906人が本棚に入れています
本棚に追加
「この……っ!」
激昂した孝夫くんは、拳を振り上げて彼を殴りつけた。
「駄目!!」
私はとっさに叫ぶ。
どんな事があっても暴力は駄目だ。
けれどポチくんはその一発をあえて頬に受けてから、乱れた金髪を手で掻き上げながら、カウンターで孝夫くんを殴りつけた。
「ぎゃっ!」
「っきゃあっ!」
孝夫くんは言葉こそ威圧的だけど、喧嘩慣れしてない。
彼はくぐもった悲鳴を上げたあと、タラタラと零れる鼻血を見てよろけた。
そんな孝夫くんの襟元を、ポチくんが掴み上げる。
片手なのに凄まじい力で孝夫くんの胸元を掴み、もう片方の手で煙草に火を付けて、フーッと彼の顔に煙を吐いた。
「殴るのってコツがいるんだよ。喧嘩した事のない奴は、自分の拳を痛める殴り方しかできない」
嘲るように言ってから、ポチくんは私を振り向いてヒラヒラと手を振った。
「美幸、ちょっと奥行ってて」
「え、な、なんで……」
「いいから」
言われて、私は部屋の奥へ行った。
「ちょっと来いよ」
ポチくんは煙草を咥え、孝夫くんの襟元を掴んだまま、彼を外に引きずっていった。
そのあと、外で二人が何をしていたのかは分からない。
私はベッドにもたれ掛かって、床の上で膝を抱えていた。
やがて玄関のドアが開き、ポチくんが入ってくる。
「もう心配しなくていいよ。あいつは美幸に近づかない」
「……何をしたの?」
「〝話〟をしただけ。あれ以上暴力はふるってないし、本当に話し合っただけ」
ポチくんは私の側に座り、ポンポンと頭を撫でてくる。
「約束通り、モラ男は俺が退治した」
目を細めて笑い、ポチくんは愛玩するような目つきで私を見つめる。
それを見て、――察した。
彼は〝お返し〟を求めている。
私を見ているこの目は、捕食者のそれだ。
『ハイエナを追い払ってやったから、俺の獲物になれ』とライオンが言っている。
「……何を求めているの?」
そっと尋ねると、ポチくんは嬉しそうに笑った。
「半年、俺をここに置いてよ。時間が空いてるんだ。行く場所がなくて困ってる。美幸は人の面倒を見るのが好きなんだろう? なら、丁度いいじゃないか。俺を置いてくれたら、代わりに気持ちいいセックスをする。男が住んでたら防犯にもなるだろ?」
そう言われ、私は逆らう気力もなく頷いた。
**
その日から、私とポチくんと正式に同棲し始めた。
家に帰ったら「お帰り」と言ってくれる人がいるのはいい事だ。
彼のために料理を作るのも、悪くない。
ポチくんは家にいるだけと思っていたら、機械音痴の私の代わりに色んな設定をしてくれたり、水回りの掃除をしてくれた。
どう考えても無職に思えるのに、毎月「生活費」と言って私にポンと十万円を渡してくる。
謎で堪らないけれど、私は詮索しないと決めていた。
いつ消えてしまうか分からない、フワフワとした彼をここに留めておけるのは、今の曖昧な関係が一番だと思ったからだ。
本名を聞き、本当はどこに住んでいて、家族構成を尋ね、なぜあそこにいたのか……なんて聞いたら、彼は猫のようにフラッといなくなると直感で分かっていた。
だから、このままでいい。
煙草の味がするキスをして、ドロドロになるまで抱かれる。
私は彼とのセックスでなければ、満足できなくなっていた。
乳首だけで達けるようになったのも、ポチくんのせい。
ちょっと怒ると、私がぐったりするまで長時間口淫して「ごめんね」と甘えてくる。
感じさせて「分かったからもうやめて」と言わせ、「なら許してくれる?」と言ってくる。シンプルにクズだ。
逆に私が怒らせてしまったら、お尻と蜜孔に道具を入れられ、お尻を叩かれて絶頂させられる。
そのあと、何回も潮を噴いて気絶するまで犯された。
普段の生活では私が彼の面倒を見て、ベッドではポチくんが私を支配して調教する。
それまでは知らない、いやらしい事も沢山教えられた。
一方で孝夫くんは、本当にその後パッタリと姿を見せなくなった。
連絡もよこさなくなったので、不気味なぐらいだ。
けれどそれを好機だと思うようにし、私は孝夫くんの連絡先をすべてブロックした上で削除した。
**
「ねぇ、美幸。ヒモ男と暮らしてるんでしょ? 大丈夫? 長くない?」
会社での昼休み、亜子が心配して言う。
その頃には、ポチくんと暮らし始めて約束の半年が経とうとしていた。
ぼんやりしている私を気遣ってくれる亜子にだけは、私が〝同居人〟と暮らしている事を教えていた。
彼女は最初とても心配してくれた。
でもポチくんは、亜子が心配しているような事――、お金や貴重品の持ち逃げなどを決してしなかった。
猫のように気ままに寝て、起きて、ご飯を食べて散歩をして、私を抱く。
時々スマホで誰かとやり取りをしているようだったけれど、誰かは分からなかった。
「大丈夫だよ。心配しないで」
「でもさ、もっと将来性のある人ときちんと付き合って、結婚も視野に入れたほうがいいよ? 今日、医者と合コンあるんだけどどう? 久しぶりに一緒に行かない?」
「でも……」
ポチくんに何も言っていないのに、合コンに行くなんて……と、私は渋る。
「そいつと恋人なの?」
尋ねられ、言葉に詰まった。
そういえば、私は彼に一言も「好きだ」と言われていない。
私だって、彼への感情が何なのか確認していない。
当たり前に家にいるから、〝そういうもの〟だと思っていた。
最初のコメントを投稿しよう!