姫倉さとりは死期をも悟る 一話

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姫倉さとりは死期をも悟る 一話

 プロローグ  バケツをひっくり返したかのような大雨が降る中を、合羽を着た少年が全力で自転車のペダルを踏んでいた。  湿度が高いせいで汗をかけない身体は熱を帯び、上下に合羽を着ているせいで動き辛く、かれこれ三十分は無心でペダルを漕いでいた少年の体力はとっくに尽きていた。しかし、少年はペダルを漕ぐ足を止めない。目の前に大きな水溜まりがあっても、少年は避ける手間すら惜しんで突っ込み大きな水飛沫をあげた。目や口に雨が入ろうとも拭うことはせず、少年はただひたすらにペダルを踏んだ。  少年は大通りから路地に入った。道が狭くなっても少年の自転車はスピードを落とさない。  誰もいない公園の横を通り過ぎた時に、少年は数十メートル先の外灯の下に何か大きなモノが照らされているのを見つけた。少年は嫌な予感がしたが、どうか杞憂であってくれと願った。  少年は近くまで進んでから自転車から飛び降りると、バシャバシャと音を立てながら大きなモノに近付いた。  現実は、残酷であった。  外灯で照らされた大きな赤い水溜りの中心には、少年の嫌な予感の通り、よく知る少女が横たわっていた。 「ッッッ」  少女の名を呼びたくても、受け入れ難い現実を目の前にして少年の喉が詰まる。  少年は寄り添うように膝をつくと、震える手で少女の身体に触れる。手にベットリとついた血と、華奢な身体が異様な程に重いこと、触れても何一つ反応が無いこと、その全てが既に生命が途絶えたことを物語っていた。  少年は湧き出した全ての感情を吐き出すように、身体の奥底から咆えた。自らの無力さを、運命の残酷さを、誰とも知らぬ人間の悪意を、その全てを呪った。  一話 悟り少女との邂逅  見抜真(みぬき まこと)には物心付いた時から”他人が意図的についた嘘に限りそれが嘘だと分かる力”があった。別に特別なことじゃない、と思う人も中にはいるだろう。  だが、真の持つこの力は「今のは嘘を付いたような気がする」といった曖昧なモノではない。相手が意図的に嘘をつくと、全身の皮膚の内側に虫が湧いたかのようにゾワゾワと嫌な痺れを感じるのだった。  小学生の頃の真は、嘘を見抜くこの力を神様が与えてくれた正義の力だと思っていた。真がそう思うようになった原因は、先生や両親といった周りの大人が口を揃えて、嘘を付いてはいけませんと言うからだ。 「覚えていない」 「忘れた」 「その日は用事がある」  誰もが一度はついたことのあるような嘘を、正直であることが絶対に正しいと信じていた当時の真は、次々と暴いていった。  最初の内は、他人の嘘を次々と見抜く様が名探偵のようだと持ち上げられた。だが、次第に真は周囲から孤立していった。それは至極当然のことである。真のいる所では嘘がつけなくなったからだ。  嘘をつくという行為は必ずしも悪意があるわけではない。誰かに嘘をつく場面というのは自らの保身のためであることが多い。だが、時には相手の気持ちや場の雰囲気のためにつくこともある。その全てが正しいとは言えないが、嘘をついた方が良い場面というのは子供社会だろうと大人社会であろうと存在する。  嘘をついてはいけないと育てられた小学生の真にとって、嘘をついても良い時と悪い時があることを理解するのは困難であった。  中学生になった真は、小学生の頃ほど他人の嘘を指摘することはなくなった。時には嘘をついたほうが上手いこと世界が回ることを、小学生の頃の孤立をキッカケに理解してきたからだ。  だが、中学校に上がり人間関係がある程度新しくなると言っても同じ小学校の人間は多い。真の小学生の頃の愚行の数々はあっという間に知れ渡り、最初の数ヶ月は孤独な学生生活を送ることになった。しかし、少しずつ信頼を取り戻した真は、二年生に上がる頃には他の人と同じようにクラスに馴染むことが出来た。  そんな中学校生活も三週間前に卒業を迎えた。真は住んでいる鳴間(なるま)市北区から少し離れた場所にある高野台(たかのだい)高校に通っている。  工業高校や女子校を目指しているわけではない場合、成績の良い人が目指す鳴間南高校か部活動に力を入れている鳴間西高校、そのどちらにも属さない平凡な人間が目指す鳴間東高校に行くことが、真の出身校である鳴間北中学校の定番だった。  だが、真はあえて少し離れた場所にある高校に進学した。それは自分の事を知る人が少ない環境でやり直してみたいという気持ちがあったからだ。  家から自転車で一時間弱。真は高校まで自転車で通っていた。真の通う高野台高校は名前の通り高台の上にある。何処から通ったとしても、最後に上り坂を上らなければならない。  真が利用する北側の裏門前の坂はまだ傾斜が緩やかだが、南側にある正門前の坂はかなりの急勾配で、野球部やサッカー部がトレーニングで坂道ダッシュを行う程だった。そんな現役運動部の彼等にとってもキツい正門前の坂のことは、生徒達の間では地獄坂と呼ばれていた。 「おりゃああああああッッッ」  花びらがほとんど散ってしまった桜の木が両脇に植えられた裏門前の坂を、真は声を出しながらペダルを勢いよく踏んで駆け上がった。しかし、威勢が良いのは声だけで、次第にペースを落としていき、半分ぐらい上ったところで真は自転車から降りた。  正門前の地獄坂と比べて傾斜が緩やかといっても、中学の頃から帰宅部の真には上り切る体力など無かった。 「そ、卒業する頃には一気にの、上れるのかな」  真は自転車を押しながら、軽やかに坂を上り切る未来の自分を想像してみるが、リアルなイメージが思い浮かばない。息を切らして自転車を押している今の自分にはそんな未来はあまりにも現実味が無かった。  そんな彼を慰めるかのように、心地良い風が少し汗ばんだ真の顔を通り抜けた。  真は裏門に立っていた生徒指導の先生に挨拶を済ませて自転車置場へと向かった。学年別に停めて良い場所が決められており、それさえ守れば何処に停めても良いのが高野台高校のルールだった。真は一年生のエリアの中であまり人気のない奥の方に自転車を停める。  最初の頃は出来るだけ昇降口に近い所に停めていたのだが、いくら防犯登録シールだの通学使用許可証の貼る場所に気を遣ったとしても高校生の通学用自転車は色も形も殆ど同じものばかりで、人気のある場所に停めると自分の自転車が何処にあるのか分からなくなってしまう。さらには、後から来た人間が乱暴に停めると自分の自転車がすぐに出せなくなってしまう。  真は入学早々そんな嫌な経験をしたため人気の無い場所に停めるようになったのだ。  真は昇降口でスリッパに履き替えてから自分の教室へと向かった。  真が教室に入るとクラスメイトの半分程が登校していた。自分の席で突っ伏して寝ている人、宿題をやっている人、友人と話している人、各々が朝の時間を好きなように過ごしていた。  真は近くのクラスメイトに挨拶しながら自分の席へと向かう。真は背負っていたリュックを、机の横にあるフックに引っ掛けてから椅子に座る。  黒板の上にある時計を見ると、朝のホームルームまで十五分あった。このぐらい時間があるのなら読書でもしようか、と思っているとクラスメイトの野々宮あすか(ののみや あすか)が真の元へと近付いてきた。  真は野々宮とは違う中学の出身である。だが、初対面だろうと気兼ねなく話しかける彼女は真とも既に何度か話をしたことがあった。 「おはよう、見抜君」  野々宮は右手で敬礼のようなポーズを取りながら挨拶をする。真も同じようにポーズを取ろうと右手を上げようとしたが、急に恥ずかしさが込み上げてきたので上げた手をそのまま下げる。 「おはよう」 「見抜君さぁ、今日の英語の予習ってやった?」 「一応やったけど」  野々宮はその答えを待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。 「ホント? この前の授業の流れだと今日当てられそうなんだよね。だからノートをちょぉっと見せて欲しいなぁって」  野々宮は親指と人差し指で少しだけであると強調するかのようにジェスチャーをする。  真は自分が趣味の時間を削ってやった予習を、他の誰かが写すだけで終わることに少し嫌な気持ちが湧いた。だが、頼まれ事に対して嫌と言えない性格の真はリュックから英語のノートを取り出して手渡す。 「見せるのは別に良いけど、合ってるかどうかは知らないよ」 「ありがと。英語の授業までには返すから。じゃあね」  野々宮は自分の席に戻ると早速ノートを写し始めていた。野々宮のノートが真っ白だったために、全然ちょっとだけじゃないぞと真は思ったが、一々そんなことを指摘するようなことはせず、真はリュックにもう一度手を突っ込むとお目当ての文庫本を取り出して読書を始めた。  担任の先生が、朝のホームルームの時間ピッタリに教室に入ってきた。先生の登場にクラスメイト達は慌てて自分の席へと戻る。学級委員の号令に合わせて朝の挨拶を済ませると先生は今日は連絡事項があると切り出した。 「文化祭実行委員は今日の放課後に化学室に集まるように。文化祭は六月だがクラス展や部活動毎の展示等の説明があるからな。文化祭実行委員は誰だ?」  先生が教室の中をぐるりと見渡すと、一人の女子生徒が返事をしながら手を挙げる。 「姫倉か。男子は?」 「伏見君です」  先程と同じ女子の声がする。 「伏見だったか。困ったな」  先生が後頭部をボリボリと掻いた。 「姫倉、ホームルーム終わったらちょっと来い。それじゃあ以上。学級委員、号令ッ」  担任の発した「号令」の一言に学級委員が素早く「起立」と言いながら立ち上がる。学級委員の号令に続いて、ガタガタと椅子を動かしながら他のクラスメイトが立ち上がり礼をする。  朝のホームルームが終わり、最初の休み時間が訪れた。真の視界の端には担任の元へと向かう姫倉の姿があった。彼女が何か先生と話しているようだったが、自分には関係ないと思った真はすぐに視線を逸らす。  真は一時間目に使用する数学の教科書とノートを机に広げると、リュックから朝も読んでいた文庫本を取り出した。  数学の授業が終わると次は英語の授業だった。真は朝のホームルーム前に野々宮に貸したノートを返してもらおうと彼女の席へと向かった。野々宮は蛍光ペンを使って綺麗なノートを作っていた。 「野々宮さん。英語のノート、そろそろ返してほしいんだけど」 「遅くなってごめん。はいコレ」  野々宮はノートと一緒に個包装された飴玉を真に手渡した。 「何これ」 「何って、飴玉だけど」 「いや、それは分かるんだけど」 「さわやかレモン味。私が一番好きな味」 「僕が言いたいのはそういうことじゃなくて」 「もしかして嫌いだった?」 「嫌いじゃないけど。何で飴玉も一緒に渡したのかと思って」  真の言葉に野々宮はキョトンとする。 「何でって、ノートのお礼だよ」 「あぁ、なるほど」 「ノートを見せてくださりありがとうございました」 「こ、こちらこそどうも」  野々宮がわざとらしく深々とお辞儀をしたのに釣られて、真もなんとなくお辞儀をして返す。 「それじゃあ今後ともよろしくね」 「いや、予習は自分でやらないと」 「それはそうだよね。”次からはちゃんと自分でやる”よ」  真は野々宮の返事を聞いた時に身体の内側がゾワゾワと痺れた。その痺れは野々宮の”次からはちゃんと自分でやる”という言葉が嘘であることを物語っていた。  しかし、真は姫倉に嘘をつかれたことを指摘するつもりはなかった。嘘を指摘するのではなく、ちょっとした仕返しのつもりでその嘘に乗っかることにした。 「次からはちゃんとやるってことは今後は見せなくても良いってこと?」  その言葉に、野々宮は手をパタパタと左右に振る。 「いやいやいや、困った時はお互い様って言うでしょ」 「確かに言うけど。それがどうかしたの?」 「困った時はお互い様。ということは、もしも私が困ってたら?」  野々宮は目を輝かせる。だが真はあえて無視した。 「困ってたら? なに?」 「もう! そこは助けてあげるって返すとこでしょ!」  野々宮はペチペチと真の背中を叩いた。 「それだと随分一方的なお互い様じゃない?」と真が返すと、野々宮はケチと言いながら頬を膨らませた。  真が英語のノートを持って自分の席に戻ると、それを待っていたかのように一人のクラスメイトが真の席へと近付いてきた。 「見抜君、今日の放課後って時間ある?頼みたいことがあるんだけど」  真の席に来たのはクラスメイトの姫倉さとり(ひめくら さとり)だった。  真は姫倉と同じ中学校に通っていたのだが、中学の頃は同じクラスにならなかったため、今の今まで一度も会話をしたことはなかった。 「頼みたいことって何?」 「朝のホームルームで先生が、文化祭実行委員は放課後に化学室に行けって話をしてたでしょ。男子の文化祭実行委員は伏見君なんだけど、伏見君、しばらく学校来れないみたいだから。だから、男子の文化祭実行委員の代理として見抜君に出て欲しいんだけど」  文化祭実行委員は男子と女子で一名ずつ。女子は姫倉で男子は伏見なのだが、伏見は入学早々下校中に交通事故に遭ったために入院していた。 「文化祭実行委員かぁ」  真はクラスの代表になって何かをするというような仕事があまり好きではない。  だから真は図書委員を選んだ。図書委員は基本的に仕事が無いし、あったとしてもクラス全員でやるような仕事ではなく、大抵が図書委員の中だけで完結するからだ。  わざわざそうしたというのに、文化祭実行委員などという責任重大そうな仕事を引き受けるのは、本当は気が進まなかった。  しかし、真は人に頼まれたら嫌とは言えない性分なので拒否することが出来ない。 「別に、忙しいわけじゃないけど」 「それは了承したと解釈して良いの?」  姫倉は間髪入れずに聞き返す。 「え、まぁ一応。でもあくまで代理でしょ?」 「伏見君が戻って来たら辞めても良いけど、いつ戻るのかは先生も分からないって言ってたから覚悟はしてね」  姫倉が強調した覚悟、という言葉に真はドキリとした。 「わ、分かった」  真の返事に姫倉は納得していないのか不満そうな顔をする。 「私が頼む立場なのは分かっているのだけれど、もうちょっとハッキリ言ってくれる? 引き受けてくれるの?  引き受けてくれないの?」 「や、やります」  姫倉の放つ圧に萎縮した真は小さな声で返事をする。姫倉は真の返事に満足したのか、いつもの少し冷たい表情に戻っていた。 「そっか。ありがとう。じゃあ放課後、お願いね」  その場を去ろうとした姫倉に対して、真は心の中にあった疑問について質問してしまう。 「何で僕に頼んだの?」  姫倉は振り返り、真の顔をジッと見た。 「先生が、見抜君は帰宅部だし丁度良いだろうって言ってたから」  姫倉はそれだけ言うと自分の席へと戻って行った。あんまり面倒な仕事が無いと良いなぁ、と思いながら真は椅子に座った。  昼休み。高野台高校には購買はあっても食堂は無い。生徒達は、自分の教室や友人の教室、自分の所属する部室、鍵のかかっていない空き教室といった好きな場所に移動して昼食を取る。なお、屋上だけは常時鍵がかかっているため入ることが出来ない。真が密かに憧れていた、昼休みに屋上で弁当を食べたり昼寝をするという夢は叶いそうになかった。  真は同じ階の端にある空き教室に向かうと窓際の角の席に座った。席に座ってしばらく待っていると、同じクラスの牧野慶太郎(まきの けいたろう)が真の隣に座った。  牧野は真と出席番号が隣で、入学式の時の待機時間に好きなゲームの話で盛り上がったことをキッカケに仲良くなった。真にとって高校に入って最初に出来た友人である。 「はいコレ。百円な」 「ありがとう」  用意しておいた百円玉を牧野に渡すと、牧野は結露によって少し濡れた紙パックの珈琲牛乳を真に渡した。 「俺のこと待たずに先に食べてても良かったのに」 「別に、五分ぐらいの違いだから変わんないよ」  牧野は購買で買ってきた焼きそばパンの袋を開けて一気に頬張った。牧野の方から焼きそばパンのソースの匂いが漂ってきた。食欲を刺激された真は家から持ってきた弁当箱の蓋を開ける。 「そういえば真さんよ。今日はご機嫌なんじゃないの?」  牧野は普段真のことは呼び捨てで呼んでいるのに、わざわざ「さん」付けして呼んだことに真は引っかかる。 「どういう意味?」 「だってよぉ」  牧野は口いっぱいに頬張っていた焼きそばパンを呑み込むまでの少しの間黙った。 「俺は見てたぞ。お前があの姫倉とお話していたところを」 「あぁ、確かに話したけど。それが?」  真の答えに牧野は目をカッと開いた。 「なにぃッ! 無自覚ですか? 俺なんかしちゃいましたか? ってやつか?」 「ちょ、声がデカいって」  しかし、牧野は全く気にせずに同じトーンで話を続ける。 「クラスの男子だろうと他のクラスの奴らだろうと、姫倉に話しかけに行った男子は皆ガン無視されてるんだぜ。噂だと先輩が相手だろうとガン無視キメてるらしい。そんな男嫌いの姫倉とお喋りしてたってどういうことだよ」 「どういうことも何もないよ。文化祭実行委員の手伝いをして欲しいって言われただけだよ」  真の返事を聞いた牧野は突然椅子から立ち上がり、真の両肩を強く掴む。 「それはつまりッ! お前はッ! 姫倉さんにッ! 頼りにされてんのかッ? 良いなぁッ! あんな黒髪ロングの正統派美人に頼りにされてるなんてよぉッ!」  ここまで清々しいと否定するのも馬鹿らしく感じたが、誤解されたままだと後々面倒なことになりそうなので真は説明をする。 「姫倉さんが僕に頼んできたのにはちゃんと理由があるんだって。先生が、見抜は帰宅部で丁度良いだろうって言ったからだってさ。僕であることに深い意味は無いよ」 「その話、ホントか?」 「ホントだよ」  牧野は真の目をジッと見る。牧野は納得したのだろうか、掴んでいた両肩を離した。牧野は二つ目の焼きそばパンを頬張った。 「そういうことなら、許してやろう」 「そんなに言うなら実行委員の代理やるか?」  真の問いかけに牧野は一瞬目を輝かせたが、すぐに何かを思い出したかのようにため息をつく。 「俺サッカー部だから多分そういうの出来ないんだよなぁ。早くレギュラーになりたいから放課後は部活優先したいし」 「そっか。牧野はレギュラーなれそうなの?」 「もちろん、と言いたいが六月の県予選のレギュラーとなると難しいかな。今度のミニゲームでの監督へのアピール次第ってとこ。ベンチに入れるだけでも儲けもんって感じ」 「ふぅん。帰宅部だからあんまり難しいことは良く分からないけどさ、まぁ頑張れよ」 「おう、任せとけ」  牧野は自身の胸をドンと叩いた。想定より強く叩いてしまったのか牧野はゲホゴホとむせた。 「そういやさ、高野台の文化祭ってクラス展あるんだよな?」 「朝の先生の話だとあるって言ってたけど」  真の答えに牧野はニヤリと不気味に笑った。 「何? その不気味な笑顔は?」 「どうせくだらないことだろうけど」と真は呟く。 「フッフッフッ、クラス展があるじゃないか」 「なに? クラス展がどうかしたの?」 「クラス展で女子にメッチャ可愛い格好させてぇッ!」  想像通りのしょうもない話だったので、真は残りのご飯をかきこんだ。  帰りのホームルームが終わると、皆が各々部活に向かったり帰り支度を始めた。真は文化祭実行委員の集まりのことを綺麗サッパリ忘れていたため、自分の荷物をまとめると何も気にせず廊下へと向かった。  真が教室の出入り口に近づいた時、真は突然誰かにリュックを強く引っ張られた勢いで体勢を崩した。振り返ると姫倉が真のことを睨みつけていた。 「見抜君、何処行くの?」 「何処行くのって言われても。あ」 「ごめん、忘れてた」と真が言うと、姫倉は真のリュックを持つ手を離した。そして、ギリギリ聞こえるぐらいの大きさで「最低」と呟いた。姫倉の冷たい視線と言葉が真の胸を抉った。 「私まだ荷物あるから、廊下で待ってて」 「は、はい」  姫倉が自分の席に戻って荷物をリュックに詰めるのを、真は教室の出入り口近くで呆然と眺めていた。  少しすると姫倉が早足で教室から出てきた。 「じゃあ、行こっか」 「うん。化学室だよね?」 「そう」  姫倉は競歩の選手かと思ってしまう程の早足で、生徒でごった返している廊下を人の間を縫うようにスルスルと先に進んだ。置いていかれないように真もその後ろを追いかけるのだが、人並みに揉まれて足止めを喰らってしまう。やっとの思いで人だかりを抜けてから辺りを見回したが、そこに姫倉の姿は無かった。真は化学室へ駆け足で向かった。  真が化学室に入ると、同学年や上級生達が二十人ぐらい集まっていた。  高野台高校は各学年六クラスあり、一クラスにつき二人ずつ来ているのだとすれば、後からさらに倍の人数がこの部屋に集まることを意味していた。  化学室の机は水道が備え付けられており、一つの机に四人が二人ずつ向かい合うように座るタイプだった。  真は窓際にある他に誰もいない机を陣取っている姫倉の姿を見つけると、隣に座るのは気が引けたので対角線上の席に座る。そんな真を、姫倉は溜め息をつきながら睨んだ。 「見抜君、後からもっと人が来るんだからさ、後から来た人が困るような席取りしないで私の隣に座りなよ」 「えっと、はい」  指摘された真は慌てて立ち上がると、おそるおそる姫倉の隣の椅子に座る。ふわりと甘い香りが真の鼻をかすめた。  真は昼食の時の牧野の言葉、黒髪ロングの正統派美人という言葉を思い出していた。それまでも綺麗な人だなぁと漠然と思っていた。  だが、中学が同じということぐらいしか接点がなかったこともあり、真は姫倉のことを今まで全く意識していなかった。  しかし、そんな彼女が今はすぐ隣にいる。一度気になってしまったら意識せずにはいられなかった。  緊張で姫倉の方を見れない真は、キョロキョロと辺りを見渡した。移動教室特有の少し座りにくい椅子、何か薬品を零したのか色が変わっている床、棚に並べられた顕微鏡、ラベルを見ないと何が入っているのか分からないホルマリン漬け、教室の後ろの壁には経年劣化で色が薄くなった周期表が貼られていた。 「何かあった?」  他にも何か面白いモノはないかと探していた真は、姫倉に突然話しかけられたことで思考がフリーズする。 「ん、いや。その」  真の挙動不審な態度を受けて姫倉は怪訝な顔をする。 「もしかして、見抜君ってナニか視える人なの?」 「いや、そういうわけじゃなくて。ただ面白いモノ無いかなぁと思って」 「面白いモノ?」 「なんでもない。なんでもないから。そういえば姫倉さんは」  話題を無理やり変えようとした真は、彼女の名を出した所で停止する。質問を何も用意していなかったからだ。 「私が、何?」  何でも良いから当たり障りのない質問をしなければ、と考えるほど何も思い付かなかった。しかし、自分から話題を振ったのだからどうにか繋がなくては明らかにおかしな人になる。  とにかく場を繋がなくては、という一心で真の口から質問が溢れた。 「姫倉さんは、どうして文化祭の実行委員になったのかなぁって?」 「どうしてって? 私が文化祭実行委員をやるのはおかしい?」  真は自分の口から出た質問に自分で驚いていた。解釈によってはあまりに失礼な質問だ。  だが、何故自分がこんな質問をしてしまったのかを今一度考えると自分の中に一つの疑問が浮かんだ。 「姫倉さんが実行委員をやることに問題は無いけど。でも、記憶が正しければなんだけど、女子の文化祭実行委員って野呂さんに決まったよね?」  それは数日前のこと。クラスで各委員や係を決める時間があった時に、真のクラスは立候補により担当委員を決めていた。  そして、文化祭実行委員をやりたい人は挙手をするようにと担任が言った時に、手を挙げていたのは伏見と野呂の二人だけだった。だから、姫倉が文化祭実行委員をやっているということはその後に何かあったのだ。 「委員決めの後に、私が野呂さんと先生に頼んで私の担当だった保健委員と代わって貰ったの」 「そうなんだ。代わって貰ってまでやりたいってよっぽどやりたかったんだね」  そこまでやりたかったのなら何故立候補しなかったのだろう、と真の頭を過ったが、何か理由があってのことだろうと思い口にするのをやめた。 「それは」  姫倉はポツリと呟いた。 「私、文化祭当日にはこの世にいないから。だから最後の思い出作りに良いかなって」 「え?」  真は強烈な違和感に襲われた。姫倉の言葉に自分の嘘を見抜く力が発動しなかったからだ。  真の力が発動しなかったということは、姫倉は本気で文化祭当日にはこの世にいないと思っているということになる。その事実に真の頭は真っ白になった。
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