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憶えていますか、去年の春。
さくらがいつもより早く咲き、早く散り、不自然な季節の流れの中、お花見ものんびりできなかった、あの頃の事です。
明くんの大事な人、大好きだったおばあちゃんが急に亡くなってしまいました。
一緒に暮らす家族が死んでしまうのは、小学五年生の明くんにとって、初めての経験です。
始め、おばあちゃんは軽いカゼをひいた様子でした。だから、明くんもすぐ直ると安心していたのです。
なのに奥の部屋で寝ていたら、熱がだんだん上がってしまう。かけつけたお医者さんの話だと、肺炎と言う怖い病気を引き起こしてしまったそうです。
最後まで明くんは側についていたかったけれど、それは叶いませんでした。
「肺の中に少し水が入ってしまってね。家だと苦しみを減らせないから」
おばあちゃんが救急車で病院へ運ばれる時、お母さんはそう明くんに言いました。
安らかな形で済まない、苦しみの中の最期かもしれない。そんな姿を孫に見せたくないと、おばあちゃん自身が望んだそうです。
確かに明くんには、おばあちゃんの楽しそうな表情の思い出しかありません。
ずっと栃木の山奥にある一軒家で暮らしていたおばあちゃんが、東京の明くんの家へお引越ししたのは四年前の事。
広いお庭の畑を耕す間に転んでしまい、足の骨を折ったのがきっかけだそうです。
一階奥の和室で、ひっそりと一日を過ごすおばあちゃんへ晩御飯を運ぶのは明くんの役目。
役目といっても、しぶしぶ仕方なくやっていた訳ではありませんよ。むしろ明くんは楽しかったのです。
時々お小遣いをくれたし、田舎に古くから伝わる不思議な話をたくさん聞かせてくれました。
だから、家族の中でもそばにいる時間が一番長かったはずで、おばあちゃんは明くんの前では、いつもニコニコ、おだやかな笑顔を浮かべていました。
でも足は治らず、ずっと立てないまま。
おばあちゃんが無理に明るくふるまっている気がして、明くんは心配でした。
東京には知り合いがおらず、ヘルパーのおばさん以外、誰か訪ねてくる事も無かったのですから。
「おばあちゃん、寂しくない?」
まだおばあちゃんが元気だった頃、明くんは聞いてみた事があります。
「いいえ、お友達が沢山いるもの」
いつものおだやかな笑顔で、すぐ返事が返って来ます。
驚いた明くんが目を丸くすると、おばあちゃんは枕元に置かれている色あせた風呂敷包みを開きました。
中に入っているのは、小さな鏡。
全体が銅で作られており、村を守る長だったという故郷の実家に代々受け継がれてきた古い、古い鏡です。
「ほ~ら、ごらんなさい。この中にお友達の顔が見えるでしょ」
そう言い、鏡を目の前にかざされた明くんは、よく手入れされたピカピカの表面を覗いてみました。
「ん~、ぼく、自分の顔しか見えないけど」
「そりゃそうよね、鏡ですもの。でも、こうすると……」
おまじないのような不思議な手の動きの後、少し角度をつけた鏡を見ると、映る顔の輪郭がぼけ、何か自分なのに自分の顔じゃないように思えます。
「あれっ? 変な感じ」
「フフ、初めて見た時はそうでしょうね。だけど、何度もやり直して、コツをつかんでくると」
おばあちゃん、今度は鏡を自分の方へ向け、ゆっくり角度を変えて行きます。すると、映る姿が大きくぼやけ、いつもと全然違うおばあちゃんが見えました。
いかめしい銀ぶち眼鏡をかけ、おだやかな笑みどころか、ニコリともしないガンコそうな顔。背景も明くんの家とは全然違う場所でした。大学かどこかの研究室みたいに見えます。
「あ、これ、どうなってるの!?」
「ふふっ、これはね、今、あなたの前にいる私とは違う生き方をした私の姿」
おばあちゃんは又、チラリと鏡の角度を変えてみます。
すると、今度はおんぼろタイプライターの前に座り、ウンウン、うなりながら原稿を書いているおばあちゃんの姿が見えました。
「わぁ、手品みたい!」
「いえ、この中に映る姿は、手品の中のにせものとは違います」
「にせものじゃない? じゃ、全部本物?」
「ええ。この鏡には不思議な力があるの。長い時を経てきた道具に魂が生まれ、発する神通力で魔法の角度を生み出す」
「魔法の角度? それ、どんな?」
「あたしたちが暮らす世界とそっくりだけれど、少しだけ違う世界を見せてくれるのよ。違う時の流れ方をし、違う歴史や現実ができあがった世界」
「へぇ」
時々遊ぶスマホのネットゲームで、似た話が出てきたのを明くんは思い出しました。
確か、パラレルワールド? ん~、今はマルチバースって言うんだっけ?
それにしても不思議です。田舎に古くから伝わる鏡に、今、若い人が夢中のゲームとそっくりな伝説があるなんて……
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