第十二話 ワレスの迷宮

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 なるほど。ワレスは殺されたのかもしれない。  なぜなら、ここはおそらく死後の世界だ。でなければ、死んだルーシサスがいるはずもないし、殺された自分自身もながめられない。 (きっと、おれは知らないあいだに死んでしまって、自分の死体をあの世から見ているんだな)  ユイラの十二神教では、死と死後の安息を司るのは、デリサデーラ神だ。  では、ここはデリサデーラの世界なのだろうか?  死後の世界から魂となったワレスがまだ現世にさらされている自身の醜い(むくろ)を見おろしているのか? (無惨だな。女にさんざん貢がせてきた自慢の顔が半分になって。どこか高いところから落ちたんだっけ?)  思いだそうとすると、頭が痛くなる。しばらく、その疼痛(とうつう)のために、ワレスはうずくまった。  どのくらいかすぎて、気がつくと、ルーシサスがいなくなっていた。 「……ルーシィ? どこに行ったんだ?」  あわてて、ワレスはルーシサスを探す。  よく見れば、足元に石畳がある。これは街路だ。そう思って見れば、周囲には街灯が等間隔にならんでいる。知っている道のようだ。  ああ、そうだ。あのかどをまがれば、安価だが美味しいミートパイを売っている店があって、アパルトマンへの帰り道、よく買っていた。  となれば、ワレスは自宅へ戻る路上で倒れていたらしい。そこで暴漢に襲われたのか? でも、ふりかえると死体は消えていた。  急いでかどをまがる。すると、いつものパイの店には骸骨(がいこつ)がたむろしていた。カウンターのむこうにいる店主も、客も、全部、骸骨だ。  やはり、ここは死者の国らしい。ということは、ワレスの死体は消えたわけではない。ワレス自身が死体なのだ。  きっと、頭蓋骨の穴を大っぴらに道行く人々に見せびらかしているのだろうと思うと、とたんに恥ずかしくなる。  それは人目から隠さなければならない恥部だ。せめて、帽子はないだろうかと、キョロキョロする。今、ワレスに必要なのは美味しいミートパイではなく、恥ずかしい損壊(そんかい)部を隠してくれる帽子である。  ワレスは帽子屋を探して路地をひきかえした。いい帽子を買うためには、こんな下町ではダメだ。もっと上流階級地区へ行かなければ。  通りを何本も北へむかって、一流の店がならぶあたりへ来る。が、帽子屋は見つからない。  さ迷ううちに、皇都劇場までたどりついた。劇場として世界一の豪華さと権威を誇る、古代の神殿をモチーフにした建物。その前に、ワレスの知りあいがズラリとならんでいる。劇作家のリュックや二枚め役者のグランソワーズ、女優のロレーヌ、マリアンヌ、エルザなど。エキストラ役の大勢の女の子たちもいる。  その人物たちは一人ずつ手に手に薔薇の花を持っている。ニコニコ笑いながら、こっちに近づき、手にした薔薇をさしだしてきた。 「おめでとう」 「おめでとう。ワレス」 「よかったな」 「おめでとう」  作り笑いを浮かべて、薄気味悪い。 「おめでとうって、なんだ? おまえたち、何を言ってるんだ?」 「今日はおまえの長年の夢がやっと叶ったんじゃないか」 「そうよ。だから、おめでたいじゃない?」  リュックやロレーヌのおもてに刻まれた笑みは、しだいに邪悪に変化してきた。さしだされた花がワレスの手に渡ると、激しく痛む。よく見ると、それは花ではなく、ナイフだ。みんな、それぞれにナイフを持って襲いかかってきた。とたんに顔面の皮膚がはがれおち、その下から骸骨が現れる。  ワレスは声をあげ、逃げだした。ここにはいられない。反転したとき、背中を何ヶ所か刺されてしまった。ほんの小さなナイフだから致命傷ではないが、そこそこ痛い。  でも、あのなかにワレスを殺した犯人はいない。それほどの殺傷力を誰も持っていないと、なぜかわかった。  傷ついた体で逃げまどっていると、ダンスホールから顔見知りのジゴロが数人、走りだしてくる。それがみんな、リュックたちのようにナイフを持っている。とはいえ、それはひじょうに小さい。それでも刺されば痛みをともなうので、ワレスはさらに逃げた。  やがて、貴族の屋敷街まで到達する。そのなかでも、もっともなじみ深いラ・ベル侯爵邸が、ありえないほど巨大にそびえたっている。夜のなかで、そこだけは数えきれない光の泡に包まれていた。  むしょうにホッとした。あそこに行けば、ジョスリーヌが助けてくれるに違いない。  鉄柵を乗りこえ、プロムナードを這うようにして、遠い門まで進む。ようやく、車寄せの屋根の下へ入りこんだ。装飾的な(オーク)の扉を息もきれぎれにあける。  すると、目の前にワレスの死体がころがっていた。
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