60 毒花の蜜 - le fleur toxique -

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60 毒花の蜜 - le fleur toxique -

 ランゲ通りの邸宅に扉を壊して押し入ったアルヴィーゼは、気が狂いそうなほどの焦燥に駆られていた。確かにこの古びた屋敷がカスピオの拠点であるはずなのに、中は暗く、どの部屋を探しても趣味の悪い調度品や武具の蒐集品が飾られているのみで、人の気配がない。 (当たりが外れたのか)  恐らくドミニクが他のカスピオの屋敷にも今頃警察隊を送っているだろうが、それらの捜索を待っている余裕はない。じわじわと絶望が胸に迫った。  この時、ゴン。と、何か硬いものが壁にぶつかるような音が微かに聞こえた。続いてガタガタと重いものが落ちる音が確かに聞こえた。いずれも床下からだ。  アルヴィーゼは暗い部屋の中で目を凝らし、床に触れながら注視した。程なくして古びた甲冑の足元に、取っ手の付いた鉄の板を見つけた。隠し扉だ。跳ね上げると、暗い地下へ続く狭い階段があった。  激しい物音が奥から聞こえる。甲冑の腰から剣を抜き、アルヴィーゼは階下へ下りた。暗い廊下の先に、灯りの漏れる扉が見えた。 「アルヴィーゼ!アルヴィーゼ…!」  イオネの声だ。  扉の向こうで、確かにイオネが自分を呼んでいる。 (生きている)  微かな安堵のあと、扉の奥で目にしたものに、憤怒で血が燃えた。 「イオネ!」  アルヴィーゼはイオネの背にのしかかって首を絞めるカスピオに突進し、剣を振った。  切っ先が驚いて飛び退いたカスピオの右上腕から顎までを浅く斬り、血が飛んだ。キッと奇声を上げて無様に逃げ出そうとしたカスピオの腱を、アルヴィーゼは足を踏み込んで容赦なく斬った。血塗れの床にのたうち回って激痛に喚くカスピオをこのまま斬り殺してやろうと本気で思ったが、それを押しとどめたのは、イオネが激しく咳き込む声だった。アルヴィーゼは剣を捨てた。 (来てくれた…間に合った)  イオネは顔を蒼白にして駆け寄って来るアルヴィーゼを、胸が痛くなるような思いで見た。 (何て顔するの)  ルドヴァン公爵アルヴィーゼ・コルネールたる者、いつも変わらず不遜で人を食ったような顔をしていなくては、張り合いがないではないか。 「無事なのか」  アルヴィーゼが血で汚れた手袋を剥いで、イオネの脈を診ようと首に触れた。  触れた体温が血に熱を走らせ、心臓が緩やかに強く打った。緊張状態から解放されたせいか、ぐらぐらと薬効が強く出始めたらしい。身体が燃えるように熱い。 「アルヴィーゼ…」  イオネはアルヴィーゼの背に腕を伸ばした。強すぎるほどの力で抱きしめ返してきたアルヴィーゼの腕は、小さく震えていた。 「…ここはいや。もう帰りたい」 「すぐ出してやる」  アルヴィーゼは上衣を脱いでイオネを包むと、横向きに抱き上げて部屋を出た。細く狭い階段が、ひどく長かった。  外では既に暗いランゲ通りの邸宅を騎馬警察隊が囲み、迎えの馬車が待機していた。全てドミニクの迅速な手配りだ。  アルヴィーゼに抱えられたまま馬車に乗り込み、アルヴィーゼが厳しい顔でドミニクと警察隊に何事か指示するのを、イオネは身悶えするように待った。熱が這い回る身体を、早くどうにかしてほしかった。アルヴィーゼにしかできないことだ。  アルヴィーゼが何かを訊ねながらイオネの瞳孔を確認しようと顔に触れてきたとき、イオネはとうとう堪りかねてアルヴィーゼの襟を掴んで引き寄せ、唇を重ねた。  アルヴィーゼが驚いたのは、イオネの突然の行動よりもその粘膜のひりつくような熱だった。まるで熱病に冒されたようだ。 「おい…」  唇が僅かに離れた時、アルヴィーゼの顔には恐怖が映っていた。 「ジヨロカを飲まされたみたい。対処方法は知っているでしょう」  口から出ていく呼気が、まるで蒸気のように熱かった。早く身体の中にアルヴィーゼが欲しくて、腹の奥が脈打つように疼いている。  アルヴィーゼは鬼のような形相で悪態をつき、イオネの唇を貪るように口付けして、ドレスの裾から手を入れて脚に触れた。右の腿が生温かいもので濡れている。これが生傷から流れた血だと気付くと、一気に血の気が引いた。怒りで身体中が凍り付きそうだ。 「…自分で刺したの。正気を保つために」  イオネが苦しそうな呼吸を繰り返しながら言った。 「でも、もう無理。…お願い、アルヴィーゼ」 「くそっ」  最悪の気分だ。それなのに、無理矢理高められた性衝動をアルヴィーゼに委ねてくるイオネが、胸が苦しくなるほど愛おしかった。 「今は触れるだけで我慢しろ」  アルヴィーゼは袖を捲り上げ、イオネが声を上げないように唇を重ねて塞ぎ、脚の間に触れた。 「んんーっ…!」  馴らす必要もないほど濡れて、炎を得たように熱くなった柔らかい肉がひくひくと蠢動し、突き入れた指を奥へと呑み込んでいく。イオネが脚を強張らせて腰を反らせ、しがみ付いたアルヴィーゼの首に爪を立てた。  ジヨロカがどういう薬かは知っている。一口で意識を混濁させ、その後は断続的に性的な興奮と浮遊感をもたらす劇薬だ。イオネがここまで正気を保ったことは、並の精神力では及ばなかっただろう。 (意地の強い女だ)  その女が、熱に浮かされたように瞳を潤ませ、「まだ足りない」と、視線で訴えてくる。  アルヴィーゼはドレスの襟を引き下ろして露わになったイオネの胸に吸い付き、指を増やして中心に突き入れ、イオネがいつも良く反応する場所を撫で、突いた。 「はっ…!ああっ…」  イオネが身をよじって激しすぎる快楽を享受している。アルヴィーゼは高い声で叫びそうになったイオネの口をもう片方の手で塞ぎ、痛いほどに締め付けてくるイオネの中心から指を抜いた。既にアルヴィーゼの腕まで伝うほどにイオネのものが溢れている。 「ううっ、もうやだぁ」  イオネがとうとう泣き出した。羞恥と情けなさと強制的に高められた情欲のせいで、混乱しているのだ。 「大丈夫。もうすぐ屋敷だ」  イオネの呼吸は多少落ち着いてきたものの、身体は依然として熱い。アルヴィーゼはイオネの身体を上衣で包み直し、腕に抱いた。  胸の中に、どす黒い感情が渦を巻いた。あと少し遅かったら、この嬌態をあのクソ野郎に見られていたかもしれない。命を奪われた後で、この世の何よりも尊い肉体を穢されていたかもしれない。そう考えるだけで、この世の全てを呪いたくなる。  馬車がコルネール邸の前で停まると、アルヴィーゼはイオネをしっかりと腕に抱いて屋敷へ入った。 「イオネ先生!」  扉の前でウロウロと待ち構えていたらしいバシルが顔を真っ白にして駆け寄って来たが、アルヴィーゼは「無事だ」とだけ言って、目を腫らしながら静かに待機していたソニアに目配せをした。ソニアは諸事心得ている。バシルを客間へ案内するよう他の使用人たちに頼み、マレーナと自分だけが残って階段を足速に登り始めたアルヴィーゼに付き従った。 「包帯と消毒用の酒と水を頼む」 「お怪我をされたならお医者さまを呼んで参ります」 「明日の朝でいい。全て俺がやる。薬品庫から一通り持ってこい」 「あら、旦那さまが?」 「そうだ。マレーナは湯を沸かしておけ。用意したものは寝室の前に置いて、誰も中に入るな」  イオネを寝台に横たえると、イオネはすぐにアルヴィーゼに縋り付いてきた。 「もう来て」 「傷の手当てが先だ」 「でも、もうおかしくなりそうなの」  イオネは上衣を肩から滑り落とし、既に乱れたドレスを剥ぎ取って、下着姿になった。白いシュミーズの右側が血で汚れている。 「我慢しろ」 「いや」 「イオネ」  子を窘めるような口調で言った瞬間、イオネが首に腕を巻き付けて身体を寝台に引き倒し、唇を重ねてきた。舌はまだ異常なほどの熱を持ち、アルヴィーゼの理性を溶かすような激しさで絡みついてくる。 「痛くしていいから…早く」 「チッ」  アルヴィーゼは舌を打って、イオネの腿を抱えた。血で汚れた右腿に舌を這わせ、既に血が固まり始めた小さな刺し傷を舐めた。鉄に似た血の味でさえ愛おしかった。びく、とイオネの肌が跳ねる。痛みさえも快感になっているのだろう。恐ろしい毒性だ。  シュミーズを剥ぎ、イオネの肌を暴いて、アルヴィーゼは自分のシャツを頭から抜き取り、下着の前を寛げた。どんなに不本意な状況だろうと、快楽に蕩けたイオネに懇願されたら自制などできない。  アルヴィーゼはイオネの左脚を肩に担いで奥に入った。燃えるような熱が狭隘な湿地となってアルヴィーゼを呑み込み、背が震えるほどの快感を湧き起こした。 「ああ――!」  イオネの甘い悲鳴が、こめかみをゾクゾクと震わせる。  耐えられるはずがなかった。イオネの狂おしいほどの情動も、必死に求めてくる姿も、忌々しい毒のせいだと分かっていながら、欲望と理不尽な苛立ちをぶつけることをやめられない。  アルヴィーゼはイオネの腹の奥を穿ち続け、イオネが悲鳴を上げて達してもやめてやらなかった。強烈な締め付けに耐えかねて腹の奥に自分のものを吐き出しても、治まらない。まるで自分まで熱病に罹ったようだった。  繋がった場所から放ったものが溢れ、イオネの白い腿を汚し、アルヴィーゼが再びイオネの中に溺れると、イオネの目が柔らかく熱を帯びてアルヴィーゼを見上げた。 「あなたが好き」 「知っている」 「あなたじゃなきゃいやなの」 「わかってる。…もう黙れ」  アルヴィーゼはイオネの唇を塞いで汗で濡れた身体を隙間もないほど強く抱き、激しく律動して、イオネの中を満たした。  イオネは唇の下で悲鳴を上げ、アルヴィーゼの背に爪で傷を作って、そのまま意識を失った。 (俺の手に戻ってきた)  この女を失うかもしれないと思ったとき、初めて恐怖がどういうものかを知った。  そして手の中に取り戻して初めて、ずっと心の中にあったものを見つけた。 「愛してる…」  アルヴィーゼは、今まで誰にも告げたことのない言葉を、生まれて初めて音にした。
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