ボリスの覚悟

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ボリスの覚悟

 翌日はランバートをファウストに返した。あれも聞き分けはあるのだろうが長く嫁が離れると荒れるらしい。が、流石に数日ではそんなにならないとジト目をされてしまった。 「アルさん、まずこっちね」  お互い目立たない平民の格好をして歩く下町というのはなかなか新鮮だった。お付きにジョルジュもいるが全員が簡単な格好をしている。  案内と護衛をしているボリスは慣れた様子で下町の肉屋に案内する。そこに並んでいる焼き鳥は、なんだか既視感があった。 「なぁ、ボリス。あそこに並んでる焼き鳥って」 「あぁ、飲み会で出たんでしたっけ。陛下の隠れた行き付け店ですよ」  やっぱりか。いや、美味かったんだよな。肉は軟らかいのに表面カリッとしていて、味は甘塩っぱくて。  だがまさか、下町とは思わなかった。  アルヌールが記憶しているこの辺りはまだスラムで、馬車で通りかかっただけだ。カーライルも憂いていた。「なんとかしたい」と。  彼が即位して間もない頃もまだスラムだった。が、それから一年経たない頃に送られてきた手紙にはスラムがとある人物によって復興を始めたと書いてあった。  ロト・ヒンス。優しげな資産家の老人が気まぐれか何かの縁でかこの辺りの土地を買い取り、ここに住んでいた人々と共に立ち上がったという。  それが今ではこんなに賑やかで活気のある場所になっている。 「おっちゃん、チキンレックちょうだい」 「おっ、ボリスか。フェオの坊ちゃんは今日一緒じゃないのかい?」  ……ん? 「今日は俺が買い出し頼まれたんだ。お客さんくるからって」 「お客さん?」  不思議そうに首を傾げる老人の前にアルヌールは進み出てにっこりと笑った。 「初めまして、フェオの兄です」 「あぁ、あんたが! フェオ坊ちゃんから話は聞いてるよ。出来る兄ちゃんがいて家のことを全部してくれてるって」  快活な様子で笑う老人の言葉が何気に嬉しい。どうやらいい印象で話がされているらしい。  内心得意げな顔のアルヌールを、ボリスがジト目で見ている。 「そっか、兄ちゃん来てるからか」 「まぁ、そんなところで」 「偉いよな、あの子。貴族の坊ちゃんなのに一人で頑張れるように今勉強してるって、下町まで買い出しに来たりして。料理も頑張ってるって前に言ってたよ」 「ほぉ、料理」  なるほど、俺はまったくできない!  が、とても誇らしい気持ちになる。フェオドールは本当にこの帝国で独り立ちできるよう頑張っているのだろう。  アルヌールは次の王と決まっていたから接する相手は帝国の貴族が中心。帝国の学問を学び、縁を結ぶのが目的だった。  だがフェオはそんなものは背負ってこなかった。ここにはある意味を自分を見つけにきたのだろう。勿論恋人と一緒にいたいという思いはあるだろうが、それを抜いても自分の今後を決める大きな意味があったんだ。  ちゃんと見つけたんだな。やっぱり強い子だ。  買ったチキンレックの匂いが凶悪すぎる。メシを食べたとしても食べたくなる匂いというものはある。 「あの店の味を是非」 「それは無理みたいだよ。他は真似できてもタレは無理」 「秘伝というものか」 「いや、年月の問題。継ぎ足しているタレらしくてさ、その度に肉の旨みが溶け出してあの味なんだって」 「それは仕方がないな」  金で買えないものは多いものだ。仕方がない。 「それにしても、あの店主は自分の店が皇帝のお気に入りだって知らないのだろうな」 「知らせてないんだよ。そんなの聞いたらひっくり返るって」 「だろうな」  まぁ、いいんだろう。知らなくても多く愛されている店なんだから。  そのまま下町の市場を通り抜けて他の買い物をして貴族街へ。あの賑やかな町を見い居るからか随分静かに思える。それこそ、寂しいと思えるくらい。  フェオドールの家は貴族街の中でも浅い所でこぢんまりとした家だが、大事に手入れしているのが分かる家だった。  小さな前庭には小さな花と何故かトマトが植えてある。赤く実ったトマトが二つほどぶら下がっている。  一人暮らしでは少し大きいのだろうが、周囲の家と比べると小さい方。 「お手伝いさんは今日は断ってるらしいから」 「家政婦を断っているって……住み込みじゃないのか?」 「違うよ。最近じゃ週に一回くらいだって。最初は家の仕事を教えてもらうのに通って貰ってたみたいだけど、今じゃ殆ど出来るから週一回集中的にするためにって」  これはどうやら、思った以上に逞しくなっているようだ。  ボリスは勝手知ったるという様子で扉を開ける。その音に気づいたらしい足音がパタパタと近づいてきて、直ぐに顔を出した。 「フェオ、ただいま」 「ボリス、おかえり。悪い、買い物頼んで」 「なに言ってんの、この位当然でしょ? それよりさ」  ボリスが一歩脇に避けて場所を譲る。そうして此方を見たフェオドールは戸惑うような、困った顔をする。  でもそれはアルヌールも同じだ。思った以上に顔つきがしっかりした。綺麗だったすべすべの手は少し荒れて爪なんかもちょっと荒れている。甘ったれた顔は引き締まって強くなった。背も伸びたかもしれない。体つきまで腕や足に筋肉がついている。  知っているフェオドールは、まるで幼い頃の思い出みたいな距離になっていた。 「あの、兄上。お久しぶりです。本日は忙しい中来て頂きありが!」 「フェオ、大きくなったな!」  思わず抱きしめるとフェオドールは驚いた顔をしたあとで、アルヌールの胸に素直に身を置く。それは、知っている弟の姿だった。 「まずは上がってもらったら?」 「あぁ、そうだな! 兄上もジョルジュもこっちに。あまりお構いは出来ないけれど」  先に立って案内するフェオドールは照れている感じがする。可愛いな、我が弟は。  そんな思いで続こうとジョルジュを見ると、無言のまま滝のような涙を流している。ギョッとしていると彼はごしごし目を拭っていた。 「あのフェオドール様が、こんなにご立派に」 「ちょ、ジョルジュ?」 「旅立たれた時は心配の余りついていこうかと何度も思ったものですが、このようにしっかりとなさった姿を見られてじぃは嬉しくおもいますぞぉぉぉ」 「いや、俺より感激しないでマジで。俺どうすんの」  じじいは涙もろいな……。  なんだかすっかり感動の再会感が薄れたアルヌールだった。  案内されたリビングはキッチンと繋がっていて、過ごしやすい感じの部屋だった。キッチンテーブルの上には一輪花が飾ってあり、風も通っている。ソファーの側のローテーブルには勉強に使っているのだろうノートや本が置いてある。使い込まれたキッチンはちゃんと使われているのだと分かる感じがある。  そしてそこに立つフェオドールがお茶を手慣れたように淹れていた。 「掛けてて……って、ジョルジュどうしたの!」 「お前の独り立ちが嬉しいって感動したんだわ、じいちゃん」 「うっ、ごめんジョルジュ、心配ばかりかけて」 「いえ、お気遣いなく。あのフェオドール様がワシ等の為にお茶を……うぅっ」 「ジョルジュ落ち着いて!」  フェオドールは慌ててタオルを持って近づいて、それをボリスは笑いながら見ている。その様子は凄く自然なものだ。  きっとこの数年、二人はこんな風に時間を重ねたんだろう。フェオドールがこれだけ出来るようになったということは、ボリスは必要以上のお節介は焼かなかったんだ。ただ側で見守っているだけだ。  そういう信頼も、あるものなんだろう。  改めてお茶とお茶菓子が出された。菓子は買った物だそうだが、お昼は用意があるという。実際いい匂いがしている。 「久しぶりだな、フェオ。それにしても随分逞しくなって。カーライルからも定期的に話はきいている」 「まだまだです。私が出来る事なんてまだ少なくて。勉強もまだしています」  照れくさそうに笑うフェオドールだが、聞いている話では相当頑張っている。  彼は自分の生活を立てるばかりではなく、仕事もしている。週に二日程は語学の為に城の外務に赴いて資料整理や外交官の仕事の補佐をしている。今ではジェームダルの古い言語やサバルドの言葉も覚えたそうだ。  そして週三日、下町商業ギルドで下積みをしている。これはランバートの紹介らしい。とても勉強になっているそうだ。何せ日々騒がしいくらいの生きた現場だ、トラブルは日常のように起こっている。が、外交官が咄嗟の事に対処できなければ判断を間違えるということで鍛えられているとか。 「国に戻ったら外交官になりたいと聞いているが、本気か?」  真面目な王の目で問うと、フェオドールは居住まいを正して真剣な目をして頷いた。 「勿論、いきなり一線で活躍したいなんて思っていません。帝国には帝国の、自国には自国の外交の方法があると思います。実際に触れて思いましたが、帝国はあまりに持っている手が広い。その分外交官は忙しく、他国との交渉なども複雑だということです」 「そうだな。この国は帝国と名を改めた辺りから多様な人材を受け入れる国になった。その分複雑でトラブルも多い。それに比べればクシュナートの外交カードは限られる」  産業でいえば羊毛を主とするもの。産物では海の幸が多い。軍部は強固だが帝国ほどではない。  が、フェオドールは静かに首を横に振った。 「ですが、ジョシュア様のお話ではそれは近年の事。どのようにこの国が今の形になったのかを教えて頂きました。そしてその歩みは我等クシュナートでも真似る事ができると思っています。身分ではない努力と才能で人を見る事、弱き者を助け横暴な者を諫める事。私はそんな国にクシュナートをしたいと思っているのです」  真っ直ぐ、己の思いを伝えるフェオドールの真剣さを頼もしく思う。  小さく可愛く兄を頼ってくれる弟はいなくなってしまったが……仕方がないな。 「まずは他の者の補佐としてつき、学べ」 「はい」 「……ボリスを巻き込む事は、理解しているのか?」  問いかけると、フェオドールは僅かに俯く。言葉もなくなってしまった。それは予想通りだ。己の夢に他人を大きく巻き込み、現状を歪めてしまう。それを恐れているのだろう。  だが、その隣に座っているボリスが揺るがないんだ。頼もしいじゃないか。 「俺はついていきますけれど」 「でも! ボリスには帝国での地位もあるし、これから活躍できる土台も整っているのに」  弱々しい声でそう呟いたフェオドールだが、それをボリスはあっけらかんと否定した。 「あのね、違うでしょ? これまでの事があったから俺はフェオに出会えたし、ここで実力をつけられたからついていく決断もできる。何も無駄になってないよ」 「でも!」 「騎士団に入って、気のいい仲間と切磋琢磨した結果特殊任務に選ばれる実力も得て。だから君に出会えた。何か一つでも狂ってたら出会えていなかったんだ。そして今、君を守る為に国を出る決断ができるのもここで頑張ってきたから。ここで通用するなら何処でだって通用するって思えるから言える事だよ」  まぁ、ここの訓練で鍛えられた人間が他国で無能なわけがない。何よりアルヌール自身昨日ボリスの実力を見た。十二分に通用する。  それでもフェオドールは後ろめたいらしい。それにボリスは溜息をつき、キュッと彼の鼻を摘まんだ。 「ふにゃ!」 「もぉ、しっかりしてよ。俺の命はフェオに預ける。信頼してくれるなら何があっても守り抜く。どこにでも行ける。でも、フェオがそんな顔してたら不安だよ」 「ボリス」 「腕の立つ護衛兼恋人で、何があっても信頼出来るパートナーなんて最高でしょ?」 「……うん」 「俺、他の誰かがフェオの護衛するって言ったら怒るけど」 「!」  ボリスの「怒るけど」は効果てきめんだ。何せその結果を見ているから。  にっこり笑ったよ、こいつ。この笑顔が怖いっての分かっていてやってるんだよな。 「まぁ、もう少し時間はあるだろ」 「兄上」 「ボリス、既に仲間やファウストには言っているんだろ?」 「勿論」 「え!」  フェオドールが驚いている。何、話してなかったの!  初耳らしいフェオドールは大慌てだ。オロオロしているフェオドールなど気にしないようにして、ボリスは此方を見ている。 「了承は得ています」 「あぁ、俺もファウストとランバートに確認して頭下げてきた。あいつらからもお願いされてきた。こっちに来るなら俺としては大歓迎だ。戸籍上はどうにもできんが、家族として内々で結婚式挙げてお前等の部屋も広めの用意するつもりでいる」 「助かります」 「そのかわりと言っちゃなんだが、リシャールを鍛えてやってくれ」 「はい?」  これにはボリスも目を丸くする。そこに、アルヌールはニッと笑った。 「あの子は優しすぎるからな、お前に鍛えられるくらいがいいだろう」 「生傷絶えなくなるよ」 「多少は構わない、後に残るようなものでなければ許容する」 「じゃ、受けますよ」  そう、にっこりと笑った。済まないな、息子よ。なかなか険しい道だが、最高の先生だとは思うぞ。 「ってことで、フェオドール。安心してボリス巻き込め。国の事は兄ちゃんが整えるから」 「……はぁ」  がっくりと肩を落として落とされた溜息の深さは、フェオドールの苦労が滲み出たものだったに違いない。 ◆◇◆  日中を楽しく過ごし、成長した弟を頼もしいと思うと同時にもう子供扱いも終わりにしないと。なんて思いながら帰路についた。  王宮に戻り客間に戻った所で去ろうとするボリスをアルヌールは引き留め、ジョルジュを下がらせた。 「なに?」 「ん。まぁ、ちょっと話がな」  そう言って前の席を勧めると素直に座った。それでもなかなか話し出す事が出来ないのは、色々と思う所と後悔と後ろめたさがあるからなんだろう。  そんなアルヌールの様子を見てか、ボリスがあからさまに溜息をついた。 「もしかして、あのクズまだ生きてるの?」 「!」  その言葉に、アルヌールは胸の奥がズキリと痛むのを感じた。  かつて騎士団が逗留している時に事件を起こした、その主犯であったニコラの事だ。  彼はフェオドールを虐待して操り、自らが政権を操ろうとした。その結果、フェオドールを気に入ったボリスに過剰な粛正を加えられて精神的におかしくなっていた。  あの当時、アルヌールも怒り任せに彼を苦しめたのだが……今はもうその気もなくなってしまっていたのだ。  アルヌールの様子で正解を引き当てたと分かったボリスはジトリとした目をした後で溜息をつく。他国とはいえ王の目の前で随分尊大な態度ではあるが、お互いもうこれで慣れている感があって不快とは思わないものだ。 「とっくに死んでると思ってた」 「……悪い」 「なんで王様が謝るの? あいつを生かすも殺すも王様の裁量なんだから」 「……後悔、しているんだ」 「……でしょうね。あんたは根っからのサディストじゃない。怒りはそう長く持続しないのが普通。後になって、可哀想になっちゃったんだ」  呆れた物言いに反論できないくらいには後悔している。それというのも、ニコラの様子の違いからだった。  最初こそ反応は大きかった。恐怖に怯え、苦痛に叫び、すまなかったと泣いて詫びる姿に怒りも落ち着いてきた。死んだ事にして閉じ込めて、一年好きに兵士や囚人の慰み者にしたのだ。  だが一年経つ頃には反応がなくなった。いや、苦痛などに声を上げなくなった。酷く憐れで、触れてくれる時だけ股を開いて発情し、言葉は話さず目は虚ろになっていった。  それを見たとき、後悔した。人一人が壊れていくのを見て、とんでもない事をした罪の意識に急に苛まれたのだ。  それを機に、アルヌールは自分以外がニコラに会うのを禁じた。  彼は既に自分の手で食事する事もせず、排泄も手を貸さなければ垂れ流し。ただアルヌールに対してはほんのりと柔らかく笑い、赤子のように甘えた。  既に発する言葉は「あー」とか「うー」という赤子のような有様だったが、それが余計に庇護欲を刺激した。  十分すぎる罰は与えた。むしろ与えすぎた。後悔したアルヌールは彼の命があるうちは望むように甘やかそうと思い通ったが、彼が求めたのは刺激だった。  既にあらゆる性感帯が過剰な程に敏感になっていた。触れる事を最初は恐れたが、自分がこんなにしたのだと思えば望むまま慰める義務があるように思った。  そうしてそんな日は事後も腕に抱いて眠って、頭を撫でて「いい子」と囁いた。そうする事で嬉しそうに笑うから。  だがそれも、もう限界だった。 「可哀想なそいつを、王様はどうしたいわけ?」 「……楽に、してやりたい」  体も限界なんだ、食べないから。痩せ細り、動くのも大変なのに愛されようとする。苦しげにして、病も発症しているのにそれでも笑いかけてくる。その姿を見ている事が辛くなってきた。病の痛みに苦しんで、それでも大きな声は上げられなくて……それでもアルヌールが来ると嬉しそうにするのだ。  これはもう、ある種の愛情であると自覚した。 「……オリヴァー様に相談してみたら?」 「……クックの毒か」  カーライルに聞いた事がある、毒の一族。その技術と知識を継承したのがオリヴァーだ。確かに彼なら苦しまず、眠るように死なせてやれる薬を知っているかもしれない。  最後は、一緒にいよう。薬を飲ませ、彼が望むようにして、その体が冷たくなるまで抱いていてやろう。  そうして、もう遊ぶのをやめよう。女は妻だけ、男は彼が最後。そのくらいしか、アルヌールがしてやれる事はない。今更綺麗な操なんてないが、これがせめてだ。 「……あんま、背負わない事だよ」  ボリスが少し心配そうに言う。が、それに対してアルヌールは口元だけで笑った。 「無茶言うなよ」  そこまでこの心は死んでないし、冷徹にもなれないんだ。  そんなアルヌールをボリスはチラリと見て、溜息をついて口を噤んだ。 ◇◆◇  帝国訪問も終えて帰路の船上で、アルヌールは穏やかな笑みを浮かべた。  学ぶものが未だにこの国には多く、フェオドールは逞しく成長し、優秀な人材も得られるようだ。 「寂しいですかな?」  静かなアルヌールを案じたジョルジュが声をかけてくる。が、それにアルヌールは穏やかに笑って首を横に振った。 「いんや、逆だ。国に戻ったらやる事沢山で頭パンクしそうだわ」  クシュナートをより豊かに、人が笑って幸せであれるように。そんな国に、できるように。 END
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