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七人が「元の世界の明くん」の部屋へ一度に集まり、ギュウギュウ詰めで、しばらく気まずい沈黙が続いた後、
「親がいなくなった仲間を、何もせず、見捨てるのだけはいやだよな」
「運動の得意な明くん」が、最初に言い出します。
「算数の得意な明くん」には、他のみんなも何かとお世話になっていて、七人の中でも人気があったのです。
「でも、だからってどうするの? そんな安っぽい同情じゃなく、これからのみんながどう協力するか、決めようよ」
リーダーぶった口振りで「元の世界の明くん」が言うと、周りの「明くん」達は口をつぐみました。
そして、間をおかず、反抗的な目が一斉にこちらへ飛んできます。
「元の世界の明くん」がわがままに振舞った結果、「算数の明くん」の両親が事故にあってしまった。
その事実を今や「明くん」全員が知っており、腹を立てているみたいです。
何だよ、いい子ぶって。ぼくに逆らうなんて、許せない。
そこで一言あやまれば良いのに、「元の世界の明くん」は素直な気持ちになれません。逆に、わざと意地悪そうな声を出しました。
「そんなに仲間を助けたいなら、誰か交代してやれば良いじゃん」
「どうやって?」
「全員が同じ顔してるんだから、入れ替われば、その世界の誰も気づかないよ」
「一人が身代わりで、親の無い子供になれっていうの?」
「あぁ、誰か、この中で一番役に立たない奴を決めて、そいつと入れ替われば……」
そこまで言ってから、「元の世界の明くん」はハッとしました。
自分以外の「明くん」が全員、これまでにない冷たい眼差しをこちらの方へ向けています。
「おい、そんな目でぼくを見るな!」
「ふふ、だってさ、この中で一番取り柄が無いのは君じゃんか?」
「面倒な事があると、いつも他の誰かにやらせて、自分だけ遊んでいるもんなぁ」
やばい! 「元の世界の明くん」は、自分の額に滲む冷や汗を感じました。
「でも、でもさ……おばあちゃんから貰った銅の鏡と鏡台はぼくのものだ。みんな、これがないと困るんじゃない?」
いつもの決め台詞です。
これまでなら誰も逆らえなくなったし、この時にせよ、部屋の中で騒ぐ声が一度は静かになったのですが、
「そうだね、困るよ」
ずっと黙っていた「算数の得意な明くん」が初めて口を開きました。
「だけど、もうこれの使い方は、ここにいる誰もが知ってるよね」
「え?」
「だから、鏡と鏡台さえあれば、君なんて要らない」
「そんな……冗談でしょ!」
言葉もなく、じりじり迫る七人の目は、ふざけているようには見えません。
思わず「元の世界の明くん」は机に置いた銅鏡の風呂敷包みを掴み、部屋から逃げ出そうとしました。それを他の「明くん」達が捕まえ、争いの中、一人が鏡台の方へつまづいて……
ガチャン! 大きな音がし、鏡台は後ろへ派手にひっくり返って、鏡の部分は割れてしまいました。
騒ぎを聞きつけたお母さんが、慌てて部屋へ入ってきますが、
「あ、おかあさん、ぼくなら大丈夫。少し悪ふざけして、鏡台、倒しちゃったんだ」
そう冷静な顔で答える明くんは、もう部屋の中に一人いるだけです。
他の世界の六人は、鏡台が壊れた瞬間、魔法の効力が失われ、鏡の割れ目へ吸い込まれてしまったのです。
「もう。だから、そんな古い鏡、早く捨てちゃいなさいって言ったでしょ」
「……ごめん」
「ちらかったお部屋、ちゃんと片づけておきなさいね」
そう言って、廊下へ出て行こうとしたお母さんの前に回り込み、明くんはしばらく無言で見つめました。
「ねぇ、お母さん」
「何?」
「ごめんなさい」
「何よ、急に謝ったりして……びっくりしちゃうでしょ」
「ボク、約束する。もう夜中に一人で出かけたりしないから、お母さん達も絶対何処かへ行かないで」
「ふふ、当たり前じゃない」
お母さんは半ば呆れ、半ば照れた様に微笑んで、部屋を出て行きました。
残った明くんは小さな溜息をつき、その場へ腰を下ろします。
そして床へ落ちたままの古い銅鏡を覗き、角度を変えて他の世界の「明くん」達が無事に自分の世界へ帰ったか、様子を見届けます。
あぁ、大丈夫。割れた鏡に吸い込まれた少年達は、何事も無かったように元の生活を続けています。
ただし、「算数の得意な明くん」の世界にだけは誰もいないようでした。
それもそのはず。今、この「元の世界」に残っている明くんこそ、「算数の明くん」なのです。
その後、この世界のお父さん、お母さんは前よりずっと素直になり、まじめに勉強する様になった息子に大喜びするのですが……
では、元々この世界にいた明くんはどうなったのでしょう?
割れた鏡の一かけらへ吸い込まれ、異次元の狭間へと落ちた後、「元の明くん」は懐かしい人と再会していました。
哀し気な瞳で、明くんをずっと見詰めていた、あのおばあちゃんです。
「あたしにとって鏡の中の世界は、過ぎ去った過去を振返り、今の人生をかみしめる為のもの。明ちゃんにも自分の未来を広げる役に立ててほしかったけれど」
うつむくおばあちゃんの瞳から涙があふれ、次元の裂け目へこぼれ落ちる間、澄んだ光を放ちました。
おばあちゃんが泣いている姿を、明くんが見たのはそれが初めてです。そして、その姿は少しずつ遠ざかり、消えていきます。
異次元の狭間と言えど、死んだ人の心がとどまれる時間は決して長くないのでしょう。
「おばあちゃん、助けてよ。ぼく、どうしたら、元の世界へ戻れるの?」
明くんは必死で尋ねました。
「道に迷ったら、結局、自分で探すしかないわ。たとえ、どんなに時間がかかっても、今度こそ本当の道を、あなたの選ぶべき本当の可能性を見つけて」
「おばあちゃん!」
明くんの叫びは届かず、誰もいなくなった闇の奥へ響きました。
他の世界の「明くん」達と連絡を取る方法も、すでに有りません。行く当てもなく、明くんは次元の裂け目、無限にある可能性の迷路を歩きだすしかないのです。
果たして、それから明くんは何処へ行ったのでしょう?
もし興味があるなら、家の中にある一番古い鏡を二枚使って、夜中、合わせ鏡にしてみて下さい。
あなたの背後の鏡から、微かに明くんの言葉が聞こえてくるかもしれません。
「あけて。お願いだから、ぼくをここから出して」
闇より暗い鏡の奥から、何度も何度も繰り返される少年の哀しい声を……
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