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野生のキツネは、ほとんどが夜行性だという。私が朝に弱いのは、おそらく祖先のなごりであろう。
スマホのアラームを鼻先で止め、私は四本の足でよたよた起き上がった。朝日が差し込む室内、向かいの鏡にはちょっと大きめのキツネが映っている。
「クアア……」
大きなあくびとともに、前足の爪から尻尾の先まで、体じゅうをぐーっと伸ばした。あっちこっちを動かすうちに血が巡り、頭がすっきりしてくる。
そろそろいいか……。と、私は空中一回転して人間に化けた。さっと全身をあらため、問題ないことを確認する。
ガラス窓の向こうでは、ビル群の合間から太陽が顔をのぞかせたころだ。私はテラスに出て合掌し、朝日に向かって深々とこうべを垂れた。
「今日こそは、恩返しが叶いますように……!」
気が済むまで祈ったところで頭を上げ、室内に向き直る。先ほどの鏡に、今度は目もとの涼し気な三十代半ばの色男(自称)が映っていた。最近ちょっと出てきた腹の肉に手をやり、ふと気づく。
「あ、服着てねえわ」
私はクローゼットを開け、下着とスーツを身につけた。
「社長、おはようございます!」
「おはよう」
「おはようございまーす」
オフィスフロアに降りると、すでに出社していた社員たちが声をかけてきた。私はしがない中小企業の社長をやっている。自社ビルの最上階が住まいだ。同じ化けギツネの中には、スポーツ選手やアナウンサーなど華々しい職を選ぶものもいる。だが私は他の大多数と同様、地味な暮らしで満足していた。
いま出社している社員たちは、おそらく全員人間だろう。キツネはギリギリまで来ないからなあ。そう考えながら社長室に入ると、革張りのソファに房之助が寝転んでいた。
「おいフサ、尻尾が出てるぞ」
「おやいけねえ!」
おそらくわざとだろう、瞬時に尻尾を消すと勢いをつけて起き上がった。房之助は私の弟分で、共同経営者でもある。といってもデスクワークは性に合わないらしく、情報収集などの裏方仕事が主な担当だ。
「今日も出てくる。留守番を頼む」
「また恩返しかい? ノブさん、飽きないねえ」
「まあな」
房之介に後を頼むと、私は会社を出た。出勤してきた社員たち(人・キツネ含む)と挨拶を交わしつつ、駐車場のプリウスに乗り込む。『恩人』の住所は把握済みだ。だが、この時間はもう家を出ているころだろう。
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