打ち上げ話

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                 1  朝から電車に乗り継ぎ、都心から離れること一時間半。簡素な作りで出来た住宅が建ち並ぶ道をまっすぐに歩いて行くと、安普請の古くさいアパートがある。その一階部分に位置する一○二号の前に立ち、私は外れかけのインターホンを鳴らした。 「五代先生ー。おはようございます。入りますよー」  いつものように反応が返ってこないことを確認してから私は扉を開けた。カーテンを閉め切り太陽の光を遮断している薄暗いワンルームの部屋はいつもじめじめしていて、入った途端に陰気な空気が肌に纏わりついてくるような気がする。加えてそこら中転がる生活ゴミ達が陰気な空気との素敵なハーモニーを奏でていた。 「ちょっと、先生。少しは片付けたらどうですか……」 「じきにこのおんぼろアパートから引っ越すんだ。その時に片付ければいいじゃないか」  忙しなくキーボードを叩く先生は振り向きもせずそう答える。先生は自分の関心のないものには一切興味を示さないし、手をつけようとしないのだ。  壊滅的な生活力のなさに私はため息をついてから、奇跡的に見つけたオアシスに持っていた鞄を下ろした。 「張り切ってくれるのはこっちとしても助かるんですけど、あんまり頑張りすぎないでくださいね」 「見事な復活を果たした今の僕に心配は無用さ」  かつて先生は有名な賞にも何度も名を連ねたこともある名の知れた作家だった。丁寧な情景描写と先生にしか描けない独特な世界観は先生の小説を読んだ誰もを虜にした。  かくいうわたしも子供の頃に読んだ先生の作品に感銘を受けこの世界に飛び込んだのだ。いつか先生の元で一緒に仕事をしたいと。  しかしそんな先生にも落ち込む時はある。ある時期、先生は文章が一切書けなくなってしまった。私が先生の担当編集者になったのはまさしくその時期で、憧れの作家がもがき苦しむ姿を見るのは辛かった。    だから今回、先生が出した新作『打ち明け話』がヒットした時は本当に嬉しかった。昔に比べたら大ヒットとは言えないかもしれない。でも先生が再び筆を取ってくれたことが何より嬉しかった。だってわたしは先生の担当編集者であり一番のファンなのだ。 「そういえば今朝、出版社に先生宛に手紙が来ていたんですよ」  忙しなく動いていた先生の手がピタリと止まると、大げさに足を組み替えながら椅子をこっちに振り向かせる。どうやら興味を引く話題だったようだ。 「ほう。じゃあ内海君。今から声に出してその手紙を読んでくれないかな? 僕の復活を祝う健気な読者の声を聞けば、今日の執筆も捗るかもしれないからね」 「ファンレターじゃないんです。残念ですけど」 「なら読まなくてもいい。そんなものはすぐに破り捨ててしまえ」  そう言って、先生は興味をなくしたように冷めた顔をしてそっぽを向いてしまった。誰よりも自信家で態度の大きい先生だが、人一倍ハートが弱いのをあたしは知っている。 「先生を誹謗するようなものでもないですって。ちょっと気になることが書いてあったから持ってきたんですよ」 「なんだ紛らわしい。そういうことは早く言ってくれないか。さあ早く読みたまえよ」  いつものように高慢な態度の先生に内心腹を立てながら私は手紙を開く。そこには今朝見たときと同じように、達筆な文字で簡潔に書かれた文章が並んでいた。 『五代ツナが先日発表した「打ち明け話」は全て実話であり、実際の当事者である私にはなんの許可も取っていません。即刻販売を中止し、売り出された本を全て回収してください。従わって貰えない場合は、世間にこれが実話だと公表させてもらいます』  読み終えた私は手紙から目を離してため息を吐き出した。 「もうめちゃくちゃですよ。売り出した本を全部回収するなんて。まあでもたまにあるんですよね。作家さんへの当てつけに根の葉もないことを言いふらすんです。ほんとうんざりしますよ。それに先生の本が実話のわけありませんよね。だってあの本は……ってあれ、先生?」  妙に反応の薄い先生を見ると、先生はどこか一点に目の焦点を合わせて口元に手を当てて何かを考え込んでいた。 「ちょっとその手紙を貸してくれ」  そう言って先生は私の手から手紙を奪い取ると、食い入るように何度もその無機質な文字を追い始めた。それは差出人とその住所が書いてある場所でしばらく止まっているようだった。何分か経った後、先生は手紙から目を離しまた何かを考え込み始めた。 「なあ、内海君、内海君。仮にもしもの話だ」と先生は妙に仰々しい口調で言う。「僕が今回出版した本がノンフィクションだった場合。一体世の中は僕に対してどういう動きを見せるのだろうか?」  それは多分、冗談では済まされない。百八十度見方が変わってしまうため、それこそ先生を罵る人物が増えてもおかしくないだろう。 「……ちょっとまって先生。ウソでしょう? あの話が実話のわけないですよね?」 「もしもの話だと言っただろう、内海君。早とちりしちゃいけない。でもね、仮説に仮説を重ね合わせていって本人も意図せず偶然真実に行き当たってしまう場合も……まあごく稀にあるというわけだよ」    先生は椅子から立ち上がり、近づいてくると私の右肩にポンと右手を置いた。諦観したような目つきをしながら。 「多分今回がそれだ。残念ながら」  ノンフィクション作品なんて世の中にはいくらでもある。  でも、今回先生が書いた本はフィクションじゃないといけないのだ。  だって先生が暴き書いてしまったのは、合計で三人が殺害された未解決事件を元に書いたものだからだ。
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