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ことのは
母の見送りを受けて――電車に揺られること三時間。
着いたところは海を臨む小さな町。
スーツケースを引きずって歩く緩い坂道。
5年ぶりに訪れた風景は記憶とほとんど変わらないのに、シャッターを下ろしたままの店が増えたような気がする。
駆け上がる夏の風に――雨と濡れた土の匂い。
(……うわ)
汗をぬぐって見上げた空は――重たい鈍色。
遠く聞こえる太鼓の音は夏祭りではなく雨を知らせる雷だったのか。
「やだ、降りそう……急がなきゃ」
田舎なのに住んでいる街より蝉が静かだなんて――おかしいと思っていた。
近づく雨の気配に眉根を寄せて汗をぬぐう。
毎朝ブローを欠かさないつやつやの黒髪と大きなロゴが躍るTシャツ。
背伸びをしたくて薄くファンデーションをはたいて、ためらいがちに唇に色をのせてみた。
アイスブルーのデニムの足元は買ったばかりの白いサンダル。
名前は椚木麻衣。
基本的に友人は名前で呼ぶ。
なぜならありふれた名前に難読漢字が乗っかっているせい。
(初めて会った人に正しく読まれることはほとんどない。簡単な文字でできてるくせに厄介な名字だわ)
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