0‐8ばらばら

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0‐8ばらばら

 私は玄関の鍵を開けると、自分の部屋へと一目散した。  引き出しから見つけ出したそれで、息つく間もなく刃を入れる。  お部屋を汚さないように、ちゃんとスカートの上に落とした。  ばらばらと落ちていく様子を見ていたら、めぐちゃんが描いた漫画の場面が甦ってきた。  それは、主人公の女の子と王子さまのシーン。  王子さまは主人公の女の子が大好きで、その子のウェーブのかかった長い髪もとても好きだった。  だから王子さまは、愛の言葉を囁きながらお姫さまの毛先を取ってキスをする。  王子さまは男の子。お姫さまは女の子。  髪の長い人は、決まって女の子。  なら私は、それを捨てることにした。  父から気にかけてもらえ、母と一緒に美容院で綺麗にしてもらえる長い髪は、私自身が価値を見出していたアイデンティティだった。  けれど、信彦くんがこれで妙な区別をしないでくれるようになるなら、もう必要ないと思った。  全て切り終えるには時間が掛かる。信彦くんが帰っちゃうかもしれないし、流星くんも心配しているし、中途半端な姿でもいいと思った。  玄関を飛び出すと、二人ともとても驚いていた。 「琴美ちゃん……」  流星くんがなんだかとても悲しそうな顔をしたから、私は少しだけ胸がズキッとした。  でも遠くで口を開けて()(すく)む信彦くんが、言い負かされたかのように小さく見えて、胸のもやもやが晴れた気もした。  何より、私は自分で決断したことを形に出来た。  勇み足だったかもしれないけれど、そうやって私は対応していくんだと、カメレオンになって変貌するんだと強気になれた。  けれどしばらくして、家に帰って来た両親にみっともないと叱られた。  美容院に連れてもらうまでの車の中でも、母は私を睨んでいた。それは世間体を気にしてのことだったようで、美容師さんには頑張ってにこにこしながら、娘が勝手に切ってしまってと顔を赤くして説明をしていた。  事実なのに、また喉の奥に塊みたいなものを感じた。  こういう時もカメレオンが活躍する。  私はヘラヘラして、美容師さんごっこをしたくなったと嘘をついて、母を困らせる娘を演じた。  私は演じているつもりだけれど、母にとってみれば事実なんだろうなと、鏡に映るヘラヘラした顔を眺めながら思った。  あ~短くなっていく。  やっぱり髪は長い方が好きだった。でもお終い。もういいんだ。  相変わらずこの日も父は家を空け、母は不機嫌だった。  ヘラヘラはお終い。カメレオンの出番だ。  私はひっそりと過ごす。廊下を通る時も、母のパーソナルスペースに入らないように気を付けた。  なんでこれが学校では上手く出来なかったのだろう。今はめぐちゃんがいるから平気だけれど。  そうだ、めぐちゃんはこの髪型をどう思うかな? 嫌われたりしないかな。  そんな風に不安になったりしたけれど、取り越し苦労だった。  次の日になって学校へ行くと、少し人気者になった私にめぐちゃんは言った。 「私より短い!」  良かったと、とびきりの笑顔をくれた。  だから、あ……って思った。  めぐちゃんはウェーブのかかった髪質を気にして、肩までの髪を一つに結んでいるから、もしかしたら私の髪がずっと疎ましかったのかもしれない。  ごめんね、めぐちゃん。ずっと傷付けていたんだね。  そっか。じゃあ私はまるで、めぐちゃんの漫画に登場する、主人公のお姫様をいじめていた黒髪の子みたいだ。  ごめんね。もっと早く気付かなくて。これからはちゃんと気を付けるよ。  そして。それからさらに年月が流れ、私は大人になった。
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