのキスとも、さっきのとも違う、滾る熱を孕んだ、蹂躙されるようなそれ。しかめられたマクルの視線とばっちり目が合ってしまい、アイラエラは恥ずかしさを覚え、思わず目を閉じた。 「んっ! んんっ……ンっ……!」  体が、その芯が、溶けていく感覚を覚え、アイラエラは無意識に、それに身を委ねる。  それから、どれくらい経ったか。 「っ、ハァ……」  マクルの、絡みついていた舌が緩み、口が離れる。アイラエラがそっと目を開けると、憮然とした表情が目の前にあった。 「少しは、信じたか」 「……え……?」 「俺が君を愛していることを。どれだけ欲を抑え込んでいたかを。けど、こんなの、まだほんの一部だ」  そう言うマクルの片手が、アイラエラの腕から離れ、アイラエラの腰に触れた。 「っ!」  ぴくんっ、と体を震わせてしまったアイラエラは、これから、マクルがどうするかを想像してしまって、あり得ないという思いとともに、その顔を見返した。 「……それは、どこまでが本音?」 「まだそう言うのか。……なら、容赦しない」 「え、……え、まっ、」  そこから、アイラエラは半強制的に、快楽の海に引きずり込まれた。溺れるような感覚。一時(いっとき)浮上し、最低限の息継ぎをして、また、溺れる。それが何度も繰り返される。乱暴に扱われているように思いたいのに、その手つきはどこまでも、優しく、慈しむもので。  自分の喘ぐ声をどこか遠くに聞きながら、アイラエラはマクルの名を何度も呼んだ。彼の体に縋りついた。  やがて、波が引き、最後に優しくキスをされ、抱きしめられた体勢で、アイラエラは体の力を抜く。 「アイラ、愛してる」  その、艶のある声はアイラエラの耳朶を痺れさせ、腹の奥を疼かせる。  ──私も、愛してる。  言おうとして、そこでやっと声がうまく出せないほどに喉を使ってしまったことに気づいたアイラエラは、ぎゅう、とマクルを抱きしめることでそれに応えた。そしてまた、マクルもそれに応え返すように、アイラエラを抱きしめる。  アイラエラ、そしてマクル。生まれる前から互いの人生の相手を決められていた彼らは、幸運にもその人生の相手を好いた。だが不幸にも、互いの愛は相手には通じていなかった。互いに互いを愛し、けれどすれ違っていた彼らは、今、やっと、その想いを受け止め、愛し合うことが出来た。  これから、その愛が、絆がどうなるか。太く強くなるか、またすれ違い千切れるか。  それは誰にも、彼らにも分からない。  けれど彼らがこの絆を大切にするだろうことは、確かな事実として、ここにある。
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