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だが、星野は他の人に見えないように楓の手を掴んだ。
ゆっくり箱が上昇する中で、周りに聞こえないように小声で星野が囁く。
「……山下、今晩19時にタカノな」
「え?」
――ポンッ。
停止を知らせる音が響き、エレベーターから人が吐き出される。
星野も楓もその波に飲まれるように後に続く。並んで歩く楓に星野は話しかける。
「予定ないだろ?」
振られたばかりの楓に予定なんかあるわけない。
分かっていて聞いてくる星野を思わず睨みつける。
反対に星野は笑みを浮かべていた。柔和だが有無を言わさない押しの強い営業スマイル。
こういうモードの時の星野には逆らわない方が無難だ。伊達に同期で長く付き合っていない。
楓は黙って頷いた。
「奢るよ。他のやつにも声かけておく」
今度の笑みは素のやつ。安心したように笑うと定時で仕事終わらせろよ、と言いながら颯爽と去っていく星野に気づかれないようにそっとため息をついた。
三連休前の金曜日。集中しないと定時までに終わらない。
よし、と気合を入れて楓は自席に向かった。
仕事をしている少しの間だけだが、振られたことは忘れていられそうだ。
※
「あれ、ホッシーだけ?」
少し遅れて楓がタカノについた時、店にいたのは星野だけだった。
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