打ち上げ話

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                 3  私たちは新幹線から降り、在来線に乗り換えてさらに日本を北上していく。そのうちに流れる車窓の向こうにヒラヒラと舞い落ちるような雪が降り始めた。私は何も言わずにその光景をじっと見ていた。それはまるで『打明け話』の冒頭のシーンに主人公が見ている風景とそっくりだった。  私たちが最終的に降車した場所は人っ子一人いない無人駅だった。降りた乗客もいなければ、駅員もいない。  先生は切符の回収ボックスに放るように切符を入れてから駅の外へと出ると、周囲を少し見渡してから北に向かって歩き始めた。コートのポケットに手を突っ込こみ、持ち前の長い足を使ってどんどんと歩いて行く先生の背中を見失わないように、私は必死についていく。  降り積もった雪に足を取られながら歩き続け数十分が経った頃、辿り着いたのは山陰に隠れたようにある温泉街だった。その外れに位置した平屋の一軒家の前で、先生はようやく足を止めた。 「ふうむ。五年前となにも変わっていないようだ」 「はあ……はあ……。こ、ここがその女性のご自宅なんですか……?」 「おいおい内海君。この雪景色の中、なにをそんなに汗だくになっているのだ。これから殺人鬼に会うかもしれないんだぞ。そんなにくたくたでどう逃げるって言うんだ?」 「……私が呼びかけても、なんにも聞かずに自分勝手にどんどん進み続けたのはどこの誰ですか」  私は先生を押しのけてから、呼吸を整え、そのままの勢いでインターホンを押した。しばらく無音の時間が空いたあと、静かに玄関の扉が開く。  薄暗い部屋の中から出てきたのは中年の女性だった。顔立ちは綺麗だが目の下にくっきりと残った真っ黒な隈と、やつれた表情がかつては美しかったであろうその美貌を台無しにしている。 「突然押しかけてごめんなさい。私たちはこういうものです」  私は名刺を取り出し女性に渡す。途端、その女性に宿っていた目の色が変わった。 「……あなたたちなんですね。あんな悪趣味な本を出版したのは。じゃあ……」そう言って、女性はわたしので後ろに超然とした様子で立つ先生に目を向ける。「あなたはあの時の……。まさかあなたがあの本を?」  先生は女性の殺意の宿った目を受けても、なにも言わずにそこに佇んでいる。まるで自分はなにも悪いとはしていないみたいに。 「ねえ、どうしてあんな本を書いたんですか? あなたはあの本を読んだ遺族の私たちの気持ちを考えた事はありますか……?」  そこで分かった。この女性は三人を殺した殺人鬼なんかじゃない。むしろその逆。殺された被害者の遺族の一人だ。  私は今にも先生に掴みかかろうとする勢いで前進する女性の間に割って入った。 「ちょっと待ってください。先生にも悪気はなかったんです」 「悪気がなかったのなら、あんな犯罪者を肯定するような本を書いてもいいっていうんですか!?」 「なにも先生はあの殺人犯を肯定しているわけじゃありません」その言葉は自分の意思に関係なく口をついて出たものだった。「私は先生の担当編集者ですが、一番のファンでもあります。私は今まで、先生の作品を何度も読み返してきました。だから私には分かるんです。先生はなにもただの好奇心や自分の作品の為に書いたんじゃない。あなたの身を切るような話意を聞いて、この話を世間に知ってもらうためにこの話を書いたんじゃないんでしょうか」  正直にいえば、それは詭弁と言われても仕方のないことだった。先生が実際の事件に色を付けて出版したのは事実。被害者遺族の許可も取らずに。  でも私は毎日机にかじりついて、文章を書いていた先生を知っている。少なくとも、そこに悪意がなかったことを信じている。    女性はわたしの肩越しにじっと先生を見ていた。しばらくして女性が落ち着きを取り戻してから、私は言った。 「今日は先日もらった手紙の件でお伺いさせて貰いました。どうか、話を聞いて貰えないでしょうか?」 「……申し訳ないですが、今日のところはお引き取りください。少し考える時間がほしいんです」  私は笑顔を作ってそれに答えた。 「一つ、いいですか?」終始黙って話を聞いていた先生が口を開いたのはその時だった。「どうして五年前、僕にその話をしてくれたんですか」  女性は躊躇った様子を見せたが、先生の真っ直ぐな目を見て思い直したようだった。 「あなたがここに来たのは、警察はもう捜査を諦めかけている時だった。わたしは犯人が捕まることなく、何事もなかったみたいにこのまま消えていくのが許せなかったの」そう言って、彼女は自分の拳をぎゅっと握りしめた。「誰でもいいから事件があったことを知って欲しかったんです。三人に何の罪もない命がたった一人の人物に、一瞬で奪われてしまったその事件を」  そう言い残し、女性は玄関の扉を閉めた。 「また明日ここに来ましょう。まだなにか私たちに出来ることがあるかもしれません」 「……そうだな」  そうして、私たちは女性の家を後にした。彼女の考えが変わるかどうかは分からない。しかし、影に消えていこうとする凄惨な事件を共有するものとして、彼女とは会話を重ねなければならない。  私は彼女にかける言葉を探しながら帰路につく。また明日、彼女に会った時の為に。  しかしもう彼女と話す機会はなかった。  なぜなら次の日、その女性の家は火事になり彼女は焼死体として見つかったからだ。
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