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第一章 予兆
一学期末、それは高校生の綾美と智香にとって、待ち遠しい夏休みの到来でもあれば、嫌な勉強を強いられる試練の期間でもあった。
「ねえ、アヤ、今日の期末テストの結果どうだった」
「だめだめ、あたし全然出来なかった」
綾美は智香の問い掛けを全面的に否定した。友人関係を肯定するには、自分だけが抜け駆けをしてテスト勉強をした姿を否定する。どこにでもある青春ドラマの一シーン。
「とかなんとか言っちゃってさ、あんた、結構、勉強していたじゃない。いい点が取れているんじゃない」
「どうして私には出来ないの・・・」
綾美は触れられたくない問題をはぐらかして、道化てみせた。
「あんたに出来ないのはイケメンの彼氏だけでしょ」
「分かった・・・」
「分かる、分かる」
二人とも、思春期の真只中、『イケメン彼氏』のキーワードで、どんなシリアスな話題も3秒と経たずに姿を消す。
「でも、ほんと、なんとかしないとね。あたし、病院の跡取り娘だからね・・・」
盛り上がりも早ければ、覚めるのも一瞬、青春時代の乙女心の変化は超特急で変化する。
「いっそのこと、イケメンの医者でも捕まえちゃえば・・・」
「それが出来たら、苦労はしないわ」
急に真顔になった綾美の横顔を見て心配になったのか、「アヤ、景気づけにクレープ食べに行かない。試験で頭使ったからさ。いい店知っているのよ、あたし」智香が綾美を誘った。
「あれ、おかしいな、確かこの辺だったはずなのに・・・」
「もう、トモったら、急に駆け出すのだから」
「この辺にあったはずなのよ・・・」
辺りをキョロキョロと見回す智香に釣られてか、少し落ち着きを取り戻した綾美も顔を上げて辺りを見回した。
「あった、あった、あそこよ・・・」
小走りで駆け出した智香が指さした先にあるのは、クレープショップに見られる華やいだ店構えとは似て非なる薄汚れた町中華のような店舗。店の看板にはひらがなで『くれいぷ』という文字があったものの、綾美が知っているクレープショップには程遠いものだった。
「さっ、行くよ」
綾美は智香に背中を押されて店の暖簾を潜った。門構え同様、店内も町中華に見られる内装。
「いらっしゃいませ」
その声と同時に奥から店の主人らしき男性が現れた。年恰好から察するに四十代後半か。
「じゃああたし、スペシャルクレープ」
メニューを開きもせずに、智香が店主に向かっていきなり注文を告げた。
「クレープって、餃子の皮で包まれた中華ってわけじゃないよね」
雰囲気からか、綾美の口から素朴な疑問が口をついて飛び出した。
「大丈夫だって、普通のクレープ。心配なら、アヤもあたしと同じものにすれば」
智香の気転で気まずい雰囲気にならずに済んだと思いきや、当の店の主人は蚊帳の外、綾美も同じ注文と受け取ったと思ったのか、厨房の奥に姿を消して行った。
「どうぞ、スペシャルクレープです」
先ほどの主人がテーブルにクレープの入ったグラスを置いた。クレープはスペシャルと名がついてはいたものの、特に豪華絢爛という外観ではなく、普通のクレープと大差さの無い姿形。ごくありふれた容器に、ごくありふれた食材が、ごくありふれた形で運ばれて来たものだった。
「スペシャルクレープって、どこがスペシャルなの」
「とにかく食べてみて・・・」
綾美は智香に勧められるままにスペシャルクレープを味見した。
「不味くはないけど、スペシャルって程の味でもないけど」
聞かれるままに素朴な感想を口にした。
「もう少し食べてみて・・・」
もう少し食べればおいしいトロの部分を味わえるのか、甘い期待に誘われるままに綾美が三分の一ほどクレープを食べた時だった。
「実を言うとね・・・」そう口にする智香のクレープは手つかずだった。
「何かあるの・・・」
「何かって・・・」
「体調不良とか」
「大丈夫よ、少なくともあたしはね・・・」
智香は意味ありげに上目遣いで綾美を見た。
「あたしだって・・・」
挑発的な智香の視線がそうさせるのか、綾美も両手をテーブルについて身を乗り出した。でも、そんな綾美の意思を裏切るかのように、綾美の身体は綾美の期待とは異なる態度を示した。
「ちょっと目眩が・・・」
綾美はその場にしゃがみ込んだ。
「大丈夫よ、クスリが効いてきただけよ」
「クスリって、どういうこと」
予期せぬ智香の言葉に反射的に口が開いた。
「今食べたクレープのこと」
「何を入れたの、あたしトイレに行ってくる」
智香は何かを隠している。そう確信した綾美は、足元も覚束ない状態ではあったが、意を決して立ち上がった。今、行動しなければ手遅れになる。もう一人の綾美がそう促した。
「トイレで吐くつもりらしいけど、もう手遅れ。目眩がしたと言うことはクスリが脳に達したシグナル」
振り返ると、智香の手が綾美の腕を掴んでいた。
「もしかして、覚せい剤・・・」
まさか、親友の智香に限って、そんなことって、朦朧とする頭を賢明に振り絞ってそう問い掛けた。
「覚せいは、覚せいに違いないけど・・・」
智香が独り言のようにそこまで言いかけた時には、既に綾美は夢の中へと旅立っていた。
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