姫倉さとりは死期をも悟る 四話

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姫倉さとりは死期をも悟る 四話

 四話 運命の追い打ち  真は震える手で床に落とした携帯電話を拾った。幸いにも傷はついていなかった。 『何の音?』  姫倉の問いに対して、真は「携帯電話を落とした」と謝った。  今必要なのは状況整理だ。そう思った真は質問を始めた。 「ところで、その未来はいつ経験したの?」 『ついさっき。見抜君から防刃ベストの話が届いて、それに返信しようとしてた最中』 「ということは、防刃ベストのことを知ったうえで未来を経験したってことだよね?」 『うん。防刃ベストだなんて言われても、どんな見た目なのかは良く知らないけど。私は変わったモノは身に着けて無かったし、リュックにも入ってなかった』  じっとりとした嫌な汗が、真の額から首筋へと垂れた。 「その未来では、姫倉さんの携帯に僕の連絡先は登録されていたんだよね?」 『登録されてた』 「過去に経験した未来」と言いかけて真の言葉が一度止まる。 「なんて言えば良いんだろう? 前に経験した未来では、姫倉さんの携帯に僕の連絡先は登録されてた?」 『分からない。見抜君に連絡しようだなんて思わなかったから』  真はこれまでの情報から何か分かることがないか、と思考を巡らせた。  二つの可能性が頭の中に思い浮かんだ。しかしそれは、点と点が線で繋がったというよりも、点と点をとりあえず線で結んだと言った方が正しいような、引っかかる要素が残ったものだった。 「考えられるパターンは二つ。一つ目は、姫倉さんが初めて経験した六月七日と全く同じ未来を経験しているだけの場合。行動は変えられるけどスタートは変わらないって言うのかな」 『要するにリピート再生、みたいなことを言ってるの?』  真はもう少し上手い言い方は無いのか、と自分でも反省する拙い説明であったが、姫倉は真の言いたかったことを要約した。 「うん、そういうイメージ」 『じゃあ、二つ目のパターンは?』 「あまり考えたくないのだけれど」と真は前置きした。 「何かしらの理由があって、僕は防刃ベストを渡さずに、一緒に帰らずに、電話にも出ない、という場合かな」  二人はしばらく言葉を発しなかった。  真の耳に聞こえてくるのは時計の秒針の音と、何処か遠くの方を走るバイクの音だけだった。  沈黙を破ったのは姫倉だった。 『その場合、未来の見抜君は何をしているんだろうね』 「それは、分からない」  真は、何故未来の自分が姫倉のそばにいないのか想像もつかなかった。未来の自分は一体何をしているのだろうか。今の段階では考えたところで分かるはずもなかった。 「仮に何か用事があったとしても、防刃ベストを渡しておくぐらいは出来ると思うんだけど」 『もしかして、見抜君の身に何かあったんじゃないの?』  姫倉はポツリと呟いた。 「え、何かって?」 『それは分からないけれど、仮に見抜君が本気で私のことを助けようとしているのなら、何もしてないはずがないんでしょ? でも未来では何も、少なくとも私が経験した未来の中では、見抜君は何もしていない。見抜君の気持ちと行動が矛盾しているのだとしたら、見抜君は何もしていないんじゃなくて、何も出来なかったって可能性はないの?』  真は愕然とした。真は自分の身のことなど全く考えていなかった。自分はずっと安全地帯にいるのだと思い込んでいた。  もちろん、未来の自分がそこにいない理由は分からない。だが、風邪で休む程度の理由だったのなら、防刃ベストを事前に渡すか家まで取りに来てもらうだとか、やり方は色々あるはずなのだ。しかし、何もしていない。いや、何も出来なかったのかもしれない。  真は、誰もが明日を迎えられると信じているように、自分も当然の如く六月七日を迎えられるのだと信じていたのだ。  気が付けば、真の呼吸は小刻みになり、身体は震えが止まらなくなり、汗が止まらなくなった全身から鳥肌が立っていた。  まだ自分の身に何かがあると確定したわけではない。それなのに身体が異常をきたす程に恐怖を感じている。  それならば、自分の身に死が降りかかると知っている彼女は、姫倉さとりは、一体どれほどの恐怖をその身体に封じ込めているのだろうか。  真は自分とは比べ物にならない程の恐怖を味わっている彼女が普段は冷静であることに、尊敬というよりも畏怖の念を抱いた。 『見抜君、大丈夫?』  姫倉のその声が、真を思考の迷路から引きずり出した。 「え、あ、うん。大丈夫」 『あくまで可能性の話だからね。あまり気にしすぎない方が良いよ』 「いや、でも。姫倉さんは僕なんかよりも」  色々な感情が頭の中でぶつかり合って、その先の言葉が出てこなかった。 「ごめん、何でもない」 『ふぅん。そう』 『まぁ、なんとなく分かるかも』  姫倉のその呟きは、真に対して話しかけたのではなく、本当に無意識に口から溢れたものだった。 「何が分かるの?」 『ごめん、”何でもない”』  真の身体がゾワゾワと痺れた。姫倉は嘘をついた。真が嘘だと気が付いたのと同時に、姫倉は息を漏らした。 「姫倉さん。さっきの」 『聞かないで』  姫倉が真の言葉を掻き消すように割り込んだ。 「な、何でさ」 『聞かないで。お願いだから』 「なんとなく分かるってどういうこと?」 『だから、聞かないでってばッッッ』  姫倉は携帯電話を耳から離したくなるぐらいの大きな声で叫んだ。真が呆気に取られていると、電話の向こう側から姫倉以外の声が聞こえてきた。 『そろそろ電話切るね。分かってると思うけど学校でこの話はしないでね。おやすみ』  ブツッ。  姫倉は一方的に喋るとそのまま通話を切った。  ツーツーと通話終了の音が鳴る携帯電話を、真はしばらく耳に当て続けた。  それから一週間が経過した。  姫倉はあの電話の後も、学校では以前と変わらない様子を見せていた。  文化祭のクラス展の準備に関しては、姫倉が率先してクラスの意見をまとめたことと、家庭科部の狛江や長田の力を借りたことにより、他のクラスと比べると準備はかなり順調に進んでいた。  しかし、六月七日の件については一週間が経過しても何一つ進展はなかった。  何故自分は防刃ベストを渡していないのか、何故自分は一緒に帰っていないのか、何故自分は電話にすら応じないのか。いくら考えても分からない。いや、自分の身に何かあったのかもしれないという不安が思考を歪めているのかもしれない。  昼休み、空き教室の窓際の席で友人の帰りを待たずに弁当箱を開ける真の姿があった。 「僕が入院してるだとか既に死んでいると仮定すると、何も矛盾しないんだよな」 「お、何だ。随分縁起の悪い独り言だな」  意識せずに口から出ていた言葉は、購買に昼ご飯を買いに行って丁度戻ってきたばかりの牧野の耳に届いていたようだった。 「ん、あぁ。何でもないよ」 「それは何かあるやつの台詞だぜ。悩みがあるなら言ってみろよ」  牧野はそう言いながら椅子に座ると、購買で売っているハンバーガーの包装を開いて頬張った。  牧野の心配してくれる気持ちは嬉しかったが、真は牧野に相談する気はなかった。それは巻き込みたくないという思いもあったが、それだけではなく、牧野とだけは普通の友人としての距離を保ちたかったからだ。 「ありがとう。でも大丈夫だから」  真の返事に、牧野の表情に少しだけ苛立ちが浮かび上がる。 「いや、全然、大丈夫じゃねぇって。真さぁ、先週ぐらいから、おかしいぞ」  口の中にモノが入ったまま牧野は喋る。  「そうかな? そんなことないよ」  牧野は口の中のモノをコーラで無理やり流し込んだ。 「ゲェフ、そんなことあるから言ってんだよ。フラれたか? それとも嫌われたか?」 「そういうんじゃないよ」  頑なに認めない真に苛立ったのか、牧野は言うつもりは無かったんだけど、と呟いた。 「俺だけならまだしも狛江も心配してたぞ」  想定外の名前が出たことに真は驚いた。 「狛江さんが?」 「『はわわわわ、見抜さん、最近元気無いんですぅ。ななな何か知ってますかぁ?』って聞かれたからな」  牧野は裏声で狛江の真似をしながら言った。 「そっか、狛江さんがねぇ。で、なんて答えたの?」 「ん? 真が元気になるおまじないを教えてやった」  牧野はニヤリと笑った。 「おい、変なこと言ってないだろうな」 「さぁ、どうだろうね」  真は机の下で牧野の脛を蹴った。  帰りのホームルームの時間。担任の先生はここ何日かずっと同じ注意喚起をしている。 「いいかお前ら。ゴールデンウィークだからって羽目を外すんじゃねぇぞ。先生達の見回りはあるし、周辺の警察署には学生の不良行為は速やかに学校に連絡するようにとお願いしてあるからなッ」  生徒達は「また同じ話かよ」とザワザワ騒ぎ始めた。 「静かにしろお前らッ! 高校生になったからと気を大きくしたお前らは決まって悪さをする。自分はそんなことは絶対にしないと思ってる奴だって、仲間がやってれば真似をする。そういうもんだ。だから口を酸っぱくして言ってるんだッ!」  真は先生の注意喚起をロクに聞こうともせず、この後開かれる文化祭実行委員の連休前最後の打ち合わせ用の資料に目を通していた。  皆の態度が悪かったためにいつもより長引いたホームルームが終わると、クラスメイトは駆け足でそれぞれの目的地へと向かっていった。真はリュックを背負うと姫倉の席へと近付く。 「姫倉さん、資料は多分大丈夫そうだったよ」 「そう。ありがとう。じゃあ行こっか」  姫倉が椅子から立ち上がる時に、真は姫倉の左手の人差し指に巻かれた絆創膏に気が付く。 「それ、なんか怪我したの?」 「別に」 「怪我してないのに巻いてるの?」 「”見抜君には関係ない”」  姫倉の言葉が嘘だと真は気が付いた。だが、何故左手の人差し指の絆創膏が自分と関係しているのかは全く心当たりが無かった。 「姫倉さん」 「質問しないで。”見抜君には関係ない”んだから、この話はこれで終わり、でしょ?」  姫倉は真を睨みつけた後、真を置いて教室を出ていった。 「な、なんなんだよ一体」  彼女のために行動しようとしているのに、その彼女に避けられる。真は自分に全く非が無いとは思っていなかったが、姫倉が何故急に避けるようになったのか分からなかった。  真は教室を出る時に、腹いせに教室の扉を蹴った。バンッという大きな音に近くにいた人達が一斉に真を見た。真はその視線に気が付かないフリをして、その場を後にした。 「指摘事項が特に無いからそのまま受理するけど良いか?」 「はい、お願いします」  姫倉は化学室の教卓に座る文化祭の担当の先生にクラス展の提案書を手渡した。 「一年生なのによく出来てんなぁ」  先生は何度も目を通した提案書をあらためて読み直した。 「家庭科部のクラスメイトが手伝ってくれました」  その返事に先生は「そうかそうか」とケラケラ笑った。 「そういうことか。なるほど。八重島先生の生徒がいれば納得だな。さて、これで連休前の仕事は終わりだ。少し早いが帰ってもいいぞ」 「ありがとうございます。失礼します」  姫倉は礼をしてその場を後にする。化学室の中には、殆ど真っ白な提案書と格闘している実行委員も少なくなかった。  狛江と長田のお陰でここまでスムーズに出来たのだと、姫倉は心から感謝した。  その時、真が化学室の扉を開けて化学室の中へと入ってきた。姫倉の姿を見つけた真は彼女の元へと歩み寄った。 「具材管理と調理法に関しては八重島先生に受理されたよ。そっちは?」 「受理されたよ」 「そっか。それは良かった」  真は「お疲れ様」とだけ言うと、踵を返して化学室を後にした。  真は、本当は姫倉と色々話がしたいと思っていた。だが、姫倉に避けられていたことに対する当て付けのように、真はわざと避けるような態度を取ってしまった。本心と真逆の行動を取ってしまっていると頭で分かっていても、感情の衝動はどうすることも出来なかった。  一方の姫倉も、本心では真と話がしたかった。六月七日のことについてだって、LINKのチャットや通話で話すよりも直接色々話したいと思っていた。  それに、左手の絆創膏のことも本当は隠す必要など無かった。質問された時に素直に答えれば良かった。  だが、嘘を見抜いてしまう真が相手だと、胸の中に秘めたままの今はまだ話したくない秘密もバレてしまうのではないか、という不安が頭を過ってしまい答えられなかった。  姫倉は真の背中に声をかけようとしたが、散々自分から距離を取っておいて、自分が話したい時だけ話そうとする身勝手な自分に嫌気がして、声をかけることも背中を追うこともしなかった。  思いは同じなのに二人はすれ違っていた。  数日後、ゴールデンウィークが訪れた。  真は幼馴染み二人と、決して忘れることのない経験をしたのだが、それは別の機会に記すことにする。 「よ、真。元気だったか?」  連休明けの登校日初日。朝のホームルーム前に、牧野は見抜の席まで話しかけに来た。 「ん、まぁ、元気だよ」  真の反応に満足したのか牧野は笑みを浮かべた。 「可愛い女の子と遊んだか? ん? そんなわけねぇか。ガハハ」  牧野は笑いながら真に訊ねる。真は溜め息をつきながら答える。 「まぁ、遊んだと言えば遊んだ、かな」  その答えに牧野は口を開けて停止する。牧野は数秒フリーズした後に真の両肩を強く握りしめた。 「嘘だよな? な? 返事によっては黙っちゃいないぞ」 「嘘、ではないよ。ただの幼馴」 「こんの裏切り者がぁッッッ! 俺が球蹴りしてる時にお前という奴は竿振りしてたって言うのかよッッッ! やってらんねぇえええええッッッ!」  牧野は真の「ただの幼馴染みだけど」という言葉を聞く前に、叫びながら廊下へ走っていった。 「まぁ、良いか、別に」  真は走り去った友人を追いかけずに、自分の席で読者を始めようとすると、ヒョコヒョコと狛江が歩み寄ってきた。 「みみみみ見抜君、今大丈夫?」 「大丈夫だよ。何かあった?」 「作ったのッ! じゃなくて、コスプレの衣装の試着を、えっと」  相変わらず要領を得なかったが、真は狛江が持つ衣装とその言葉から想像する。 「その服を着てみて欲しいってこと?」 「ひゃいッ! コレ羽織って欲しくて。見たいの。ちょっと、サイズ感とか」  狛江は綺麗に畳んである衣装を真に手渡した。 「制服の上からで良いの?」 「あッ! えっと、学ランは脱いでください」  真は学ランを脱いでから渡された衣装に袖を通した。    色は黒がベースで、胸元からお腹にかけて広く開いており、腰の辺りには太いベルトが目立ち、裾が少しだけ人工的に破れていた。 「こんな感じで良い?」 「ひゃいッ! キツかったり変なところありますか?」  真は軽く身体を動かしてみる。特に問題はなさそうだった。 「特に問題はないかな。コレは何の衣装?」  真の何気ない質問に、一瞬だけ狛江の表情が固まった。しかし、真が狛江の表情の変化に気が付く前に狛江は我に返り、恥ずかしくも寂しくもある弱々しい声で説明をした。 「かかか、海賊、です」 「海賊?」 「あのあのの、海賊です。映画の。水嶋さんが着たいって言ってて。だから男の子の分も作ってて」  狛江の話を聞いてから、真はもう一度自分の着ている服を見た。確かに映画に出てくる海賊のような見た目をしていた。 「帽子とかサーベルとかピストルもあれば完璧だね」 「ひゃわわ、ごめんなさい。小物はまだ出来てなくて」  狛江が何度も頭を下げるのを見て、真は慌てて謝った。 「ごめんごめん。そりゃそうだよね。別に焦らなくていいからね。文化祭までだいぶ時間はあるし」 「びびび、美術部の里中君が作ってくれるみたいなので、小物は」  狛江が教室にいる里中の姿を見ながら話す。視線に気が付いた里中が、狛江と真の二人を元へと歩み寄った。  前髪は目を隠すぐらいまで伸びており、耳は完全に隠れていて、後ろの髪も男子の中では随分長い方だった。  前髪をかき分けるようにしながら眼鏡を整えた里中は口を開いた。 「僕のこと呼んだ?」 「あわわわわ、大丈夫。ごめんね。用事があったわけじゃなくて」 「里中君が小物作りをしてくれるって話を聞いたところ」 「なんだ、早とちりだったか」と里中は頭を掻いた。 「そういうことね。材質まで注文入るとなるとお金出してくれないと出来ないけど、見た目だけならどうとでもなるから言ってね」 「手伝ってくれるのは助かるけど、小物作りの経験があるの?」 「ん? いや、無いけど。ただまぁ、こんな感じに作れば良いんでしょ?」  里中は一度自分の席に戻ると机の中からピストルのような物を取り出して二人の元に戻ってきた。 「こんなのとか、どうよ。狛江さんに言われて作ってみた試作品一号。色々と甘い所はあるけど悪くないと思うんだよね。時間に余裕があったら作り直したいんだけどなぁ」  里中はそう言うと、真にお手製ピストルを手渡した。手渡されたピストルは、見た目から想像した重さと比べてあまりにも軽かった。 「軽ッ! これ、何で作ったの?」 「ダンボールと発泡スチロールと紙粘土。平べったい部分はダンボール、立体的な部分は発泡スチロールで大雑把に形を作る。そうしたら紙粘土で整形する。出来たら乾かす。乾いたら塗装する。最後にコーティングして終わり」 「へぇ、スゴイなぁ」  真は色々な角度からピストルを眺める。手に持つとその軽さから偽物だと分かるが、遠くから見ると精巧さと色味から、それが紙粘土で出来ているとは到底思えない出来だった。 「発泡スチロールは無い場所も多いけど、ダンボールはお店に行けば無料で手に入る。材料に困らないから良いんだよね。それに通販とかで家にダンボールが溜まってる人もそれなりにいるだろうし。紙粘土の在庫はもう無いから今後は買わないといけない。本当に少しだけ手元にある紙粘土は、何年も前から美術室にある誰も使ってない安物を使った。まぁ安物でもあんまり変わらないかな。どうせ塗装するから。塗料は美術室にある誰も使ってない中古の絵の具を使ってる。色も量もあんまり無いから、沢山作ったり必要な色が無い場合は購入するか、小学生の頃とかに使ってた絵の具セットの余りをクラスメイトから回収したいね。その辺のことを狛江さんを通して実行委員に伝えようと思ってたけど、良い機会だから今言っちゃった」  里中はマシンガンの如く、息継ぎを何処でしているのか分からないほどに一気に捲し立てた。 「わ、分かった。帰りのホームルームの時に皆に聞いてみるよ」  真の答えに満足した里中は「そういえば聞きたいことがあったんだ」と切り出した。 「こういう小物って作っちゃ駄目な物とかあるの?作ること事態は楽しいから良いのだけれど、作ったせいで怒られるのは嫌だからさ」 「うーん、危険な物じゃなければ基本的に大丈夫」 「危険な物って? この後作ろうと思ってる段ボールと紙粘土で作るサーベルはアウト? セーフ?」  真は過去に配られた注意事項の用紙の文章を必死に思い出そうとした。 「ええっと、固すぎたり重すぎたり尖ってる物は基本的に駄目。触っただけで切れたり擦りむいたりする物も駄目。要するに怪我の恐れがあるかどうかがラインかな」 「つまり、紙粘土サーベルはセーフってことだよね?」 「基本的にはセーフかな。あまりにも尖ってたらアウト。そんな感じだと思う」 「そっか。ありがとう。じゃあサーベルの先端は曲面にした方が良さそうかな」 「そうだね。出来ればそうした方が良いかも」 「了解。じゃあ、絵の具の件はよろしく」と里中は言って、自分の席へと戻っていった。 「狛江さんは何か聞いておきたいこととかある?」 「ひゃひぃッ? なななないですッ! 大丈夫です。今はッッッ」  自分に話が回ってくると思っていなかったのか、狛江はワタワタと慌てだした。 「えっと、困ったこととかあったら言ってね」 「ひゃいッッッ」  真は衣装を脱いで畳んでから狛江に返した。狛江は衣装を受け取ると、何度も頭を下げてから自分の席へと戻って行った。  その日の夜の七時過ぎ。  晩御飯のハンバーグを食べながらテレビを見ていると、テレビの上部に速報のテロップが表示された。そこには信じられない文章が表示された。 『鳴間市にて中学生の男女二名が刃物を持った何者かに襲われる事件が発生。男子はその場で死亡を確認、女子は重症で病院へ搬送。犯人は今も逃走中』 「え?」 「まぁ、本当に?」  真は母にチャンネルを変えて良いかどうか確認してからニュース番組に切り変えた。 『速報です。午後七時頃、静岡県鳴間市の南区にて帰宅途中だった中学生の男女二名が刃物を持った何者かに襲われる事件が発生しました。男子は現場で死亡が確認され、女子は重症で病院へ搬送されたとのことです。まもなく現場と中継が繋がるそうです』  映像が何処かの住宅街へと変わった。 『はい、私は今、静岡県にある鳴間市の南区に来ております。午後七時頃に、この近くで中学生二人が刃物を持った何者かに襲われる事件が発生しました。もしも、一月から続いている通り魔事件と犯人が同じだとしたら、これで五ヶ月連続ということになってしまいます。えぇ、通報をしたのは近所に住む方だそうです。少しだけお話を聞かせていただきましょう。こんばんは、簡単に何があったか教えていただけないでしょうか』  カメラはエプロン姿の四十代ぐらいの女性を映した。一度化粧を整えたのだろうか、出かける格好ではないというのに、その女性の化粧は明らかに濃かった。 『何か言い争っているような声は聞こえたんですよ。でもたまにあるでしょ? そのぐらい。だから無視して料理の支度をしていたんです。そしたら急に悲鳴に変わったんです。もう私焦っちゃって。火を止めて慌てて外に見に行ったんです。そうしたら、あの電柱の辺りに男の子と女の子が血塗れで倒れていたんです』  エプロン姿の女性が指を差した方向をカメラも映した。映し出された先には、規制テープが貼られた向こう側で警察官数名が電柱の辺りで何かを調べているようだった。 『近くに怪しい人物はいませんでしたか?』 『血塗れの子供達が倒れているのを見つけてそれどころじゃなかったので分かりませんよ。男の子は声をかけても返事をしなくて、女の子は最初は男の子の名前かしら? 誰かの名前を泣き叫んでいたのだけれど、私が救急に連絡している間に急に静かになっちゃって。こんな場所でこんな酷い事件が起こるだなんて。警察には一刻も早く犯人を捕まえてもらわないと夜も眠れませんよ。大体四ヶ月も前から似たような事件が起きているというのに警察は何をやっているんですか? こんな危ない人が』 『なるほど、お話ありがとうございます』  リポーターは不自然なタイミングでお礼を言って、無理やり話を区切った。  生放送中に変なことを喋られたら困ると判断したのだろうか。まだ喋り足りないと言いたげなエプロン姿の女性に被さるようにリポーターが前に移動した。  リポーターが早足で移動すると、画面もリポーターを追うように移動し、エプロン姿の女性はあっという間に画面外へと消えてしまった。リポーターがカメラから少しズレた場所をしばらく凝視した。  そして再びカメラ目線に戻った。 『えぇ、先程入った情報に寄りますと、中学生の男女は二人とも、鳴間市南区にある星ノ浜中学校の生徒だそうです。星ノ浜中学校は明日は休校にし、臨時の保護者会を開くそうです。えぇ、はい、はい。えぇ、現在パトカーが十台体勢で緊急パトロールを行っているとのことです。パトロールをしながら怪しい人物がいないか探しつつ、不要不急の外出を控え、窓や玄関の施錠をしっかりするようにと呼びかけを行っている模様です。現場からは以上です』  中継が終わり、いつものアナウンサーが画面に映った。 『ありがとうございました。ニュースをご覧の皆様も今一度、玄関や窓の施錠をご確認ください。不要不急の外出も控えてください。どうしても外出をされる方は、出来るだけ明るい道を、出来るだけ人通りの多い道を選んで外出するように心掛けてください。また、怪しい人物を見かけた場合は安易に近寄ったりせずに、すぐに警察へ連絡するようにしてください。以上、速報でした』  母はお茶を啜ってから話を切り出した。 「怖いわねぇ。通り魔事件ってもう五ヶ月連続でしょう?なんだか物騒な世の中になってきたわね。真も気を付けなさいよ」 「う、うん」  真は母の言葉に返事をしてから青椒肉絲を口に運んだ。しかし、ニュースのショックからか、何の味も感じられなかった。    午後八時過ぎ。  姫倉はシャワーを浴びていた。頭の先から足の先までお湯が流れる感触が続く中、目にお湯が入っても拭うことをせずに、呆然とシャワーを浴び続けていた。 「私は、よりにもよって、見抜真という、嘘を見抜ける男に相談してしまった」  その後悔は、浴びているシャワーのお湯と共に排水口には流れてくれず、身体の内側にベットリとヘドロのように纏わりついていた。  姫倉は左手の人差し指に巻かれた絆創膏を見つめた。絆創膏には油性ペンで小さく「イ」と書かれていた。その絆創膏は簡単には剥がれないようにしっかりと巻き付けてあり、仮に剥がれそうになったのならすぐに巻き直せるように、お風呂だろうとトイレだろうと学校だろうと、どんなタイミングでも新しい絆創膏を巻けるように、予備の絆創膏と油性ペンを携行していた。  もちろん、ここまでするのには理由がある。それは「自分の能力により経験する未来とは、現在の行動を変えることによって変わるものなのか」を確認するためである。  自分がこれから先、どんな時も必ず絆創膏を巻き続けるのだとしたら、当然経験する未来の自分も左手の人差し指に絆創膏を巻いているはずである。  もしも経験する未来の自分が絆創膏を巻いていなかった場合、それは違う世界の未来ということになる。「偶然にも、違う世界の未来の私が左手の人差し指を怪我して絆創膏を巻いていた」ということも考えられる。  その可能性を排除するために、姫倉は絆創膏に油性ペンで「イ」と書き込んでいた。  普通は絆創膏に文字など書かない。つまり、経験する未来の自分が「イ」と書かれた絆創膏を指に巻いている場合、それはこの世界の未来の私ということになる。  後は、いつ発動するか分からない自分の未来を経験するだけだった。  その時、視界が、世界が回り始めた。    視界が回るのと同時に、あらゆる感覚が混ざり始めた。姫倉はその感覚を経験上知っている。今現在の私と未来の私の五感が混ざる感覚だ。  視界が段々と鮮明になってきた。姫倉は強い雨が降る中、リュックを背負い、傘を差して一人で歩いていた。 「見抜君の姿は、無い」  隣はもちろん、辺りを見回しても人の気配は無かった。地面に打ち付ける雨音が人の気配すらも消し去っているようだった。 「絆創膏は、巻いてある。『イ』の絆創膏が、巻かれている」  つまりこの未来は、この世界の未来ということになる。 「防刃ベストは、着てない」  身体を触ってみるが、何か硬い何かを着ている感覚は無く、自分のボディラインが感じ取れた。  姫倉は携帯電話を取り出した。日時は六月七日の十八時五十五分。今更確認するまでもないが、この未来は私が殺される未来なのだろう。  姫倉は日時を確認した後に電話帳を開いた。そこには見抜真の名前があった。姫倉は通話開始ボタンを押して携帯電話を耳に当てながら、近くのブロック塀に背中をつける様にして立った。 「こうすれば背後から襲われることはない。だから、必ず犯人の顔が見れるはず」  今まで走ってみたり道を変えたりしても必ず背後から襲われていた。だから、今のように背後を壁で封じることで、少なくとも不意打ちは無くなると姫倉は考えた。  トゥルルル、と応答待ちの音が聞こえる。姫倉は段々早まる呼吸を必死に抑えながら左右の確認を続けた。しかし、電話は繋がらない。  五分程経過したのだろうか。姫倉は耳に当てていた携帯電話の画面を見た。まだ一分も経過していなかった。  体感時間というものは全くあてにならない。そう思っていた矢先だった。  携帯電話の画面を見るために左右の確認を怠ったその一瞬に、姫倉は何者かに突き飛ばされて地面に派手に転んだ。傘は離れた所に飛んでいった。突然の痛みに姫倉は声が出せない。そして、うつ伏せに倒れた姫倉は何者かに馬乗りされた。 「ッッッ」  恐怖と混乱で言葉が声にならない。どれだけ頭の中でシミュレーションしていたとしても、恐怖に支配された人は動けなくなる。それは、先程まで犯人の顔を見ようと計画していた姫倉さとりも同様であった。  両腕と両足で必死に藻掻き、全身を使って何とか逃げ出そうと必死に暴れたが、馬乗りした何者かの方が力が強かった。姫倉は髪と頬を強く握られて、何者かに地面に向けて頭を強く押し付けられた。アスファルトの小石が顔にめり込んだ。身体を捻るように、うねるように、何度も何度も何度も何度も暴れたが、状況は好転せず、むしろ体力を消耗した彼女は抵抗する力が弱まってきていた。  プツッ。  首の辺りに違和感を感じた。嫌な感覚と同時に急に身体が上手く動かせなくなった。この感覚は、いつも最後に感じる感覚だ。  グジュル。  その後、リュックで隠れていない腰の一部にも違和感を感じた。麻痺しているのか、湧き出るアドレナリンによってなのか定かではないが、痛みは全く無かった。 「」  馬乗りになった何者かが何か言葉を発したようだった。しかし、馬乗りになった何者かが何と喋ったのか聞き取れず、その声が男か女かも分からなかった。  倒れたまま指先すらも動かなくなった姫倉は、全身で雨を浴びていた。 「あぁ、この感覚は、シャワーに似ている」  現実逃避なのか分からないが、姫倉はボンヤリとそう思った。身体を何か温かい液体が流れている。おそらく自分の血なのだろう。  遠のいていく意識の中で、遠くの方から雨の音に混じって自転車の音が聞こえるような気がした。  そこで姫倉の意識は完全に途絶えた。  気が付くと、姫倉は浴室でシャワーを浴びていた。  姫倉はその場に膝から崩れ落ちた。そして家族に心配をかけまいと、悲鳴が口から漏れないように自分の身体を強く抱きしめた。  六月七日のこの出来事は、何回経験しようと慣れるものではなかった。少しでも気を緩めれば瞬く間に身体の奥底から絶叫が漏れるだろう。魂の髄から来る死の恐怖を纏った震えが、姫倉の頭を、胸を、全身を駆け巡った。 「ハァ、ハァ、ハァ。やっぱり、こう、なるのなら、私は」  姫倉は見抜真の顔を思い浮かべながら、唇を強く噛み締めた。  口元から血が滴り落ちた。その血は、シャワーによって排水口へと流れていった。
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