キツネのペイバック

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 私がまだ小ギツネだったころ。変化の練習中だった私は、親の目を盗み人間の電車に乗り込んだ。だが初めて乗ったそれは、朝の満員電車だったのである。  乗り込んで早々、私はあまりの圧迫感と熱気、空気の悪さに気持ち悪くなってしまった。こんな環境では人の心もすさむのか、一段背の低い私に気をつけてくれる人もいない。右の女のカバンが食い込み、左の男には肘で押されてますます具合が悪くなる。目の前がかすみ、もう人の姿を保っていられないと思ったときだった。 「大丈夫か?」  天の声かと思ったそれは、私の後方に立っていた青年の言葉だった。恩人――当時は大学生だった嶋タカシが、声をかけてきたのである。あまりの具合の悪さに声も出せない私の顔を覗き込むと、嶋タカシはあたりを見回した。 「すいませーん。この子、具合悪そうなんで、座らせてもらえませんか!」  周りの乗客が振り返る。いきなり大声で呼びかけはじめた嶋タカシに、舌打ちやブツブツ言う声が聞こえてきた。だが嶋タカシは全く動じない。すると「私、次で降りるから」と言ってくれる女性が現れて、嶋タカシは彼女のぬくもりが残るシートに私を押し込んだ。 「すいません……」 「うん。この時間帯、やばいんだよ」  嶋タカシはそのまま私の前に陣取ると、次の停車駅では降車に手を貸してくれ、ホームのベンチに座らせてくれ、ペットボトルの水を買ってきてくれたのだった。 「じゃあおれ、そろそろ行くな。しんどかったら、親に連絡して迎えに来てもらえよ」 「待ってください! あの、お礼を」 「子どもにそんなんさせられないよ」 「せめてお名前だけでも……」 「いいって」  嶋タカシは「じゃあな」と片手を挙げ、去っていったのである。その爽やかな後ろ姿は、幼い小ギツネの心に深く刻み込まれた。  人の世は、住みにくい。誰もが自分のことに必死になっている。そんな中で施される親切とは、なんて貴いものだろう。私は、いつかそれに報いたい……。  そう思ったのだ。
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