親友の地へ

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親友の地へ

 頃は七月も終わりに差し掛かっていた。  久しぶりの船旅は年甲斐もなく心を弾ませている。クシュナート王アルヌールは供にジョルジュを連れて甲板から僅かに見えだした帝国の都を眺めた。 「久しぶりだな。前に来たのはカーライルが王について暫くの頃か。いやぁ、懐かしい」 「陛下! あまりはしゃがないでくだされ!」 「いいではないかじぃ、心のワクワクは若さの秘訣だぞ」 「危ないと言っているのですぞ!」  これに付き合わされているお目付役のジョルジュの方が青い顔をしている。年を取ると船旅がきつい。ちょっと酔うのだ。  だがアルヌールは構わず遠くを見る。美しい帝国の城、賑やかな港町。だがきっと知っている帝国とは様変わりしているはずだ。  そしてここにいるフェオドールもまた、随分逞しくなったようなのだ。  此度の旅を決めたのは、フェオドールからの手紙だった。  曰く、恋人のボリスから婚約指輪をもらったとか。  これを聞いた日、アルヌールの絶叫と「まだ渡さーん!」という声がクシュナート城に響いたそうだ。  が、落ち着いたら別に悪い事ではない。寧ろ腹を括ったのはいい事だ。色々壮絶な出会いではあったが、アルヌールはボリスがフェオドールの恋人であるのは認めている。なんなら近いうちに義弟となることも認知している。  取り乱しはするが、悪い相手じゃないのだ。懐に入った者をあれで大事にしているだろうし。  そういうことで、色々と理由を付けてこの夏帝国へ訪問する事とした。表だっては皇帝妃デイジーと、その子イライアスへの正式な祝いだ。両方参加できずに名代を立て、手紙と贈り物を届けただけだった。  それに他にも楽しみがある。色々と平和ボケしているらしい団長達とサシ飲みの約束を取り付けた。一言「伴侶も一緒に」と添えて。  どんな反応をするのか楽しみながら飲む酒の美味さは格別だ。それらも楽しみに今日を生きている。 「もうすぐですな」 「あぁ」  クシュナート王家の旗を掲げた船を見て第三師団が誘導を指示している。それに従い速度を落とした船がゆっくりと接岸しようとしている。  高い場所から見ていると知った顔が三つと馬車が一台。相変わらずの美人はこちらを見て鋭い笑みを浮かべた。 「ランバートですな」 「こんな所からでも美人だぜ」 「あまり刺激しますと、ファウストが怒りますぞ」 「肝に銘じておくよ」  碇を落とした船が固定され、タラップがかかる。それを見てゆっくりと船を下りたアルヌールは数年ぶりの帝国へと降り立った。 「お久しぶりでございます、アルヌール陛下。その節は大変お世話になりました」  タラップを降りて地に降り立ち少しすると、随分礼儀正しいランバートが出迎えてくれる。恐らく式典用にあつらえられた衣服なのだろう、裏地に使われている薄紫に銀糸の刺繍がされた制服は静かながらも品がある。  まぁ、着る者が半端では負けるが、ランバートならば何よりも似合いだ。  そんなランバートの後ろにはゼロスとボリスもついて礼を取っている。サシ飲みしたから彼らの本性は分かっているが、今はお仕事モードということか。 「お前達が無事で何よりだ。活躍は聞いている」 「勿体ないお言葉です」 「……やりづら」  思わず本音が出ると、ランバートは苦笑してみせた。 「我らが王、カール様より滞在中の護衛を仰せつかっておりますランバート、ボリス、ゼロスです。帝国訪問がアルヌール陛下にとって良きものとなりますよう、誠心誠意努めさせていただきます」 「あぁ、頼む」 「それでは馬車を用意しておりますので、こちらへ。ジョルジュ様もご一緒に」  礼儀正しく先導するランバートに付いていくと、ボリスは右後方に、ゼロスは左後方につく。そうして周囲をちゃんと警戒するのが偉い。ここは王都の軍港で、軍船か賓客の船しか泊まらない。味方しかいないはずの場所なのにきっちりと仕事をするのだから。  用意された馬車はそう大きくはないがフランドール王家のエンブレムの入ったものだ。そちらに乗り込むとランバートはボリスとゼロスへ指示を出し、自身はアルヌール達に断りを入れて同乗した。 「それでは先に本日のスケジュールをお伝えいたします」 「なぁ、ランバート。ここならいいだろ? 人目もないんだ、崩してくれ」  今までは広く人の目があったので仕事モードも仕方ないと思っていたが、今は違う。頼むと彼は苦笑して、僅かに様子を和らげた。 「本当は駄目なんですけれど」 「俺がいいって言ったんだからいい」 「はいはい、お気遣い有り難うございます。それでは日程確認しますよ」 「途端に雑になったな……」 「戻しましょうか?」 「いんや、それでいい。俺も一応は確認してきているが……まず、カーライルのお嫁ちゃんには会えるのか?」  今回一つの楽しみはそれだった。カーライルは私人としては柔和なのだが、どうにも結婚は考えていないようだった。「いずれ」なんて言っていたが、決まったと連絡があってから実際の輿入れまでは一年なかった。王族の結婚というには早くて驚いた。  彼からの手紙によると、妃となった女性はかつて西のジュゼット王国の姫らしい。時期的なものを考えるとこの慌ただしい輿入れに納得した。バリバリの政略結婚かと気の毒に思ったのだが、どうも嫌ではないらしい。惚気まくった手紙を読んで急に妻に甘えたくなり甘えた結果、第二子ができたくらいだ。 「はい、是非会いたいとの事です。ですが、恐らく晩餐の時かと」 「ほぉ? 直ぐじゃないのか」 「どうやら王子殿下が客人来訪を聞いて興奮し、午睡の時間が大幅に遅れた挙げ句妃殿下も寝かせつけをしつつ眠ってしまわれたとの事。幸せそうな親子の時間故、起こさないでほしいと我らが陛下からの言付けです」 「ははっ、そりゃ起こせんわな。構わん、寝かせてやってくれ。幼子を抱えた母親は疲れるからな」  普通王子のそうした事は乳母がやる。王妃はそれなりに忙しいので子育てなど悠長にしていたれないのだ。  だがアルヌールは妻の政務を可能な限り減らし、子と多く関われるようにしている。これは王妃からの願いでもあった。自分の子は自分で可能な限り育てたいと。  愛情深く育った子の方がいいなとアルヌールも思うのでこれに賛成し、今は妻と乳母の両方が子育てをしている。 「カーライルも自分で子育てをする事を選んだか」 「癒しのようですよ。子が可愛くて仕方がないそうです」 「くくっ、親馬鹿。だが、心から分かる。子は癒やしだな」  我が子と一緒にだらっと寝そべり他愛もないおしゃべりをしている時間が好きだ。頭の中空っぽでいいんだから。 「また、カール陛下も本日の政務がまだ残っているらしく夕食の時にと」 「忙しい時期にきちまったな。聖ユーミルは外したんだが」  聖ユーミル祭は夏の盛大な祭の一つだ。流石にこの時期に来たら忙しすぎて皆殺気立つだろうなと思ったので避けたんだが。それでも忙しいようだ。 「聖ユーミル祭を皮切りに各祭がありますから」 「だったか。悪いな」 「いえ。クシュナートは秋から冬はあっという間とのこと。良い時期を逃せばなかなか訪れる事ができないでしょう。陛下も会いたがっておりましたので、お気になさらずに。寧ろ今日を頑張れば明日は休みだと仰っておりましたので」  そう言って貰えると嬉しい。アルヌールも素直に頷いた。  カーライルとの出会いは何でもない外交だった。互いにまだ子供だったが、カーライルはとても愛らしく利発な王子だった。  当時親から「クソガキ」認定されていたアルヌールに負けず付いてくるカーライルとは直ぐに打ち解けた。それからは手紙のやりとりがあり、年に一度ほど会うことができて遊び、やがて互いに留学という事になった。  そんな相手が結婚して父となったなんて、感慨深いものがある。 「晩餐後は城奥院にある談話室にて歓談を希望ということですが……本当に団長とそのパートナーを呼び寄せようと?」  途端、嫌そうな顔をしたランバートを見てアルヌールはニヤリと笑った。既に楽しい気配がする。 「嫌がったか?」 「当然ですね。それを踏まえて先に助言を致しますが、あまり突くと大変な事になりますよ」 「国賓、しかも一国の王を斬るわけにはいかんだろう」  それが一番にして唯一の防御法。正直、ファウストやクラウル相手にぶつかる阿呆はいないと思うのだ。  ランバートもそこは承知しているのだろうが、それでも言うのだ。 「開き直ったようですので」 「ん?」 「どうせ突き倒されて酒のつまみにされるのならばいっそ隠す気などないし、堂々と嫁とイチャつきながらいい酒を飲んでやろうと開き直ったようです」 「マジか! うわぁ、見たいような見たくないような……」 「あのですね、その結果生じる諸々の弊害が大変なのですが自覚ありますか?」 「ん?」  弊害? はて?  思っていると、ランバートは思い切り殺気だった暗い顔をした。 「一番の被害者があの人達の伴侶。つまり俺やゼロス、ラウルということになります。その全員から恨まれますよ、アルヌール様」 「うっ……」  確かに、言われるとそうなるかもしれない。団長達は怒らせると厄介だが案外後に引きずらない。が、ランバート達はどうだ?  間違いなく後々まで恨むだろうな……。 「分かった、程々にしておく」 「お願いします」 「その時の料理をお前に頼んだが、大丈夫か?」 「大変恐れ多い事とは思いますが、作らせていただきます」  これにも溜息だが、こちらの希望には添ってもらえるようでよかった。  それというのも、彼らがクシュナートを訪れた時に言っていたのだ。「ランバートの作る料理はどれも美味い」と。  そこらの小貴族ではなく、帝国の四大公爵家の一柱であるヒッテルスバッハの子息が自ら料理をするというだけで驚きだ。家の性質や大きさにもよるが普通は包丁も握った事はないだろう。更に美味いという。ならば食べたいのが心情というものだ。 「どれも酒のつまみ程度ですが」 「楽しみだ」 「好き嫌いや、具合の悪くなる食材はないと伺っておりますが」 「ないな。何でも食うぞ」 「了解いたしました」  諦めたのだろう表情と声で返したランバートに笑う。その間に馬車は城の中へと到着していて、程なく停車した。  帝国の城は荘厳だ。大きさは勿論の事、堂々とした面構えがいい。白い壁に高い塔を有するものだ。庭も綺麗に整えられている。  そこに見知った顔があった。 「ようこそおいでくださいました、アルヌール陛下」 「久しぶりだな、ヴィンセント。息災か?」 「お心遣い有り難うございます。おかげさまで、つつがなくやっております」  長身を折り丁寧に礼をする男にアルヌールは親しげに接する。  ヴィンセント・オールコック。元の名をルシオ・フェルナンデス。彼の事は事件が起こるよりも前から知っている。だからこそ、事件の事を聞いた時もその後の事も全てを疑った。  カーライルはあれで人を見る。そんな彼が一番の信頼を寄せている男が佞臣であるはずがない。それに数回だが、留学の際に会っている。その時もこの男は将来この国の力となる忠臣であると感じたのだ。  結果的にはアルヌールの直感が正解で、今はそれとは知らせずに側近などをしている。 「カールは執務中か?」 「はい。ですが丁度合間でして、挨拶をしたいと仰っております。僅かですが、お会いになりますか?」 「おう、勿論だ。直接挨拶がしたいからな」 「畏まりました」  ランバートと目配せをし、ランバートがボリスとゼロスへアイコンタクトを取る。それだけで事が伝わるのか、何事もなく国賓用の一角へと案内された。  城の正面は華やかな外交の顔。内部はまさに政治の中枢。そこから離れた奥院の手前が国賓用の一角だ。  そこへと通され広々としたホールへ入ると直ぐに声がかかった。 「アル!」 「おぉ、カール!」  二股階段を丁度降りてくるカーライルは背後に近衛のオスカルを連れている。相変わらずの華やかな金髪美人はアルヌールを見るとにっこりと微笑んで一歩下がった。 「ようこそ帝国へ。歓迎するよ」 「悪いな、祝いの度に間が悪くて行けなくて」 「いいよ、奥さん大事だもん。私の方こそなかなか行けなくてごめん。隣国なのにね」 「隣国って言っても帝国領は広いから移動だけで数日だ。船だって季節によっちゃ荒れるしな。互いに身動きが取れなくなってるんだよな」 「仕方がないかもしれないけれど、寂しいよね」  なんて、困ったように笑うこいつがアルヌールは今も昔も可愛い弟分に見えてしまう。まぁ、実際はうかうかしていられない相手なのだが。  皇帝カール四世は時勢を読み臣を纏め上げる賢王だろう。器も大きく人を惹きつける。  だが今接している私人としてのカーライルは人懐っこくて愛らしくもあり、向ける好意に対し惜しみない親しみを返してくれる。寧ろ求心力というならこちらの方が質が悪い。  そして現在こっちの顔で迎えてくれるということは、仕事ではなく私人として今回の訪問を歓迎しているということだ。  まぁ、仕事の話なんて一切持ってきていないのだからいいのだ。 「改めて、結婚と王子誕生を祝いたい。我がクシュナートの良き隣人として、何よりも貴殿の親友として」 「有り難う、アル」  ほんの少し恥じらいの見える照れた笑みを浮かべたカーライルは、とても幸せそうな顔をしていた。 「ごめんね、本当はこのまま案内とかしたいんだけど。どうしても外せなくて」 「構わんさ。俺も同じ立場だからな、そういう事はある。妃と子は眠ってしまったと聞いているが」 「そっちもごめん。私の友人が来ると聞いたら喜んでしまってね。昨日も寝付きが悪くてデイジーが苦戦していたよ」 「乳母は?」 「勿論乳母もいてくれるんだけど、時々そっちじゃ駄目な時があってね。結局最終的に親子三人で寝たんだけれど私も蹴られたよ」 「ほぉ、泣く子も黙る帝国皇帝を蹴り倒すとは大器だな」 「えー、その言われ方嫌だな。そんなに怖くないよ、私は」  いやいや、帝国の皇帝は普通に怖いだろ、権力的には。  彼が対等と扱うからそうしているが、国家の規模と考えるとクシュナートは足元にも及ばない。堅実に治めているし産業もしっかりしているが、冬は厳しく帝国からの輸入に頼っている部分が大きい。  今でこそほぼ無くなったが、帝国と同盟を結ぶ以前は冬になると多くの民が食うに困って餓死したり、凍死したりしていた。  留学時、カーライルはその現状を見て「辛いな」と零した。そして彼が帝位についた時、恥を忍んでアルヌールは同盟と支援を頼みに行った。正直、幾つかの領地は手放さなければと覚悟していた。  だがカーライルは穏やかに迎えて、こちらの願いを一切断らずに同盟にサインをした。対価は不可侵と交易時の税の優遇、商人への通行証発行の簡易化であった。  器が違う。あの時にそう感じたのは今も覚えている。足元を見ても良かったのだ。絶対的に力の異なる相手に対して蹂躙とも取れる不利な同盟を結ぶなどある事だ。  だがカーライルはそれをせず、寧ろ進んで食糧支援や技術支援を申し出てくれた。そして言うのが「クシュナートの民がこれで少しでも笑えるように」と。  有り難かった。これで寒さに泣いて死ぬ者が減る。もっと国を良い方向へと向けられる。事実そうなったのだ。  そんな友だからこそ、アルヌールは彼の頼みを断らない。無理難題であれば別だが、そんな要求を今までされたことはない。そしてクシュナートの民は帝国の慈悲を忘れない。彼らのおかげで今があるのだ。 「では、夕食の前でも構わんから起きて様子がよさそうなら伝えてくれ。是非会いたいと」 「うん。あっ、デイジーは男の人にあまり耐性がないから誘惑しないでよ。アルヌール色男なんだもん。心配」 「何の心配をしているんだ、まったく。不貞など考えていないさ。親友の奥方を誘惑なんて男としても妻子を持つ身としても最低だ」  下半身クズだが、その辺の良識くらい持っている。腰に手を当て不満にすると、カーライルとオスカルが笑った。 「寧ろ俺は晩餐後が楽しみだ。団長達とも久しぶりに会うし、随分と面白い事になっているらしいしな。ん? オスカル?」 「そちらもあまり刺激しない方が良いですよ、アルヌール様。武器は持たない決まりですが、クラウルとファウストはその肉体そのものが武器のようなもの。同時に彼らを止められる者はとても少ないので」 「お前も結婚したらしいじゃないか」 「勿論、伴侶共々伺わせていただきます。が、万が一にもお手を触れる時にはお気をつけを。僕の大切な人なので」  そう言いながら笑顔で本気の敵愾心を向けてくる男の心の狭さよ。これも一つ、昔とは違う一面である。  オスカルは品が良く、礼儀も作法も貴族らしい秀麗な男だった。これが近衛だと言われて誰もその資質を疑わないレベルで洗練された華やかな男だ。  が、中身は短気な愉快犯。口が達者でフットワークが軽く、そのくせ自分の方は益となる事は零さない。そうした狡猾さのある男だと思っていたが……なるほど、嫁溺愛もあったんだな。 「オスカル、大丈夫だよ。アルも弁えているはずだから」 「はっ、失礼しました」  苦笑しながら嗜めるカーライルに礼儀正しく答えたオスカルはアルヌールにも「失礼いたしました」と謝罪する。絶対表面だけだが。  そのうちに時間となり、カーライルは執務に戻ってしまった。そしてアルヌールとジョルジュは国賓用の部屋へと通されたのだった。
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