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閉店間際の書店に、佳倉さんがくる。 佳倉さんは決まってこの時間に訪れる。それはお喋りが書店側の負担にならないように、という佳倉さんなりの配慮だと僕は感じていた。 「あれ、和紘君今日元気ないね」 実際、沈んだ気持ちで勤務していたのだが、それでも表に出さないようにしていたつもりなので、開口一番に言い当てる佳倉さんの鋭さに驚いた。 「すごいですね、正解です」 「何かあったの?」 流石に楽しくない自分の悩みまでをお客さんに打ち明けるのもどうかと思ったが、中原さんへの片想いはすでに話してしまっていたので、今更いいかと開き直った。誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。 「この間話した片想い中の女の子を、今日怒らせてしまって」 昼の一件を、佳倉さんに話した。 「それで、その中原さんにはもう謝ったの?」 「なんて謝ればいいかが分からないんです。謝ったところで、中原さんと話したいのは僕の本心なので」 「それをそのまま伝えればいいじゃない」 「本当に嫌われてしまいますよ」 「そうかしら。あ、ちょっと待って」 佳倉さんはその日購入した本を一旦レジ台の上に置き、自分の胸に付いている猫型のブローチを取り外すと、それを僕に差し出した。 「これ、あげるわ。縁を結ぶおまじないがかかっているの。お守りに」 ブローチはべっ甲でできたシンプルなデザインで、くすんではいるものの汚れのない金具からは、長い間大切に扱われてきたことが伺える。 「え!いや、これ、すごく大事なものなんじゃ」 「いや、もう随分古いブローチだよ。まだ結婚する前、夫に貰ったの」 「そんな思い出のもの、なおさら受け取れません!」 「いいの、いいの」 佳倉さんの中ではもう決定事項らしく、譲らない。僕はおずおずとブローチを受け取った。気持ちは純粋に嬉しい。中原さんと仲直りできなかったらお返ししよう。 「私にとってはもう役目を終えているものだから。若いあなたの助けになる方がいいのだわ」 佳倉さんはそう言って笑ったが、やはりどこか寂しそうに見えた。
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