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『トモちゃん、一緒に帰ろう』
聡子が声をかけてきた。予備校が終わって、聡子は出口で私を待っていてくれ
た。
同じ予備校に通っているのを知ったのは、塾の初日だった。廊下でばったり
会ったからだった。
最寄りの駅まではガラの悪い所もあるので、夜遅く一人で帰るのがいやなのかと思った。
それでも声をかけてくれたことは嬉しかった。
聡子とは同じ高校に通っていたが、違うクラスだった。中学校から一緒になったが、同じクラスになったことはない。それでも聡子が同性からも異性からもモテモテだったのは知っている。
「〇〇さんは何クラス?」と知子は聞いてみた。聡子は2番目だよ、と答えた。
「前回よりも下がっちゃった。」と付けくわえる。ということは前回は1番目のクラスだったのか。
す、すごい。
「私は6番目なんだ。」
クラスは8クラスあった。
じゃあ、帰ろうかという時になって、塾の外はザアっと雨が降ってきた。知子はあわてた。
傘なんか持ってきていない。
聡子は学生鞄の中から折りたたみカサを取り出した。トモちゃんも入ってよ、と言ってくれた。
梅雨時期の土砂降りの雨である。
ほかにも困っている生徒が数人いたので、塾の先生がカサを貸してくれることになった。
「前に勤めとった先生が置きっぱなしにしとる。そのまま辞めてしもうたから、使え。返さなくてもええわ。」
知子は男物の骨組みが一部曲がったカサをかりて、ザアザア降っている外に出た。
知子は聡子と肌をぴったり合わすことなく帰れることに安堵した。いくらなんでも恥ずかしい。
「まったく、雨っていやよねえ。」と聡子に言った。
知子ははてっきり「うん、ほんとねえ。」という答えが返ってくるものだと思っていた。
しかし聡子は「ううん、私は雨が好きよ。」
知子はおどけて「風流だから?」と聞いてみた。
聡子は笑って、「本当、トモちゃんっておかしいこと言うわね。」
聡子はあえて変わっているとは言わない。思いやりがある。
雨足がさらにひどくなってきて、遠くでは雷が鳴っていた。
二人できゃあきゃあ言いながら夜遅い電車の便に乗り込んだ。
そして空いている席に並んで座った。
電車が発車して二駅目を越えたころだったろうか。
「さっきの話だけどね。」と突然話かけてきた。知子は塾のテキストをひざにひろげていたものの、半分寝かけていた。
(さっきの話・・・?)
「うん。雨が降が好きって話なんだけど、私が下りる駅って家から遠いの。」
知子はふむふむと聞いていた。いや私の住んでいるところも、駅から自宅までは距離があった。
塾の帰りはいつも母親が迎えにきてくれる。田舎ゆえに痴漢が出たという噂はないが、それでも母は心配してわざわざ歩きて迎えにきてくれる。
「ホンマ、娘が可愛くないんかいね!」
仕事から帰ってビールで出来上がってしまっている父の悪口を言うのを忘れない。自動車で来ればあっという間だと言うのだ。
知子はむしろ怒りっぽい父親に迎えに来てもらう方が勘弁してくれだった。
聡子の家族は違ったようだった。「雨が降った朝はお父さんが車で駅まで送ってくれるのよ。それがほっとするの。」
「優しいお父さんだね。うちの父は絶対そんなことしてくれないよ。」
てっきり聡子はお父さん子で、少しでもお父さんが優しくしてくれると嬉しいのかと思った。聡子の実家は醬油屋さんを営んでいて、老舗の何代目かにあたると聞いたことがある。上品なお父さんを想像した。
しかし聡子はそうじゃないけど・・・と言ったまま、それ以上は言わなかった。
「なによお、何か言いたいじゃないのお?」とツッコミを入れるほど親しいわけじゃないので、知子もそれ以上は聞かなかった。
知子は2・3回一緒に帰るようになると、聡子は「苗字で呼ぶのはやめてよ。」と言い、「みんな、私のことさとこって呼んでくれるんだから。」
友だち認定してくれたようだった。
私が下りる駅までいろんな話をした。聡子はさらに4つ駅が先だった。
聡子は小柄で可愛い子だったけれど、けっこう勝気で負けず嫌いなところがある。高校3年生になって、他の学校の生徒も本気モードになってきている。
聞けば高2の秋から予備校に通い始めたという。
クラスが下がったのも少なからずショックだった、頑張らなきゃ!と自分に喝を入れていた。英検の2級取得の勉強もしていた。
英語が苦手な知子にどうしたら成績が上がるかコツを教えてくれたりした。
「とにかく同じ問題を何度も何度も解くのよ。」とか、模擬テストは大事に取っておいて、どこが苦手なのかちゃんと分析して、苦手なところを勉強しなきゃとアドバイスをしてくれた。
聡子は知子にとってうらやましい存在だった。
同性から人気があるということは、友だちを作るのに骨を折るということもないだろう。なかなか友だちを作ることができなかった知子にとっては仲良くしてもらえるのは自分の価値も上がるような気がした。少しいい気になっていた。
しかし、ある日知子はいやな思いをすることになった。
知子はみっちゃんという女の子に変なことを言われたのだった。
その日、知子はいつも通り帰宅の途につこうとして下駄箱にいた。
みっちゃんという子が、「おう〇〇」と知子の苗字を呼んだ。
知子はえっと思った。苗字を呼び捨てにするのは、クラスメイトの男子か先生にしかされたことがなかった。みっちゃんはあきらかに知子を下に見ていた。
「お前、一人か?」天然パーマのみっちゃんは男っぽかった。
みっちゃんは今の状況を聞いているのか、それとも知子が登下校でぼっちになっていることを指摘しているのだろうか。
なんてことを言うんだろうか。確かに知子は高2の二学期から、一緒に帰ってくれていた友だちが転校してしまい、それ以来、登下校は一人である。同郷の同級生のどのグループからは声をかけてもらえなかったことをすごく気にしていたのだ。「いつも、そうだけど。」
みっちゃんは鼻で笑った。
「お前、最近、さとこと一緒に帰ることがあるだろう。」
「それがどうしたの?」
「いや、何でもないよ。」とみっちゃんはニヤニヤ笑う。
同じ塾に通っていて、その帰りが一緒なことぐらいみんなには知られているだろう。なんせ自分たちは田舎から都会の高校に通っているのだ。ささいなことでもすぐ噂になるのだ。
知子は普段はおとなしいが、こういった時、ムクムクと対抗心がわいてくる。
「さとこにあんまり迷惑かけんなよ。」とみっちゃんはえらそうに知子に言った。
「なによ、なにが迷惑なのよ。迷惑だって思っている人が今度一緒に映画に行こうって誘ってくる?」
と知子は言いかけてはっとした。何かこれを言ったらまずいような予感がしたからだった。
知子は言葉を飲み込んで、みっちゃんの攻撃に降参することにした。
下手に出るようなことを言ってなだめて、みっちゃんをかわして、帰路につくことにした。
とぼとぼと歩いていくと、一人なのが無性にさびしくなった。
それにしても、なんでみっちゃんは急に声をかけてきたのだろうか。
いつも聡子と一緒に通学しているグループのうちの一人だから、大好きな聡子を取られているような気がして気に入らないだろうか。この手の経験は知子は小学校の高学年の時に経験があるのでわからないでもない。しかし、もう自分たちは受験生である。
同級生の中には、卒業して社会人になる子もいるのだ。みんなしっかりしてきている。
あまりにも子供じみていると腹も立ってきた。
その次の日は予備校の日だった。生き帰りの道中で、知子はいっさい聡子にはこのことは言わなかった。聡子は映画を見るのが好きで、先週の土曜日には『トップ・ガン』を学校帰りに見に行った話をした。こないだ約束した通り今度映画を見に一緒に行こうねと楽しそうにしゃべってくれる。英語のヒアリングの勉強にもなるから、と。知子はだんだん元気を取りもどして聡子と束の
間のおしゃべりを楽しんだのだった。
こうして、知子の受験生活は勉強をすることは除いて、充実してものになっていた。
クラブ活動もバスケットボール部に入っても長続きせず、凹んでいて、およそ青春らしいことも何も起こらず、クラスの友だちとも薄い関係だったところへ、最後の最後で楽しく過ごすことができたのだった。おまけに英語の成績もアップして何とか志望校へ合格することができた。
数年後、学業を終えた知子は一般企業に就職し、聡子は得意な英語力を生かして空港でグランドホステスとして仕事をしているということを風の便りで知った。
そしてさらに同郷の噂好きの同級生からより詳しく聞くことになった。
「あの子、可愛いからね、何でも職場の先輩に言い寄られて大変だったらしいよ。帰り道つけられり、手紙もらったり、上司がそいつを転勤させったって聞いたわ。」
美咲は電話友だちだった。いろんな噂話を教えてくれる子だった。
友だちの多い子なので、余裕があり、知子のような非社交的なタイプでも気楽に相手にしてくれている。
「昔っからそうなのよね、聡子ちゃんってさ。小学生の頃から近所のみっちゃんにつきまとわれてさ。」
「へ?」と知子は間抜けな声を出した。
「みっちゃんって、女じゃん!」
「そうだよ。」
美咲は聡子とは同じ小学校で、幼なじみでもあった。もちろんみっちゃんもである。小学校は1クラスしかなかったから、6年間一緒だった。やれ聡子は男の子に人気があっただの、何々君が好きだっただの、少し憎々し気に語っていた。知子は「美咲ちゃんだって中学、高校とモテモテだったじゃない。美咲ちゃんが廊下を歩くと、何人も男の子が声かけてたじゃん。」
と持ち上げると、美咲はクっクっと笑って。
「私はおしゃべりだから、みんなが面白がって話しかけてくれただけだよ。」と言いつつ、まんざらでもない風だった。
実際美咲は大柄で派手な美人だった。彼氏もとっかえひっかえだった。
美咲は話を続けた。聡子の家から駅に向かって近い所にみっちゃんの家がある。
みっちゃんは電車通学になった中学生になった頃から、聡子が家の前を通るのをみはからって、家をでるようにしていたという。薄く窓をあけていてじーっと見て家を出るタイミングをはかっていたらしい。
「きゃあ、怖い!」
「でしょーっ」
仲が良かったら、聡子がみっちゃんに毎朝声をかけるだけでいいじゃん、でも聡子ちゃんは一緒に行動するの嫌だったらしいよ。高校も同じところ選ばれてうんざりしていらしいよ。」
知子は数年前の聡子ちゃんが言った『雨が好き』という言葉を思い出した。
雨が降ればお父さんが駅まで送ってくれる。そのおかげでみっちゃんと二人きりになることはない。
美咲が言うには小学生の頃、みっちゃんは気に入った女の子がいたら胸を触っていたらしい。
それも軽くタッチというレベルではなく、かなりねっちこい動作をしていたという。
それは中学生になっても続いていて、美人で評判だった他の同級生の何々さん、誰々さんもやられていたのよね~と美咲は言った。
聡子はそれがいやでいやでたまらなかったらしい。
聡子は大学生になってやっとみっちゃんから逃れられてホッとしたらしい。
「聡子はみっちゃんから逃れたいために、みっちゃんの成績では受かりっこない女子大をめざして猛勉強したんだよ。みっちゃんもなかなか成績は良かったので同じ大学に来られたらどうしようかと悩んでたんだって。」
初めて聞く話で知子は驚いた。しかし人の悪口を言ったのを聡子から聞いたことがなかったので、打ち明けてもらえなかったのをさみしくも感じた。
結果はみっちゃんは受からなかった。その後、みっちゃんは自分の成績で受かる短大に進学し、気を取り直して聡子に代わる可愛い女の子を追っかけているらしいと美咲は言った。
聡子とは塾の生き帰りだけの関係で、友だちになったけど、その間だけで終わってしまった。それはそれでいいじゃないかと納得しようとした。
ふと、あることを思い出した。
高校の卒業式が終わって、聡子が知子に近づいてきた。後ろにみっちゃんがくっついていたと記憶していて、聡子が知子に話しかけるのをじっと見はっていた。
内心(感じ悪いなあ)と思っていた。
聡子はさっと知子に手のひらに乗るような、可愛い包装がしてある小さな包みを渡してくれた。
「え?」と言う間もなく、聡子はさっと去っていった。
家に帰ってその包みを開けると、メッセージカードも何もなくて、可愛らしいハンカチが入っていた。
そしてそのハンカチの柄には傘のマークが入っていた。
知子はびっくりした。自分は何も聡子に渡していない。さんざん悩んだ末、卒業アルバムに書いてあった聡子の家に電話することにした。
どきどきしながらコール音を聞いて、しばらくしてから誰かが出た。よかった聡子だった。
「あ、あの。」
知子はしどろもどろになりながらお礼を言った。しかし聡子とは話は弾まなかった。
大学に入ったらどんなサークルに入るとか、いろいろ話をしようと思っていたので知子は困ってしまった。違う大学に行っても友だちでいましょうね、とか自分の側から言う勇気はなかった。
「じゃあ、元気でね。」と電話を切ろうとすると、
聡子は「私、トモちゃんと一緒に帰った時が一番楽しかったよ。・・・・でも私は思いきる。」
知子が何か言う間もなく、電話を切ったのだった。
知子は呆然としてしまった。しかも最後の言葉の意味は何だったのだろうか。
そんな不思議なことがあったことを知子は思い出していた。
しかしこのことを美咲に言って一緒に考えてもらおうなんて気はさらさらなかった。
『私は雨が好き』
聡子の甘い声をふっと思い出し、知子は何かせつない気にさせられたのだった。
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