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そうしてあれよあれよという間にオフィスから少し離れたレストランに連行された。
ラグジュアリーホテルの最上階。個室席で、落ち着いたクラシック曲が控えめに流れ、大きな窓からは街の夜景が見える。わー綺麗。
「——さて」
遠い目をしていたところで、現実に引き戻された。
向かいに座った月読社長は、端正な顔に正確無比な笑顔を浮かべている。
気圧されて俯けば、細いグラスに注がれた食前酒と、美しく盛り付けられた前菜が目に入ってクラクラする。全く非現実的な光景。
「まずは礼を言う。社長室まで運んでもらって助かった」
「えっ、いえ、その」
私は無意味に両手を上げて宙に振った。
いつも冷淡な表情でビシバシ厳しい指摘を飛ばしている人とは思えない殊勝な態度だ。
私の左手。ガーゼの貼られた掌を見て、社長が顔を曇らせる。
「怪我の具合はどうだ。痛みはないか?」
「かすり傷ですから、お気になさらず」
本当は縫合一歩手前で、今もズキズキ痛むが全てを無視して即答した。
一刻も早くこの縁を切りたい。
「あの、万年筆をダメにしましたよね。おいくらですか? 今、現金で払います」
「確か十万くらいだ」
「ボーナス後、クレジット払いでもよろしいでしょうか」
震える私に、くすりと社長が笑声を漏らした。妙に弾んだ響き。
それからこちらへ身を乗り出して
「本当に支払わせる気なんてない。運命の番相手に」と囁く。私は頭を抱えた。
「……本当に私と社長が運命の番なんでしょうか?」
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