姫倉さとりは死期をも悟る 三話

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姫倉さとりは死期をも悟る 三話

 三話 誤算  真は目を真っ赤にした姫倉と一緒にバスを降りた。少し肌寒い風と共に、何処かから美味しそうな匂いが漂ってくる。 「じゃあ、私こっちだから。また明日」 「いや、家まで送ってくよ」 「ふぅん。じゃあ、お願い」  二人は並んで歩き出した。  大通りから一本中に入ると住宅街になっており、道は狭くなったが所々に外灯があるため、夜でも真っ暗になるということはないように見えた。  しばらく歩くと何処か見覚えのある広場が見えた。 「もしかして、ここがてっぺん公園?」 「うん」  真の持つてっぺん公園のイメージとはずいぶんかけ離れていた。姫倉が話していたように塔が無くなっているのもあるが、一番驚いたのはあの頃は広いと思っていた公園がずいぶんと小さく感じた。 「本当に何も無いんだね。これじゃあ何がてっぺんなのか分かんないね」 「そうだね」 「姫倉さんはこの公園でよく遊んだの?」 「小学生の頃はね」 「なんか意外だなぁ」 「なんで?」 「なんとなく」 「私にだって普通に小学生の頃があるんだけど」  姫倉は真の脇腹を肘で小突いた。 「痛っ」 「そういう見抜君はどうなの?」 「うぅん、家からちょっと遠いからてっぺん公園はあんまり来なかったかな。そもそも、小学校の高学年になってからはあんまり公園で遊んだりしなかったし」 「男子はゲームとかカードの方が好きそうだもんね」  よく知らないけど、と姫倉は付け足した。 「うーん、まぁそれもあるけど。僕はほら、嘘を見抜く力で好き勝手やってたからさ。遊ぶ相手が、ね」  姫倉はハッとしてからごめんと謝った。 「いや、謝ることじゃないよ。悪いのは僕だからね。それに遊ぶ友達が全くいなかったというわけじゃないよ。学年は違うけど二人の幼馴染みがいたから。その二人とまぁ、色々馬鹿やってたよ」 「ふぅん」  姫倉は真に気が付かれないようにそっと隣を見た。真の目は、何処か遠くの景色を見ているようだった。  姫倉はとある家の前で立ち止まった。周りの家と比べると明らかに金額が違うのだろうな、と子供でも分かるような御屋敷がそこにあった。真はもしかして、と思いながら姫倉の方を見る。 「ここが私の家」  姫倉の言う通り、表札には姫倉と書かれていた。 「そうなんだ」  スゴい家だね、と思わず言いそうになったが、あまりにも品が無いなと思った真は別れの言葉を口にする。 「じゃあまた明日」 「うん、また明日」  姫倉は玄関へと向かう前に一度振り返る。 「送ってくれてありがとね」 「いや、別に大したことじゃないよ」  姫倉は真に向かってヒラヒラと手を振ってから家の中へと入っていった。 「はぁ、スゴい家だなぁ」  真はお上りさんよろしく思ったことを一人で呟く。ずっとこのままだと不審者みたいだなと思った真は、これからどうしたものかと考えながら自分の家を目指した。  帰宅した真は、両親と共に晩御飯の焼きそばを食べながらテレビを見ていた。特に面白い番組がやってなかったのでニュース番組にチャンネルを変えると、丁度気になっていたことを取り上げていた。 『えぇ、ここからは専門家の方に気になるニュースについてお聞きしたいと思います。今回のニュースはこちら。連続通り魔事件。一月から四月までの間に四人も被害に遭っているこの事件について、専門家の押絵先生をお呼びしました。押絵先生、本日はよろしくお願いします』 『はい、よろしくお願いします』 『一月から四月までの間に四人も被害に遭っている一連の通り魔事件。未だ犯人が捕まっていませんが押絵先生はどのようにお考えでしょうか?』 『犯人を捕まえるのはなかなか難しいと思いますねぇ』 『それは、どういうことでしょうか?』 『この一連の事件、犯人逮捕に時間がかかっている要因は、犯人の特定が進んでいないからなんですよ』 『犯人の特定、とは具体的にはどういうことでしょうか?』 『背後から襲われたということもあり、被害者全員が犯人の顔を見ていないのですよ。さらには、周辺の防犯カメラに犯行現場や怪しい人物が映っていなかった。そうなると、犯人の性別やおおよその年代、背丈や服装といった犯人を追うための手掛かりが殆ど無いわけですよ』 『それは最初の事件から四ヶ月経った今でもそうなのでしょうか?』 『はい。私が聞いている限りでは特定出来ていませんね』 『犯人について分かることが殆ど無いということですね。それでは次の質問に移ります。被害者は四人いますが、どういった関係なのでしょうか?』 『えぇ、被害者は四人全員が若い女性であるという共通点はありますが、被害者同士に面識は無いそうです』 『被害者同士に面識がない。その場合、犯行動機はどのような事が考えられますか?』 『そうですねぇ。一つは若い女性に恨みがある場合です。もう一つは誰でも良いのだけれど、若い女性なら抵抗してこないだろうと考えている場合ですかね』 『なるほど。それではこのニュースを見ている人達、具体的には若い女性は今後どのように注意していけばいいのでしょうか?』 『そうですねぇ。一つ目は、家の周りに防犯カメラを設置することですかね。犯人は防犯カメラのある場所では犯行に及ばないようですからね。もちろん通り魔事件のためではなく空き巣被害の防止にもなりますからね。二つ目は、出来るだけ人通りが多くて明るい道を選ぶことですかね。やはり人目の無い場所は危ないですからね。三つ目は、暗くなったら一人で外出しないことですかね。犯行はいずれも暗くなってから起きていますからね。もちろん仕事や学校があってそういうわけにはいかない人もいるとは思いますが、その場合は家族や友人と帰ることをオススメしますね』 『なるほど。本日は貴重なお話ありがとうございました』  姫倉を助けるための突破口になる情報を手に入れられなかった真は溜め息をついた。真の父は息子の溜め息に顔をしかめた。 「なんだ食事中に溜め息をつくだなんて。母さんの料理に文句があるのか?」  その言葉に真の母は不安そうな顔をする。真は慌てて「そんなことないよ」と言いながら焼きそばを頬張った。  頬張った焼きそばを呑み込んでから真は話す。 「そうじゃなくて、さっきのニュースがさ」 「さっきのニュース? あぁ、連続通り魔の話か」 「うん。四ヶ月も連続で被害者が出てるのに、未だに手掛かり一つ見つからないだなんてそんなことあるのかな」 「誰も顔を見てないし、防犯カメラに怪しい人物は映ってないとなったらお手上げなんじゃないか?」 「それはそうかもしれないけど」 「それにしても、普段まともにニュースを見てるようには感じないお前が、どうしてこの事件について気になってるんだ?」  真は姫倉の顔が頭を過ったが、そのイメージをすぐに振り払った。 「いやさ、クラスの女子がこの事件のことを気にしててね」  真は、だいぶ省略したが嘘ではない言い方をした。 「そういうことか。犯人は若い女性ばかり狙うってんだから、女子高生が不安になるのはごもっともだな」  父が納得したように話すその横で、母が「私だって不安になりますよ」と口を挟んだ。 「父さんは防刃ベスト、みたいなの何か持ってないの?」  真は期待せずに何気なく聞いてみた。 「あぁ、持ってるぞ」 「え、本当に?」  父の返答があまりにも予想外だったために、真は思わず聞き返した。 「おぅ、昔、何年前だったかな。まぁ大学生の頃に、警備員のバイトをした時に支給されたやつがあったはずだ。捨てた覚えはないし今も何処かにあるはずだ。母さん、何処にあるか分かるか?」  そう聞かれた母はムスッとした。 「私と会う前の私物のことなんて知りませんよ。使ってないクローゼットにでも眠ってるんじゃないの?」  「そうかもな。後で探しておいてやる」 「うん、ありがとう」 「ん、食べ終わったなら食器は流しに運んでおけよ」  真の皿が空になっていることに気が付いた父は、流しの方を指差しながら言った。 「うん、分かってるよ」  真は「ごちそうさま」と言ってから食器を流しに運び、風呂の準備を始めた。  真が風呂の準備をしている間にチャンネルを変えたのか、芸能人の笑い声が居間の方から聞こえてきた。  真が風呂上がりに自室で本を読んでいるとコンコンと扉がノックされた。 「真、今良いか?」 「なに?」  扉を開けて部屋に入ってきた父の手には、少しだけ襟のある袖が無いタイプの黒い防刃ベストがあった。 「それ、もしかして防刃ベスト?」 「あぁ、そうだ」  真は父から防刃ベストを受け取ると、渡されたベストをマジマジと見る。支給されたと聞いたので安物っぽいのかと想像していたが、素人目ではしっかりした作りをしていた。 「これが支給されたの?こういうのって返すものじゃないの?」 「辞める時に返せと言われなかったし、辞めてからも返せと連絡が無いのなら問題ないだろう。仮に問題があったとしたら、それは連絡しない方が悪い」  父は腕組みしながら偉そうな態度で言った。 「へぇ、まぁ言われないなら良いんじゃない? でも、こういうのが必要なぐらいには何か危ない警備だったの?」 「他の奴らは知らないが、父さんが行かされた場所はそんなことはなかったな。まぁ、こういうのはとりあえず従業員に配っておかないと、何か起きた時に従業員の安全対策に問題がーって話になるからな」 「ふぅん」 「明日からそれ着て学校行くのか?」 「いや、着るとしたら帰りだと思う」  真は言い終わってから付け足すように言った。 「しばらく借りても良い?」 「あぁ、良いよ別に」 「誰かに貸しても良い?」  その言葉に、父は一瞬間を開けた。 「それは構わないが。何かあったのか?」 「何かあったわけじゃないけど。まぁ、色々とね」  何かあったのではなく、未来に何かがあるから。真はそう思ったが口にはしなかった。 「ふぅん。まぁ、好きにすれば良いさ」  そう言うと父は息子の部屋を後にした。父は居間に戻るとテレビを見ている母の横に座った。 「なに? なんか嬉しそうな顔をして」 「ん? 嬉しそうな顔をしてるか?」 「してるわよ。何かあったの?」 「フッ、息子の成長を実感したんだよ」 「真の成長? だから、何があったの?」 「言わないのが男の美学。それを真も分かってきたようだったからな」  母は何一つ面白いと思えない一発芸を見せられた時と同じ顔をする。 「出た、男の美学。訳の分からないヤツ」 「おいおい、出たとか言うなよ」 「じゃあ女の私にも分かるように言ってくださいな」 「そう言われてもなぁ、男の美学は言葉で語るモノじゃないんだよな」 「はいはい、分かりました分かりました」  母は適当な返事をしながら時計を見ると、大事なことを思い出したかのように慌ててチャンネルを変えた。 「え、俺まだ見てたんだけど」 「このあとジュン君が出る番組始まるから駄目」 「ハァ、良い歳してなぁにがジュン君だ。すぐ隣にこんなに良い男が痛ッッッ」 「始まるから静かにして」  居間でのやり取りなど何一つ知らない真は、防刃ベストを制服の横に掛けると再び本の世界にダイブした。  翌日の朝、真が教室に着くと姫倉は昨日あんな話をしたとは思えないほどに普通の様子だった。真は彼女の席へと向かった。 「姫倉さん、おはよう」 「おはよう」 「昨日の話だけどさ」  真は防刃ベストの話をしようとしたが、姫倉に睨まれたことで口を噤んだ。 「その話は此処でしないで」 「え? あぁ、ごめん」  周りに人がいる中で秘密の話をするのは良くなかったな、と思った真はすぐに謝った。姫倉も別に良いからと伝えるが、その二人の様子を少し遠くから見ている人がいた。 「おや、おやおやおや」 「な、なに。野々宮さん」  真の横にスルスルと忍び寄ってきたのは野々宮あすかだった。 「おはよう見抜君」  野々宮は右手で敬礼のような真似をしながらニヤリと笑った。 「え、あ、おはよう」 「いやぁ、まさかね。まさかまさかだよ見抜君」 「何が?」 「何が? じゃないよ見抜君。いやぁ、見抜君は隅に置けないなぁ」  野々宮はそう言いながら真の肩をポンポンと優しく叩いた。 「姫倉さんと付き合ってるんでしょ?」 「「いや、付き合ってないけど」」  真と姫倉の声が偶然ハモった。しかし、そのハモりが野々宮を加速させた。 「え、息ぴったりじゃん。いつから付き合ってたの? というかどっちから告白したの? 誰にも言わないから教えて」 「だから付き合ってないってば」 「またまたそんなこと言っちゃって。昨日、仲良くよろしくやったってことでしょ? キャー」  真がもう一度否定しようとしたその瞬間、突然真冬に変わったのかと錯覚する程の寒気を感じた。真は寒気を感じた方を見る。そこには完全に冷めた目をした姫倉の姿があった。 「野々宮さん」  彼女の名を呼ぶ姫倉の視線は、鋭い氷の刃を彷彿とさせていた。しかし、怒らせた張本人の野々宮は気が付かない。 「何?」  姫倉は野々宮を睨みつける。 「二度と、そんなふざけたことを言わないで。非常に、不愉快だから」  自分に向けられたわけでもない姫倉の言葉の刃に真の胸がギュウと痛くなった。 「え、あ」  さっきまで楽しそうに話していた野々宮の声が凍る。真は「そこまで言わなくてもいいのでは?」と言おうとしたが、姫倉の放つプレッシャーに抗うことは出来ず、ただただその重い空気に耐えることしか出来なかった。 「あ、あはは。あははは。ごめんね、冗談。冗談だから。本気にしないでね。どうぞごゆっくり」  野々宮は姫倉にペコペコと頭を下げてその場から逃げるように去っていった。 「見抜君も不愉快だったよね?」  その言葉に真は返事に困る。 「いや、別に不愉快という程では」 「不愉快、だったよね?」 「え、あ、はい」  姫倉の怒りの矛先がいつの間にか自分に向いていることに気が付いた真は、彼女が望んでいるであろう返事をする他無かった。 「クラス展の案がある人は手を上げてください」  総合学習と呼ばれる色々な事をする授業の時間に、真のクラスではクラス展に何をやるのかを決める会議が開かれていた。  一人の生徒が手を高く掲げた。真は一瞬呆れそうになったが、皆の前なので茶化したりせずに名前を呼んだ。 「じゃあ、牧野さん」  はい、と大きな声で返事をした牧野は立ち上がる。そして右手を高く掲げた。 「コスプレ喫茶が良いと思いますッ!」 「コスプレ喫茶?」  真が呆気にとられている横で、チョークを持って黒板の前に立っていた姫倉は、丸くカワイイ文字でコスプレ喫茶と黒板に書き込んだ。  クラスからはコスプレ喫茶って何だよと声が上がった。 「コスプレ喫茶ってのは好きな服を着てお客様をおもてなしする喫茶店ですッ!」  お前はお客様におもてなしだなんてキャラじゃないだろ、とあちこちから野次が飛んだ。しかし、牧野は滅気ずに唱える。 「カッコいい服も! 可愛い服も! どっちも良い! よくよく考えてみてよ! 文化祭でコスプレしなくていつコスプレするの?」  ザワザワと皆が思い思いの事を近くの席の人と話し始めた。収集がつかなくなりそうと判断した真は一度咳払いをした。 「えぇっと、静かにしてください。他に何か案がある人いますか?」  その後、お化け屋敷とゲームセンターという案が出た。三つやるわけにはいかないので多数決を取ることになった。 「多数決で半数以上獲得した案を採用します。最初にコスプレ喫茶が良いと思う人は挙手をお願いします」  真の言葉にゾロゾロと手が上がる。ざっとクラスの半分に満たないぐらいだろうか。素早く数え終えた姫倉が黒板に十四と記入する。 「じゃあ次はお化け屋敷が良いと思う人は挙手を」  再びゾロゾロと手が上がる。先程と同じくらいだろうか。姫倉は黒板に十五と記入する。クラスは四十人なので、真と姫倉を除くと最後に残った案は九ということになる。 「多数決の結果、半数以上になった案はありませんでした。なので、最も得票数の少なかったゲームセンターの案を無しにしてもう一回多数決を取ります」  教室がザワザワと騒がしくなった。 「ちょっと良いか」  牧野はそう言うと立ち上がった。 「コスプレ喫茶って言っても、接客する人と調理担当だとか裏方を担当する人がいる。つまり、どうしても知らない人と話すのが嫌だとかコスプレしたくないって言うならそっちに回れば良いんだぜ。もちろんコスプレして調理を担当するのもアリだと思うけどさ」  牧野はそれだけ言うと椅子に座った。牧野に対抗して「お化け屋敷は料理を作る必要が無いから準備も当日の対応も喫茶店に比べれば楽に決まってる」だとか色々な意見が飛び交った。  真はあえて十秒程待ってから再度声をかけた。 「自分の意見は決まりましたか? それではコスプレ喫茶が良いと思う人は挙手をお願いします」  ゾロゾロと手が上がる。挙がっている手の数を数えるまでもなく明らかに半数を超えていた。  姫倉は数え終わると二十八と黒板に記入した。 「えぇっと、半数を超えているのでクラス展はコスプレ喫茶に決まりました」  喜びと落胆の声が響き渡る。それまで黙っていた先生が少しうるさいぞ、と注意すると多少静かになった。 「喫茶店ということなのでそのままどんなメニューを出すか意見を出し合おうと思います」  しかし、メニュー決めは難航し、何一つ決まらないまま時間切れとなってしまった。  昼休み、真と牧野はいつものように同じ階の端にある空き教室で昼食を取っていた。 「どうよ、俺の力は」  購買で買ってきたおにぎりを頬張りながら牧野は自慢げに言い放つ。 「コスプレ喫茶に決まった話を言ってるの?」  真は返事をしてからお弁当に入っていた玉子焼きを口にする。 「そりゃそうさ。俺のおかげで決まったようなもんだろ。いやぁ良かった良かった」 「まぁ、最後に消極的な人は調理担当に回れば良いみたいなことを言ったのは大きかったと思うよ。皆が皆目立ちたいわけじゃないしね」  真の言葉に牧野は満足そうに笑う。 「フッフッフッ、計算通りってやつよ。さて、時に真さんよ」 「駄目です」 「おい、まだ何も言ってねぇだろ」  牧野は机の下で真の足を軽く蹴る。 「ごめんごめん。駄目な事言いそうだったからつい」 「聞いてみないとわからないだろう?」 「じゃあ言ってみなよ」  真は苦笑いしながら言う。 「コスプレ喫茶ってスクール水着はありだと思う? ほら、水泳部の水嶋にスク水を着て貰いたいんだよな。胸は若干控えめな成長ではあるものの、全体的に、とりわけ尻が引き締まっててなかなか良いと思うんだが」  品のない笑みを浮かべる牧野に対して真は深い溜め息をついた。 「駄目に決まってるだろ。肌の露出の多い服装やボディラインが如実に現れる服装は駄目って決まりだから」 「仮に決まって禁止のルールが無かったとしても、常識の範囲内で無理に決まってるだろ」と真はツッコんだ。  しかし牧野は諦めない。 「なぁ、冷静に考えたらスク水がアウトっておかしくないか? 教育委員会はアウトな服装で授業受けさせてるっていうのか? それで授業受けられるってことは正装と言っても過言じゃないだろ」 「いや、正装は過言だろ。場所を弁えろって話だよ」 「そうか? 俺が主役の式典ならスクール水着は大歓迎だぜ」 「そんなに言うなら、スク水式典でも勝手に開いてくれ」  真は純粋な目で夢を語る友人を見て、大きな溜め息をついた。 「牧野はコスプレするの?」 「いや、しないよ。俺は見る専だから」 「そうですか」  聞いた自分が馬鹿だったと真は反省した。 「でも裏方に回ったら接客してる様子が見れないか。それなら俺も接客やろうかな」 「動機が不純すぎる」  真の返答に牧野はニヤリと笑った。 「そういうお前もこういう機会にアニメやゲームのコスプレしたいなとか内心思ってるんだろ? ん? 正直に言ってみろよ」  牧野の指摘に真は思わず咽る。それ見たことかと笑う牧野に対して真は否定したが、牧野の言う通り、内心では少し着てみたいという憧れが真の中に確かにあった。  真は赤くなった顔を隠すように、弁当のご飯を一気にかき込んだ。  次の日、真が休み時間に本を読んでいると、隣に人が立つ気配がした。気のせいかと思っていたが、その人物は動く気配が無かった。真が気配のする方を見ると、一人の女子が慌てふためいた。 「あ、あわわわ。今大丈夫?」 「ええっと、狛江さん?」  真の横に立っていたのはクラスメイトの狛江若葉(こまえ わかば)だった。  真は、椅子に座っている自分と立っている彼女の目線があまり変わらないことに驚いた。狛江は学校で一番背が低い、という噂は本当なのかもしれないと真は思った。 「あのね、採寸の手伝いを、じゃなくて。クラス展のコスプレのことなんだけど」 「うん、コスプレがどうかした?」 「丁度平均ぐらいかなぁと思って。あ、えっと、サイズがね。見抜君が」  緊張のせいなのか要領を得ない発言を繰り返す狛江に対して、真はどう返事をすれば良いか考えていると、真に近付く巨体の姿があった。 「見抜、お前体格が平均的だからコスプレの衣装作成の採寸に協力して欲しいんだってさ」  狛江の言葉の補足をした巨体の正体は長田大樹(ながた だいき)。身長百九十センチの学年で一番背の高い大男だ。 「協力するのは良いけど。衣装作成って?」 「あわわわ。私達のクラスはコスプレ喫茶をやることになったけど、衣装って買うと結構高いから。だから料理にお金かけるために自作した服を着れば良いかなって。私が」 「んんと、要するに経費削減のために町田がコスプレ衣装を作るってさ」  長田が補足する。 「それはありがたいけど良いの?一着作るのにどのぐらいかかるとか何にも分かんないけど、だいぶ大変だと思うよ」 「ひゃいッ。だだだ大丈夫。私、服作るの好きだから」  真は狛江の裁縫技術を疑っているわけではないがどこか心配になってしまう。真の表情にその気持ちが滲み出ていたのか分からないが長田が付け加える。 「狛江は家庭科部の中でも裁縫はとにかく上手い」  長田の言葉に、狛江の顔が誰が見ても分かる程に一瞬で真っ赤になる。 「ひゃひッ? そそそそ、そんなことないよ。長田君の方が上手だよ」 「それはないって。僕はボタン付けすら上手く出来ないし」  長田はそういえば、と呟いてから話を続ける。 「あぁ、見抜も知らなさそうだから言っておくけど、僕も家庭科部だから。レシピの提出や調理担当の方は協力するよ。その代わり接客する気は無いから」 「へぇ、長田って家庭科部だったんだ。てっきりバレーとかバスケかと思ってた」 「よく勘違いされるけど違うから」  何度も同じ勘違いをされているからなのか、長田の声色には少しだけ棘が含まれていた。 「ごめんごめん。でも家庭科部がクラスに二人もいただなんて。てっきりいないのかと思ってた」 「ごごごごめんね」 「いや、別に謝ることじゃないよ。クラス展決める時に聞かなかった僕が悪いし」 「出しゃばりやがって、とかゴチャゴチャ言われるのは御免だから聞かれるまで黙ってようと思ってたけど、狛江が手伝いたいって言うから仕方なく、な」  長田は「仕方なく」という言葉を強調した。 「うぅ、で、でも手伝ってくれるのは本当に助かるよ。ありがとう。それで、採寸はいつ、何処でやるの?」 「きょきょきょ、今日の放課後ッ」 「ええっと、場所は?」 「かかか、家庭科室ッ」 「分かった。今日の放課後に家庭科室ね」  狛江は頭が取れてしまうのではないかと思うほどブンブンと勢いよく頷いた。  真の返事に安心したのか狛江は自分の席に戻ろうとしたが、振り向きざまに机に身体をぶつけた。狛江は小さな声でウヒャアと呟きながら、そのまま自分の席に戻るのが恥ずかしかったのか廊下の方へ走って行った。 「狛江、あんなんだけど腕は確かだから」  そう呟いた長田は何か言いたげな表情をしていたが、結局何も言わずに自分の席に戻っていった。  帰りのホームルームが終わると、真は荷物を纏めて一人で家庭科室へと向かっていた。入学式の日に学校案内でしか訪れたことのない家庭科室の前へと到着する。家庭科室の中から知らない女子生徒の笑い声が聞こえてくる。 「何で一人で来ちゃったんだろう」  真は長田か狛江と来れば良かったと後悔していた。扉を開けた時に知ってる人が一人もいなかった時の気まずさを考えると、家庭科室の扉を開けることを躊躇してしまう。 「何してんの?」  扉の前で立ち止まっていた真は後ろから声をかけられた。振り返ると知らない女子生徒が立っていた。スリッパの色を見ると自分とは違う色。それは上級生であることを意味していた。 「え、あ、えっと。狛江さんに採寸に協力して欲しいって言われて来ました」 「狛江? あぁ、一年の。ふぅん、じゃあ早く入れば良いじゃん」 「あ、入って良いんですかね」 「更衣室じゃないんだから良いに決まってるじゃん」 「そ、そうですよね」  真は逃げ道を失い家庭科室の扉に手をかける。一呼吸置いてから扉を開けると、家庭科室の中にいた女子生徒達が一斉に真の方を見た。 「あ、どうも。て、手伝いに来たんですよ。あはは」  女子生徒達からの視線を浴びながら、真は知っている人物が来ていないか探した。すると、見覚えのある人物がそこにいた。 「あれ? 姫倉さんも来てたの?」  家庭科室の隅の方にある席に一人座る人物は、紛れもなく姫倉だった。真は知っている人を見つけた安心感から姫倉の元へ小走りで向かった。 「狛江さんに採寸に協力して欲しいって言われたから。見抜君も?」 「うん。狛江さんに言われて」 「ふぅん、そう。狛江さんはまだ来てないよ。長田君が迎えに行ってる」 「迎えに?」 「なんか色々道具を持ってくるんだってさ。詳しいことは知らない」  真は少しだけ距離を空けて姫倉の隣に座る。家庭科部の人達は真から興味を失い、友人達との会話に花を咲かせていた。 「見抜君、今携帯持ってる?」  姫倉は自分の携帯電話を取り出しながら聞いてきた。 「持ってるよ」  真は少しだけ膨らんだポケットをポンポンと叩いた。 「LINKやってる?」 「やってるよ」 「じゃあ連絡先交換しよ」 「え」  真は口を開けたままポカンとする。姫倉は真の腕を肘で小突く。 「良いから、早くして」 「わ、分かった」  真は言われるがままに携帯電話を取り出してLINKを起動する。真はホーム画面から連絡先交換を選択した。  LINKはチャットや通話が出来るアプリのことで、携帯を持っている人の多くが利用している。姫倉が何やら操作をすると、真の携帯電話がピコンと音を鳴り、通知画面には『姫倉さとり とフレンドになりました』と表示された。 「それにしても、なんでいきなり連絡先を?」  真の問いに姫倉は不満そうな顔をする。 「何? 私に連絡先知られるのはそんなに嫌だった?」 「いや、全然そんなことないよ。本当に」  姫倉は一呼吸置いてから呟いた。 「昨日みたいに例の件について皆がいる場所で話されると困るから。二人だけで話せるタイミングがいつもあるわけじゃないでしょ?」 「あぁ、そういうこと」 「他に何だと思ったの?」 「いや、別に」 「もしかして、私が見抜君に気があるとでも思った?」 「まさか。この前好きじゃないって言われたばかりなのに」  真は自分の言葉で心がモヤモヤとした。 「好きじゃない、とは言ってないけどね」 「別に、意味は一緒でしょ」 「ふぅん。まぁ、そうかもね」  姫倉がいたずらっぽく笑った。その時、廊下の方からガラガラと音がして家庭科室の扉が開いた。 「お、遅れましたぁ」  ハンガーラックがひとりでに動いているのかとギョッとした真は、ハンガーラックの衣装の影に狛江の姿を見つけた。そして狛江の後ろから大きな段ボール箱を持った長田の姿も見えた。 「見抜さんに姫倉さん。お待たせしましたぁ」  狛江はハンガーラックを二人の近くに移動させた。 「その服は?」  真はハンガーラックを見ながら訊ねた。 「こここ、これですか?これはコスプレの参考になるかと思って持ってきました」 「こっちは小道具。客寄せ担当はともかくとして、配膳担当なんかは小道具持つ余裕無いと思うけどな」  長田はそう言いながら段ボール箱を机の上に置いた。軽々と持っているように見えたが、箱を置いた時の音からそれなりの重さなのだと感じられた。  ハンガーラックには色々な服が掛かっていた。メイド服、ドレス、迷彩服、映画でしか見たことがない特殊部隊を彷彿とさせるゴツゴツとした装甲服まであった。  段ボール箱の中にはカチューシャやリボン、玩具の刀や銃、そして見覚えのある銀色の筒があった。 「これってまさか」  触っても良いか聞いてから真はその銀の筒を取り出す。見た目より重いその筒にはいくつかボタンが付いていた。真がボタンを押すとビシュウウという音と共に格納されていた赤く光る棒が飛び出した。 「ひゃひッ?」 「おおっ、ライトセーバーだ」 「それを持つならコレじゃないのか」  長田はハンガーラックにかかっていた真っ黒な大きなマントを真に渡す。その大きなマントにはフードも付いており、フードを被ると顔以外が全て黒で覆われた。 「おおっ、暗黒卿」  真は人のいない方に向かってライトセーバーを軽く振ってみる。空を切るライトセーバーからブゥンブゥンと音が鳴る。  マントを一つ羽織るだけでもまるで映画の世界に入ったかのような没入感に真は夢中になっていた。 「見抜君、遊びに来たんじゃなくて採寸の協力に来たんでしょ」 「あ、ごめん。つい」  姫倉の子供を諭すような言い方にハッとした真は、慌てて身に付けていたものを片付けた。 「羽織るだけみたいなのは簡単だけど、丈の調整だけだから。で、でも、こういうのはある程度サイズを決めて作らないといけないから」  狛江はメイド服を手に取りながら説明する。狛江が手に持つメイド服は、ポケットやフリルや刺繍といった細かい場所まで再現されていた。 「狛江さん、質問しても良い?」  姫倉がメイド服と狛江を交互に見ながら口を開いた。 「ひゃひッ。どどど、どうぞ」 「仮に狛江さんが衣装を作ることになったとしたら、文化祭までに何着ぐらい作れるの?」 「えぇっと、じゅうぅ、じゃなくて、二十着ぐらい」 「それは無理をして? それとも余裕を持って?」  狛江は姫倉の問いに身体をビクンと震わせる。 「そそそ、それは、無理して、です。頑張れば、です、無理してというよりは」  狛江の答えに姫倉は小さな溜め息をつく。 「衣装を作ってくれるのはとても有り難いけど、狛江さん一人が無理しちゃ駄目。どう考えても狛江さんの負担が多すぎる」 「ひゃひぃ」  ただでさえ小さい狛江が姫倉の返事にさらに小さくなる。 「文化祭当日は午前午後で人数を半分に分けるとして、さらに接客と裏方で半分に分かれるのだとしたら、衣装は十着あれば十分だと思う。それに十着全部が手作りである必要は無いと思う。見抜君はどう思う?」 「多分そんな感じじゃないかなぁ。当日の分担もあるけれど、教室に置けるテーブルの数とかも考えるともう少し接客の人数が少なくても回るかもね」  自分の意見を聞かれるとは思ってなかった真は少し慌てながらも答える。 「そうかもね。とにかく、分担だったり衣装の内容を早く決めないとね。その辺は私が調整するから、決まったら狛江さんにもう一度相談するから」 「ひゃぃ、お願いします」  狛江に対する姫倉の言葉に棘は全く無いのだが、彼女が発するプレッシャーのようなものに圧倒された狛江はすっかり怖気づいていた。 「じゃあ採寸をお願い。それとも見抜君が先の方が良い?」 「どどど、どっちからでも大丈夫です。じゃあ姫倉さんから、あっちに準備室があるのでそちらで」  姫倉は狛江に連れられ家庭科室に隣接した準備室へと入っていった。女子二人がいなくなったため、真の周囲には長田一人となった。 「この服や小物は誰の持ち物なの?」  真は長田に訊ねた。 「演劇部の持ち物、ではあるけど家庭科部の前の先輩達が演劇部に寄贈した物らしい。詳しくは知らない。狛江に聞いて」 「ふぅん、なるほどね」  しばらくの間、二人は無言になった。真は自分も人の事をあまりとやかく言える立場ではないが、長田はどうやらあまり自分から話すタイプではないのだと思った。  沈黙に耐えきれなかった真は口を開いた。 「長田はどうして家庭科部に入ったの?」 「料理の勉強がしたかったから」 「へぇ、料理が好きなの?」 「好き、とはちょっと違う。やらなくちゃいけないからやってる」  まぁ嫌いでもないかな、と長田は付け加えた。 「やらなくちゃいけないってのは?」 「両親が共働きで朝は早いし帰りは遅いから。中学上がる頃には弟や妹達に飯の準備するのが当たり前になってた」 「それは大変だね」  普段殆ど手伝いをしていない真に、長田の言葉は深く刺さった。 「大変だけど、まぁ、悪いもんでもない。美味けりゃ喜んでくれるし、レシピに従って作るのもアレンジするのも苦じゃないし」  そういう見抜は部活やってるのか、と長田は訊ねた。 「部活はやってないよ。中学の時も帰宅部だったし今も帰宅部。何か事情があるわけじゃなくてただ何となくなんだけどね」  実際は少し理由があるのだけれど、話した所で雰囲気が悪くなるだけだったので真は嘘をついた。長田は真の嘘に気が付くことはなかった。 「ふぅん。まぁ帰宅部なら早く帰れるし、部活によっては土日も練習あったりするから、帰宅部は帰宅部で良いよな」  そんな話をしていると、準備室の扉が開いて姫倉が出てきた。 「次は見抜君」 「あ、了解」  真は姫倉とすれ違いながら準備室へと向かった。  足の長さやウエストといった色々な箇所を、狛江は真剣な表情で測ってはノートに記録していた。何気なくそのノートを見ると、真の数字の横に姫倉のものと思われる数値が書かれていた。真は慌てて目をそらした。 「む、胸周りを測ります」  狛江が正面から背中に手を回して真の胸の辺りにメジャーを巻き付ける。  ノートに書かれていた姫倉の数字や、息がかかりそうな距離にいる狛江のことを意識してしまい真の心臓は音を立てる。 「はい、次は肩幅測ります」  真は狛江に聞こえているんじゃないかと思うほど心臓を鳴らしていたが、測定に集中している狛江は気にした素振りを見せなかった。 「あ、ありがとうございました。採寸終わりました」 「終わり? もう大丈夫?」 「はいッ、大丈夫です」  狛江はニコニコと笑いながら頭をペコペコと下げて礼を言った。  真の測定は五分ぐらいで終わったが、恥ずかしさと焦りによる疲れがドッと押し寄せていた。  準備室を出ると、姫倉はハンガーラックにかかった衣装を、長田は段ボール箱の中の小物を黙って物色していた。 「お、終わりました。ありがとうございます」  狛江は姫倉と真に向かって何度もお辞儀をした。 「採寸は私と見抜君だけで良かったの?」 「ひゃ、ひゃいッ! 目安があると作りやすいんです。誰が着るのか分かってれば細かく調整出来ますけど、自分用の服作りのサイズ感は参考にならなくて」 「身体の部位の比率ってのは基本的にみんな極端には変わらないのだけれど、例えば狛江の体格と僕の体格では随分違うだろ? 平均的なサンプルがあれば多少の誤差はカバー出来るけど、僕や狛江みたいな極端なサンプルをベースに作るとバランスが崩れるってこと」 「ふぅん」  長田の補足説明に姫倉は納得したようだった。 「ひひひ、姫倉さんにはとびきりの専用衣装を用意してみせますッ」  狛江の突然の宣言に姫倉は困った表情をした。 「私のために専用衣装だなんて。もっと着たい人に作ってあげなよ」 「で、でも、姫倉さんとっても素敵だから姫倉さんが着る服はとびきりこだわりたいの、私がッ!」  真の目から見て、狛江は本気で言っているようだった。しかし、姫倉は嫌そうな顔をした。 「そうは言っても。私、着れないから」  真だけは姫倉の言葉の真意を理解した。文化祭は六月七日より後である。つまり、殺される未来を回避しないと姫倉さとりは文化祭に参加することは決して無い。それは衣装を着る機会が無いことを意味している。  しかし、狛江も長田もその事を知らない。姫倉の返事を、姫倉の思惑とは違う解釈をする。 「おい姫倉、せっかく狛江がお前のために専用衣装を作るって言ってるのに、私は着れないってなんだよ」  長田の言葉にはハッキリと不快感が混じっていた。そんな長田に屈することもなく姫倉は反論する。 「着れないものは着れないの。だから、私のためじゃなくて他の人のために作ったらどうか、って言ったの」 「何言ってんだお前」  長田が姫倉の方に歩み寄ろうとしたその時、狛江が間に割って入った。 「ごごごごめんね。私が勝手なこと言ったせいで。姫倉さん実行委員だから、きっと色々仕事があるってことだよね?」  狛江は姫倉を睨み付ける長田の身体を全身を使って何とか抑えようとしながら、姫倉の方に問いかける。 「そう。色々あるの。色々と、ね」  姫倉はそう言うと家庭科室から出て行った。 「何だアイツ」 「いや、えっと、狛江さんの衣装が嫌とかじゃなくて、実行委員だから色々あるかもしれなくて」 「仮にそうだったとしても、言い方ってもんがあるだろ」  真が姫倉を庇おうとすると長田の矛先は真の方を向いた。 「わわわ、私は気にしてないよ長田君。大丈夫だから」 「狛江はそれで良いのかよ」 「大丈夫。ホントに大丈夫だから。だから、怒るのは、もうやめて」  狛江の目が潤んでいることに気が付いた長田は舌打ちをする。 「狛江がそれで良いって言うなら良いよ」  長田はそう言うと椅子にドカッと座った。 「そ、それじゃあ今日のところはこの辺で。また何か決まったら連絡するから」  真は頭を下げてそう告げると、最悪の空気になったこの場を後にした。  廊下に出た真は、既に遠くまで行っていた姫倉の元へと走った。昇降口の手前で真は姫倉に追い付いた。真は姫倉の横に並んでから声をかけた。 「大丈夫?」 「大丈夫って何が?」 「狛江さんも長田も六月七日のことは知らないんだから、あんな言い方したら勘違いされるに決まってるよ」 「そうね。でも事実でしょう?」 「じ、事実って」  真は言葉を失う。姫倉はしばらくの沈黙の後にポツリと呟く。 「いや、ごめん。私が悪かった」  昇降口に着いた姫倉は、スリッパから靴へと履き替えた。 「じゃあね、見抜君。また明日」 「うん、また明日」  真は姫倉の背中に声をかけようとしたが、結局何一つ言葉は出てこなかった。  その日の夜、風呂上がりに動画サイトを見ていると通知音が鳴った。通知を確認すると姫倉からチャットが送られてきていた。 『六月七日の件は何か思い付いたの?』  六月七日の件というのは、姫倉が殺される未来のことだろう。 『家に防刃ベストがあった。貸しても良いって言われてるから、当日は防刃ベストを着て帰るのはどう? 僕も一緒に帰るから、家に着いた時に返してくれれば家族にも見られないでしょ?』  真は何度も書いては消してを繰り返し、何度も読み直してから送信した。  しかし、既読はついたもののしばらく返事が返ってこなかった。真はすぐには返事は来ないのだろうと思い、動画サイトを再び起動したその時、通知ではなく着信音が鳴った。相手は姫倉だった。 「もしもし、姫倉さん?」 『見抜君、今話しても大丈夫?』  姫倉の声から生気を感じられなかった。目の前にある意味のない言葉の羅列を読むかのように、機械の自動音声のように無機質に聞こえた。 「大丈夫だよ」 『私、やっぱり助からないみたい』 「え、いきなりどうしたの?」 『経験したの。未来を』 「それは、例の六月七日を?」 『うん』 「未来は変わらなかったってこと?」 『うん』 「僕がさっき送ったメッセージは読んだ?」 『読んだ』  真は姫倉の異様な声色に不安を抱えていたが、少しだけホッとした。 「僕だけじゃ不安かもしれないけど、防刃ベストも着てれば未来は変わると思わない?」 『そうはならない。そうはならないの』 「どういうこと?」 『ねぇ見抜君。もしも、今から六月七日を迎えたとしたら、六月七日の十九時頃に私は防刃ベストを着ていて、隣には見抜君がいるはずなんだよね?』  何を当たり前のことを、と言い返そうとした真は息を呑んだ。遠回しな言い方を嫌う姫倉がこうも遠回しな言い方をする。何故なのか。真の脳裏に最悪の未来が過る。 『六月七日の十九時、見抜君は私の隣にいないし、私は防刃ベストを着ていなかった。その未来の携帯に見抜君の連絡先は登録されてた。だから見抜君に通話を掛けてみた。でもね、繋がらなかった』 「嘘だろ」  真は何がどうなっているのかさっぱり分からなかった。何故未来の自分は姫倉の隣にいないのか、何故防刃ベストを渡していないのか、何故姫倉からの着信に自分が出ないのか。  力の抜けた真の手から携帯電話が滑り落ちた。床に落ちた真の携帯電話の画面には通話中の文字だけが表示されていた。
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