くじら肉

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 小学3年生の頃の出来事である。 『犯人は犯行現場に必ず、再び現れる』 当時よくテレビで放送していた刑事もののドラマでよく刑事が言っていたセリフだった。  その頃小学3年生だった知子(ともこ)がこの言葉をよく覚えていたのは、よく繰り返しでてきた決め台詞だったからだと思う。へえ~そうなのかあと思っていた。  まさか自分が同じような行動をしてしまうとは想像もしていなかった。  知子にはほとんど好き嫌いはない。逆に食い意地がはっていてよく食べるタイプだ。  そんな中、給食に出てきたメニューの中で、唯一と言っていいくらいクジラ肉が大嫌いだった。  クジラ肉の竜田揚げ、クジラ肉のケチャップ煮、給食に出てくるたびにどうやって食べるか悩んでいた。匂いはくさみがあり、肉の筋はぱさぱさしていて、一口入れるたびに吐き気がしそうだった。なるべくかまずに牛乳で流し込んで飲み込んでいた。当時の担当の先生はおばさん先生で、食べ残しには厳しかった。  このおばさん先生は10代で終戦を迎えた人で、ことある度に戦争体験を語るのが好きだった。その中の一つで、  『あのころは食べたくても食べられなかったのよ!それなのにあなたたちはぜいたくに育っている。給食は残さず全部食べなさい!!!』  知らんがな。戦争はじめた人に文句言ってくれ。  知子の通っていた小学校は次の月の給食の献立が掲示板に貼りだされる学校だった。貼りだされるやいなや、知子はすぐにクジラ肉のメニューがないかチェックしていた。あればがっかりし、なければホッとしていた。そのくらい嫌いだったのだった。  後年、そばアレルギーがある子供がそばを食べて亡くなってしまうといういたましい事件があったのだが、その頃はアレルギー云々は問題にはならなかった時代だった。いや、アレルギーがあっても、無理やり食べさせられていたのではないだろうか。死人が出て初めて『給食は残さず食べましょう』といったことがなくなったのではないだろうか。  知子はクジラ肉にアレルギーはなかったけれど、もしその頃アレルギーを引き合いに出すことができたら、間違いなく先生に言っていたはずだった。  その日は季節はいつだったのか覚えてはいなかった。運悪く、クジラ肉の献立のある月が巡ってきて、その日がやってくるまで知子は暗い気持ちになっていた。  しかも一番苦手なケチャップ煮だった。  ところがいつもとは違い、知子のクラスは理科室の実験室で給食を食べることになった。3、4時間目が理科で、実験道具を片付けてから教室に移動していると時間がなくなるというおばさん先生の意見で、大きな机に4、5人で班ごとに食べることになった。  その時、なぜか知子の目の前には誰も座っていなかった。隣に座っている人は離れていて、知子の様子をしっかり見られることはないと感じた。  どうしてもクジラ肉を食べたくなかった知子はあることをひらめいた。理科室の実験室の机には引き出しがあった。知子はクジラ肉を口にふくむ度に鼻水をかむふりをして、ティッシュで口のなかにふくんでいたクジラ肉をはきだし、クラスメイトが見ていないことを確認しつつ、その引き出しにこっそり入れたのだった。  吐き気がでそうな匂いで、口からクジラ肉をはきだしても、気分が悪くなりそうだったのを、牛乳で口のなかを『洗浄』した。ティッシュの塊は3つか4つで済んだ。というのも、クジラ肉の献立は、私には信じがたいことだったが、大人気だったので、あまりたくさんは出なかった。信じられないことにハンバーグ並の人気の献立だった。  知子は食べなくて済んだのでホッとした。あとで誰もいないのをみはからって、引き出しの中のクジラ肉をくるんだティッシュを回収して捨ててしまおうと思った。使わない理科室を鍵で閉めるなんて時代ではなかったので簡単に忍び込めるはずだった。  しかし回収はなかなか上手くいかなかった。休憩時間に理科室の実験室を除いていたら、他の学年が使う前の準備を先生がしていたり、理科室の前に誰かいたりして、2、3日過ぎてしまい、とうとう週をまたいでしまった。  するとだんだん知子はティッシュの回収などどうでもよくなってきて、ほったらかしにしてもいいかなという気持ちになってきた。理科室の実験室の引き出しはめったに開けることも、使うこともなかったのでバレる可能性は少ないと思っていた。  ところがである、そんな知子が冷や汗をかく事件が起こってしまった。 毎週月曜日の朝に朝礼がある。全校生徒の前で校長先生がお話をされる。その時の校長先生は清川校長先生で、私が唯一名前を憶えている校長先生である。話を短くしてくれるのでとても好きな校長先生だった。たまに時代遅れの話をするので、生徒がドン引きすることがあるが、まあ戦前生まれの校長先生なので仕方がない。  その日も校長先生の話はさっさと終わり、やれやれと思っていると、高学年の担任のとある先生が壇上に登った。注意することがあります、とその先生は話し始めた。  知子はいや~な予感がした。その先生が『理科室の・・・』と話しはじめたとたん、知子はサーっと血の気が引いた。引き出しの中に捨てたクジラ肉がばれたのだ!万事休す!と思った。  するとその先生は、「理科室のカーテンが一部黒焦げになってました。実験中にアルコールランプでいたずらした生徒がいます。火事になるから絶対やめるように!!」ということを言われたのだった。防火用のカーテンだったから火事にならなくてすんだということだった。  知子はクジラ肉のことではなかったことにホッとした半面、なんでこんな時にカーテンに火をつけるいたずらをするのだ!まぎらわしい!といたずらした生徒に腹を立てた。  自分のことは棚に上げて。  その日、休憩時間こっそり理科室に忍び込んだ知子は自分が座っていた机の引き出しをあけた。  見れば(当たり前だが)クジラ肉がくるまれているティッシュはまだあった。  その時にいつぞやテレビドラマでのナレーションが頭にぐるぐるまわった。 『犯人は必ず犯行現場に戻ってくる』これって本当のことなんだ!と思った。  急いでそれらを取り出すと、自分の教室のゴミ箱には捨てずに、校舎から離れたところにある焼却炉の中にそれらをほおりこんだのであった。二三日もすれば、用務の先生が燃やしてくれるだろう。  一件落着といったところだったが、これからまたクジラ肉の献立がでてくるのかと思うと憂うつ(ゆううつ)な気分になった。  ちなみにこの数年後、給食からはクジラ肉の献立が出ることはなくなった。  何でも諸外国から『捕鯨禁止(ほげいきんし)』を日本は国として迫られたからである。  ニュースや新聞の論調は『日本の食文化なのに!』という感じだったらしいが、知子は大喜びだった。クジラ肉が高級品となり、一部の料亭でしか食べられなくなったことを知ったが、あんなもん高いお金出して食べたくもないと大人になった今でも思っている。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加