55 アストレンヌの夜 - Astrennes ; à la nuit -

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55 アストレンヌの夜 - Astrennes ; à la nuit -

 新年を告げる神殿の鐘の音を、イオネはアルヴィーゼの身体の上で聞いた。  こんな状況でなければ祝いの言葉を口にするところだが、生憎そんな余裕はない。 「ほら、イオネ。腰を落とせ」 「…っ、むり」  乱れた寝衣の隙間から冷たい空気が入ってきて肌を撫でるのに、それも気にならないほど身体が熱かった。手のひらで触れているアルヴィーゼの硬い胸も、汗ばむほどの熱を持っている。 「まだ半分も入っていないぞ」 「あっ、あなたのが大き過ぎるんだもの」  イオネが息も絶え絶えに訴えたとき、アルヴィーゼが小さく舌を打って、イオネの腰を支えたまま上体を起こした。 「あ…!」  身体の奥をアルヴィーゼの一部に突き上げられ、イオネは腰を震わせた。 「あー、いい…」  ぞく、と興奮がイオネの肌の上を走った。アルヴィーゼの興奮した低い声が肩を舐め、抱き竦められた背中から熱が走る。 「お前、俺を煽っている自覚がないのか」 「し、知らないわ、そんなの…!」 「ほら。前後に動いて、好きなところに当ててみろ」  アルヴィーゼは意地悪く笑って腰を掴み、イオネの乱れるさまを愉しんでいる。 (恥ずかしい…)  イオネは余裕綽々のアルヴィーゼを恨めしく思った。が、中心に突き立てられた熱がもどかしくて、身体がもっと奥へ、決定的な刺激を待ち望んでいる。  イオネはゆるゆると腰を動かして、奥に受ける衝撃が強すぎると小さく呻き、腰を浮かせた。しかしアルヴィーゼは腰を掴んでイオネを逃がさなかった。 「逃げるなよ」 「だっ、だって…!」  苦しい。それなのに身体の奥から痛みにも似た快感が広がり、次第に大きくなって、発露した衝動がイオネの身体を突き動かした。 「んっ、は…っあ」  次第にイオネの腰が大きく揺れ始めると、アルヴィーゼは形の良い眉を歪めて恍惚と息を吐いた。  イオネの豊かな乳房が長い胡桃色の髪の下で揺れている。アルヴィーゼは、ヴェールを払うように髪をよけ、そこから現れた淡い色の実に触れた。  イオネの腰がビクリと震えて繋がった場所が狭まり、イオネの目が官能的に細まる。  アルヴィーゼは快感に耐えかねてイオネの腰を掴み、身体を反転させてイオネに覆い被さった。 「ひゃっ」 「もっと下から見ていたいが、限界だ」  イオネが目を潤ませて、不服そうに見上げてくる。それでも快楽に蕩けている熱っぽさは隠せない。  アルヴィーゼはイオネのしなやかな脚を肩に担いで、奥に押し入った。 「あぁっ!」  イオネの悲鳴が身体中に熱い血を奔らせる。  一昨日の夜にアストレンヌへ到着してからというもの、広大な屋敷の挨拶回りに城下の観光と、長旅の疲れも癒えぬうちから休まず動き回っていたのだから、ただでさえ体力の少ないイオネの身体をいたわってやるのが道理というものだが、生憎アルヴィーゼはそういう類の優しさを持ち合わせていない。  生真面目でしかつめらしいイオネの思考を快楽でぐずぐずに蕩かし、共に忘我の果てへ誘うのが、アルヴィーゼの流儀だ。  この夜、アルヴィーゼはイオネの意識が曖昧になるまで行為を続け、イオネが白い背を震わせて寝台に突っ伏した後は、スミレの花に似たイオネの匂いに包まれて泥のように眠った。  翌朝、開け放たれたカーテンから雪空の真っ白な光をまぶたに受け、イオネはぼんやりと目を覚ました。  いつの間に眠ってしまったのか、最後の方はもはや記憶にない。アルヴィーゼの姿は寝台にないから、今頃あの鼻につく秀麗な貌をスンと澄ませて食後のコーヒーでも飲んでいるに違いない。  恨めしい。それなのに、身体中に残ったアルヴィーゼの匂いが愛おしかった。胸に迫るような熱を孕んで何度も名を呼ぶ声が、耳の奥に残っている。 (そろそろわたしも支度をしなきゃ)  イオネはのろのろと裸のまま起き上がって、ボサボサの髪を最低限でも整えようと寝室の奥の姿見の前に立った。 「あっ!あの男…!」  とイオネが怒りの声を漏らしたのは、無論アルヴィーゼのことだ。  身体中に花びらを散らしたように、口付けの痕跡がある。それも、ドレスで隠れるかどうかという位置にも付けられ、胸に至ってはまるで獣に食い荒らされた後のようだ。  あまりの惨状に言葉を失っていると、鏡の向こうで寝室の扉が勢いよく開いた。 「おい、アルヴィーゼ!まだ寝てるのか?親父さんからお前のめでたい話を聞いたぞぉ!祝いに今夜――」 「きゃあああ!」  扉の奥からヌッと現れた大男の顔を見る前に、イオネは叫んだ。 「えっ!?あ!!」  不埒な闖入者となってしまった大男――マルク・オトニエルが大慌てで扉の外に出ると、火事のような勢いでアルヴィーゼが廊下を駆けてきた。血相を変えたアルヴィーゼ・コルネールなど、そう見られるものではない。 「イオネ!」  アルヴィーゼは突然現れたマルクに目もくれず寝室へ飛び入り、鏡の前で身体を隠すように縮こまったイオネを抱きしめた。 「どういうことだ!」  アルヴィーゼは鬼の形相でマルクに怒声を放った。  その後、イオネはショックから立ち直るまで続き部屋の浴槽の中で閉じた貝のように膝を抱えていた。 「親友ってこんなに気軽に寝室まで入ってくるものなの?だとしたら二度とあの人の部屋では眠れないわ」 「申し訳ありません。わたしがお部屋についているべきだったのに…。まさか昨晩からマルクさまが客間にお泊まりだったとは知らず」  ソニアがイオネの髪に香油を塗って優しく梳きながら、消沈した様子で言った。マルクがコルネール家に突然現れて気軽に入り浸るのは、アストレンヌの屋敷の使用人たちにとっては十代の頃から見慣れた光景だったから、特段誰も気にすることがなかったのだ。 「あなたには何の落ち度もないわ。入浴の支度をしてくれていたんだもの。わたしも慣れない場所で裸でうろつくべきじゃなかったわよね」  アルヴィーゼの領域に、安心感を抱きすぎているかもしれない。 「いいえ。イオネさまがどのようになさっていても心安らかに過ごしていただけるよう心を尽くすのがわたしたちの役目です。ここの執事にも二度とこのようなことがないようわたしからも強く申し出ます。それから今日は大切な日ですから――」  と、ソニアはキラリと空色の目を光らせた。 「とびきり美しく着飾ってアストレンヌの諸侯の度肝を抜きます!誰も決してイオネさまを軽く見ないように!初陣ですから!」  ソニアが鼻息を荒くすると、イオネはおかしくなって笑い出した。この数か月の付き合いで分かったことは、ソニアがまるで芸術家のようにイオネを飾ることに情熱を注いでいると言うことだ。  その頃、一階の広間では、コルネールのアストレンヌ屋敷を取り仕切っている若い執事のテランスが、北限の地の猛吹雪でさえこれよりは温かいだろうと思うほどのアルヴィーゼの怒気に震え上がっていた。 「まあまあ、ルイ」  マルクは軽快に笑いながら両手を上げ、アルヴィーゼを子供の頃の愛称で呼んだ。 「テランスを責めるなよ。俺がこの屋敷に押しかけるのはいつものことだしさ、俺もお前が自分の部屋で女性と夜を過ごすなんて思ってなかったんだよ。だって今までそんなことなかっただろ?本当に悪かったって。でも、安心しろよ。見たと言っても鏡越しだ。だがなぁ、ルイ。お前あれはちょっとやり過ぎだぜ。あんなに身体中に痕つけたらマズイだろぉ。彼女、教授だろ?生徒に見られでもしたら立場がないってもんだ。な?」  アルヴィーゼは立ち上がった。テランスは蒼白だ。マルクは、「わかってくれたか」とでも言いたげに満足気に笑み、真っ直ぐに向かってきたアルヴィーゼを抱擁すべく両腕を軽やかに広げた。  イオネが再びマルク・オトニエルと顔を合わせたのは、王城の祝宴に赴くに相応しい装いを整えた後だった。花の刺繍が施された真珠色の流れるような形の絹のドレスは、アルヴィーゼに命じられたソニアが仕立屋と協力してこっそり準備したものだ。 「やあ、アリアーヌ教授。さっきは本当に悪かった。それはそうと今日はいっそう美しいな」  イオネは気まずくて顔を赤らめたが、マルクが全く意に介していない様子だったのでイオネもそう接することにした。こちらばかりが気にしていては不公平だ。それよりも、今気にするべきなのはマルクの顔だ。  マルクは食堂の隅に腰掛け、赤く腫れ上がった右の頬に女中たちが甲斐甲斐しく冷水に浸した布を当てている。  イオネは食堂の奥の席で脚を組み、優雅な所作でコーヒーを飲むアルヴィーゼに向かって肩を怒らせた。 「殴ったのね。信じられない」 「当然の報いだ」  アルヴィーゼは白々と髪をかき上げた。アルヴィーゼも既に身支度を終え、黒の絹地に銀糸で獅子の刺繍が施された正装に身を包んでいる。元々冷たい目をしているのに、今は一層冷ややかだ。 「これから新年の祝宴だって言うのに公爵とナヴァレの中将がこの為体(ていたらく)では示しがつかないわ」  イオネはアルヴィーゼの左の手の甲にそっと触れた。腫れているのは、マルクの頬だけではない。 「こんなことする必要なかったのよ」 「それは俺が決めることだ。本当なら一発では足りない」  アルヴィーゼはムスッとして言いながら、労るように手の甲に触れてきたイオネの手を握って指先に口付けをした。 「それにしても暴力を振るうなんて野蛮だわ」  マルクはと言えば、ひどく腫れるほど強く殴られたというのに嬉しそうに二人の様子を眺めていた。 「まあまあ、アリアーヌ教授。俺は軍人だ。これくらいのことは慣れてる。それより、あのルイがこんなに怒るなんて、嬉しいよ。君には本当に悪いことをしたと思ってるけど」  イオネはマルクの真意を測りかねて小首を傾げた。きっと男同士の仲には、女の自分には分からない何かがあるのだろう。 「不思議な友情ね」  イオネが言うと、アルヴィーゼは眉をひそめ、マルクは眉を開いた。 「よせ、気持ち悪い」 「まあ、無二の親友だからな」  二人同時に全く違うことを言ったので、イオネは面白くなって笑い出した。正反対だから馬が合うのだろう。アルヴィーゼが本当に気に食わない相手に対してどう接するのか、イオネはもう知っている。 「謝罪を受け入れるわ、オトニエルさん」  マルクは太陽のように笑った。この陽気さが、この男を憎めなくさせるのだ。 「じゃあ、アリアーヌ教授、今日の宴で俺とも踊ってくれるかい?」 「お前、その口を縫い付けられたいのか」  アルヴィーゼがマルクを鬼の形相で睨め付けた。
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