65 異質で脅威、銀河の輝き - alien, menace, éclat galactique -

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65 異質で脅威、銀河の輝き - alien, menace, éclat galactique -

 アルヴィーゼは連日の激務を一通り終えた夜、簡単に湯浴みをして寝室へ向かった。 (イオネは、寝ているだろうな)  エゼキエリ医師の許可が出て三日前から仕事に復帰したイオネは、長く休んだ分疲れやすくなっているのか、ここのところはアルヴィーゼが寝室へ入る頃には寝台の左端に猫のように丸まって眠っている。  本音を言えば、イオネを誘拐の現場となったユルクス大学に通わせることには、肋骨が折れるほどの抵抗感がある。が、イオネにとって教授という仕事は魂の所業だ。いかに傍若無人なアルヴィーゼといえど、イオネから人生の要を奪うほど性根を腐らせてはいない。  イオネが療養していた分の遅れを取り戻すために学生たちを相手に補講の時間を設け、加えて自身の研究のために大学にいる時間が長くなろうが、彼女が不承不承ながら複数の護衛の同行を許容している限りはこちらも譲歩すべきなのだ。  当初アルヴィーゼの寝室で過ごすことを渋っていたイオネが、このところは何のやり取りもなく当然のようにアルヴィーゼの寝台で眠りにつくだけで、十分な見返りを得ていると思わなければならない。  寝台の隅で丸まっているイオネを腕に包み、朝になったら身体を愛撫して誘惑しようと考えながら、アルヴィーゼは寝室の扉を開けた。  果たして、予想は外れた。  燭台の灯りが寝室を明るく照らす中、イオネは暖炉のそばのソファに腰掛け、手に持った論文か何かの書面に視線を向けていた。  イオネはアルヴィーゼの方へ顔を向けると、いつものように生真面目に引き結んだ唇を緩めて見せた。 「今日も遅かったのね。お疲れさま。ちょっと話があるの」  事務的な口調だ。が、スミレ色の瞳はらんと輝いている。  アルヴィーゼは濡れた髪を布でワシワシと拭いながら、イオネの向かいのソファに腰を下ろした。 「聞こう」 「よかった。実は、ジヨロカを盛られたときのことを思い返して、ちょっと思いついたんだけど――」  と、イオネは軽快に言った。ヒヤリとしたのはアルヴィーゼの方だ。 「あれって外科手術の麻酔に応用できないかしら」 「あの毒で自分がどうなったか覚えているか」  アルヴィーゼは顔をしかめた。あんなものを研究のためとはいえイオネの目の届く場所に置くなど、悍ましいこと極まりない。  一方で、イオネの反応はあっさりとしている。自分が晒してしまった嬌態は未だに恥ずかしいらしく、にわかに白い頬に血色を昇らせたが、すぐにいつもの自信に満ちた口調で「当然よ」と、きっぱりと言い切った。 「できることなら思い出したくないわ。でも、薬効が強いことは確かよ。脚を刺した時は確かに痛みを感じたけど、毒が抜けてからの方がずっと痛みが強かったの。つまり、意識だけじゃなくて、痛覚を鈍らせる効果もあるということでしょう。お酒に溶いたものを一口飲んだだけで長く続いたということは、その後の興奮状態を引き起こす成分さえ分離できれば、麻酔薬として有効に使えるんじゃないかしら」  イオネはこのために、ユルクス大学の薬学の教授に意見を求め、植物学の権威でもあるヴィクトル老公とも手紙のやり取りをしていた。教授たちには「随分と冒険的発想だ」と驚かれたが、彼らの学術的興味を引くには十分な主題だった。意見は、概ね一致した。 「試してみる価値はあると思うわ」  イオネは紙の束を差し出した。ここ数日でまとめた参考資料だ。 「復帰早々忙しくしていたのは、これか」  アルヴィーゼは資料にサッと目を走らせて、溜め息を押し殺した。 (よくできている)  参考資料には原料となる植物やその分布、毒性のある成分がその部分に多く含まれているかが記され、製薬過程で打てる有効な手段の推論に至っている。 「もはや驚くべきではないだろうな。お前ほどの才ならば」  不遜な言い方だが、この男にとっては最大級の賛辞だ。イオネもそれを理解しているから、勝ち誇ったようににんまりと唇を吊り上げた。 (かわいいな)  しかし、それはそれとして、病み上がりのイオネが働きすぎないよう、もっと主人に忠実な監視役をつけるべきだったかもしれない。 「エゼキエリ医師にも意見を仰いだの。ルドヴァン医術を広めるなら、医学研究と教育のための専門機関が必要よ。それが実現すれば、先進的な薬学研究もしやすくなるわ。コルネール家なら少々危うい植物や薬品も研究材料として手に入れられるわよね。違法な商売なんかじゃなく、公的な事業として適正価格で取り引きできれば犯罪抑止にも繋がるわ。とても冒険的で長期的な計画になるけど、公爵の意見はどう?」  アルヴィーゼは思わず笑いだした。 「お前は本当に、転ばされてもただでは起き上がらないな」 「もう知っているでしょう?わたし負けず嫌いなの。最悪な経験でも善いことに転じればわたしの勝ちよ。更に利を得れば、大勝利ね」 「お前の利になるか?」 「薬草の栽培から領内で研究して技術を確立したら、医学は大きく発展するわ。人々への貢献に加えて、ルドヴァンの専売特許を得られるとなれば、間違いなくわたしたちの利よ」  アルヴィーゼはイオネの勝気な顔に、天の光明を見た気がした。「わたしたち」と、イオネは言った。 「気づいているか?お前は今自らの将来がルドヴァンにあると示したんだぞ」  イオネは黙した。  白い頬にじわじわと血色を昇らせて、何かを発しようとする唇を二度ほど結び、静かにソファから立ち上がって、遊歩するように寝室の中を歩み始めた。 「…わたし、心が不安になると、父さまにもらった指輪を触る癖があったの」 「知っている」  アルヴィーゼは抑揚なく応えた。  目の前でイオネが小指の指輪に触れるたびに、自分の存在を強く感じているのだと密かな悦に浸っていたのだ。 「多分、船乗りが海の女神に祈るようなものだったのよね。わたしにとって父さまは初めての師で、今のわたしに至る道筋を示してくれた人だったから」  イオネはアルヴィーゼに背を向け、マントルピースの上から何かを手に取り、おもむろに振り向いた。イオネの白い指は、鮮やかな緑色のペンを握っていた。遠目からでもその造りの緻密さが分かる。 「その癖が、最近なくなったの」 「何故」 「理由は、あなた」  イオネが確かな視線を向けてきた。夜の灯火の中で、どういうわけかスミレ色が最も鮮やかにアルヴィーゼの目に焼き付いた。 「わたしの最たる不安はあなたで、最も安心する場所があなただから」  アルヴィーゼは静かに近付いてくるイオネの挙動を見守った。頬が、さっきよりももっと赤い。耳から細い首まで染まっている。  イオネが手に触れて来ると、アルヴィーゼは握り返して寝台へ連れて行きたい衝動を堪え、促されるままに手を開いた。 「矛盾しているけど、実はそうでもなくて…」  イオネはアルヴィーゼの手のひらに翡翠のペンを置いて、それがとんでもなく恥ずかしいことのように目を潤ませた。  アルヴィーゼには、この行動の意図がまだわからない。が、イオネにとっては一大事であることは明白だ。 「…つ、つまり、その……」  アルヴィーゼは表情少なく驚いていた。常に理路整然と言葉を放ち自信に満ちているイオネが、口に何か含まされたように言葉を詰まらせている。 「あなたってわたしの人生にはあり得ない存在なの。異質で、脅威なの。荒れ狂う海が、高い山の上まですっかり呑み込んでしまうくらいの」 「…脅威?」  アルヴィーゼは苦笑した。とても褒め言葉には聞こえないが、イオネの独特な表現では悪い意味ではないはずだ。 「俺の脅威がこのペンとどう関係する」 「古来から文筆家が多いエル・ミエルド帝国には、対になっているペンの片方を贈る風習があるの。愛の詩を綴るんですって。でもわたしには詩作の才はないから――わたしの言っていること、わかる?」  イオネの顔は今にも火がつきそうなほどに真っ赤だ。困り果てたように眉尻を下げ、今にも溢れそうなほどに瞳を潤ませて、ペンを乗せたアルヴィーゼの手に指を絡めてくる。  イオネの目の奥で瞬いた星の光が、自分の目の中に飛び込んできて弾け、目に映るものすべてを銀河のように輝かせた。  アルヴィーゼは立ち上がった。  ペンを握りしめたまま、イオネの身体を腕に包んで、唇を重ねた。イオネも引き寄せられるように応じ、甘やかな熱が全身に満ちた。  唇を離した後、アルヴィーゼが最初に見たものは、銀色の輝きを孕んだ美しいスミレ色の瞳だった。 「愛してる…」  言葉が溢れた。衣越しに、イオネの鼓動を感じる。 「お前を愛している。イオネ・アリアーヌ」  イオネはアルヴィーゼの首の後ろに腕を回して抱き締め、身を屈めて再び近付いてくるアルヴィーゼの唇に、自分の唇を触れ合わせた。この世で最も自然な行為だ。  アルヴィーゼは、いつの間にかイオネにとってそういう存在になっていた。 (正に脅威ね)  人生の侵略者から欲しかった言葉を得て、屈服させてもなお、イオネはこの男の脅威に翻弄され続けねばならない。  イオネが導き出した愛の正体とは、そういうものだからだ。 「わたしもあなたを愛しているの、アルヴィーゼ。あなたが思うよりずっと」 「知らなかったな」  アルヴィーゼの声色は、甘い笑みを含んでいた。 「ちゃんと知っておいて。悪魔みたいにしつこくて、嵐の海みたいに無慈悲に人生の景色を変えてしまっても、わたしが許すのはあなただからよ」  ふわりと身体が浮いた。  イオネはアルヴィーゼの肩にしがみつき、首筋に頬を寄せた。 「この世にあなただけなの…」  寝台に身体が沈み、慈雨のようにアルヴィーゼの口付けが降ってくる。何度もしている行為なのに、心臓が破裂しそうなほどに速く打ち、身体の中が思い切り引き絞られるように痛くなった。  アルヴィーゼが肌に触れるたびに甘やかな痺れが生まれ、イオネから(うつつ)を奪い去ってゆく。  先日とは打って変わって、やさしい触れ方だ。 (ほんとうに、海みたいなひと…)  イオネはアルヴィーゼの愛撫に喘ぎながら、意識の奥で思った。  この男の気分次第で全く違う航海になる。時には凪いだ海のように穏やかに身体を揺らされ、違う時には大時化のように激しく翻弄される。それでも、いつも行き着く場所は同じだ。 「――っ、アルヴィーゼ…!」  アルヴィーゼがイオネの深い場所で律動し、熱を刻んだ。エメラルドの色をした瞳が炎のように熱を持って、イオネの感覚をじりじりと研ぎ澄ませ、思考を鈍らせた。 「愛してる、イオネ」 「ん。愛してる…」 「では妻になるよな」 「え…あっ!」  突然火が付いたように腰を打ち付けられて、イオネは叫んだ。  アルヴィーゼが精悍な裸体に影を躍らせ、緑色の目を妖しく光らせながら、白い脛に淫らな口付けをして、悶えるイオネの表情を見下ろしている。 「ほら。はいと言うまで出してやらないぞ」 「んんッ…そんな奥まで、ひらかないで…」 「答えは?イオネ。愛する俺の妻になるか」  頭の中で火花が散るほどの激しさだった。イオネはいつ応えたのか自覚もないまま、アルヴィーゼの熱を胎内に受け入れ、強烈な快楽を忘我の果てに放り出して、見たこともないほど満足そうに笑うアルヴィーゼの口付けを受け入れた。  翌朝、目覚めたイオネの左手の薬指には、スミレの花を模った金の環がカーテンから漏れる朝陽にきらきらと輝いていた。  イオネが指輪の次に目にしたものは、愛おしそうに目を細めたアルヴィーゼの秀麗な貌だった。
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