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台湾人の僕にとって、旧暦のお正月は重要な節目だ。台湾では、この日、新しい服を買ったり、古い服を捨てたり、心機一転する日でもある。でも、僕にとっては、それだけではない。僕のクローゼットの中には、夜の空のように漆黒の亜麻製のシャツが入っている。その服には、薔薇のように赤い模様が付いている。これは、僕のウクライナの伝統衣装、ヴィシヴァンカだ。あのウクライナ。そう、ロシアに今、侵略されているウクライナの服なのである。
ロシアがウクライナに侵攻しはじめたのは、2022年の2月24日のことだ。ウクライナの首都が突然、ロシアに砲撃されたのである。
その前にも、アメリカが、「ロシアに不穏な動きがある」全世界に警告していたが、あの時、誰もプーチン大統領が、ウクライナに戦争をしかけるなんて思っていなかっただろう。たとえ、ウクライナを併合しても、プーチン大統領やロシア人には、ウクライナの歴史、美しい建築、美味しい食べ物、自由を大切にする文化……。それらすべてを理解し、受け入れることはできない。アメリカの言っていることは杞憂に終わるはずだ。誰もがそう思っていたはずだった。
だから、私も、二月二十四日の寒い朝、当たり前の毎日が始まると思って起きた。軽い朝飯をとり、パソコンの前に座って小説を書こうとした、その時。ニュースが駆け巡ったのだ。ウクライナの首都が砲撃を受け、人々が泣き叫ぶ様子、壊れた建物や道路……。
「戦争が始まった!」
僕は、台湾の家の、三階から一階に駆け下りた。
「なんだって?」
一階のリビングには、アメリカに留学した経験があって英語が上手な父がいた。
「ロシアが、ウクライナに戦争を仕掛けたんだよ!」
「そんな……。台湾のニュース速報は遅い。CNNを見よう」
すぐにテレビのチャンネルを切り替えると、ウクライナに行ったときに、よく行ったキーウの聖ソフィア大聖堂が見えた。1037年に建立され、キーウ府主教の主教座大聖堂であった美しい大聖堂だ。しかし、世界遺産の一部でもある場所で中継をしている記者は、ヘルメットをしていた。背後には、祝福の鐘の音ではなく、避難を呼びかける警報が鳴り続けている。
市街には煙がいくつも立っている。爆撃機が空に現れたときの様子を話す子どもは、涙ぐんでいた。常に、ミサイルの爆発音が響いている。キーウに住んでいる友人たちは、この音にどれほど怯えていることだろう。
「本当に、戦争が始まるなんて……」
私は、呆然とテレビニュースを見つめていた。その映像のなかに、伝統衣装のヴィシヴァンカを着たウクライナ人が映った。私はすぐに、友人のユーリの姿を思い出した……
ウクライナを旅したのは、二〇一五年のことだった。僕は今までに西欧諸国やポーランド、リトアニアなどで旅行していたが、ウクライナにも行ってみたい、と思ったのだ。ウクライナは、ソ連を語るのに欠かせない土地でもある。
大学で東欧の歴史を専攻した僕としては、一度は訪れなくてはいけない国だと思ったのだ。
だが、ウクライナへの最初の印象は、必ずしも良かったとは言えない。
「ユーリ、なぜウクライナの道路はこんなに悪いんだい?」
西部の一番大きい都市・リヴィヴでバスに乗った私は、友人のユーリにそう訪ねていた。僕らの体は、細かい石が敷かれた道で、上下に小刻みに震えていた。時折は、穴まで開いている。西欧でも、台湾でも、こんな目にあったことはない。
ユーリは肩をすくめて、申し訳なさそうに答えた。
「小石が敷かれた道は、冬でも凍らないだろう」
「ウクライナは、冬は寒くなるからか……」
「ああ。それに、戦争が起きたら、アスファルトの道より、こういう道の方がいいんだ。タンクに壊されないからね」
戦争が起きたら、という言葉に、二〇一五年の僕はゾクッとした。
「戦争? そんなもの、早々起きないだろ」
「僕もそう信じたいんだけどね。ナチス・ドイツがやってきた第二次世界大戦の傷は、まだウクライナにとって大きなものだよ。それに、二〇一四年に起こったことは知っているだろう?」
「クリミア併合か……」
「そう。突然、ロシアが、ウクライナの土地を「自分のものだ」と言い始めたんだ。僕は、戦争なんて、したくない。でも、プーチン大統領が同じ考えだとは限らないからね」
僕のような台湾人にとっては遠い話が、ウクライナ人のユーリにとっては去年の話だと思うと、何を言っていいか分からなくなってしまった。
「ま、とにかく、ウクライナの景色を楽しんで」
背が高いユーリはそう言って、赤色のひげに触って私に微笑んだ。
私は、ユーリの笑顔を見て、また窓のほうを向いた。本で見たウクライナは風光明媚な国とあった。その言葉は、真実だろう。だが、彼らが抱えているものは、僕が当初考えていたものより、ずっと大きなものだったのだ。
リヴィヴの街を出ると、田舎の景色が見えてきた。思わず、目を見張ってしまう。青い空から降り注いだ午後の日差しは、麦畑を一層黄色く変えた。
「見て! 青い空と、黄金の麦畑。どこかで見たことがない?」
「そうか! ウクライナの旗の色だ!」
「その通り。美しいだろう?」
ユーリの言う通りだった。馬と牛は草刈り場をゆっくり歩いたり草を食べたりしている。数が少ない煉瓦造の農舎は、野菜と樹に囲まれており、心が安らぐようだった。
何よりも、黄金の麦。ウクライナが穀倉地帯と呼ばれ、ロシアが欲しがる理由の一つだ。これほどの美しい黄金の畑を、僕は見たことがなかった。
「……本当に、こんな風景があるなんて」
昔、ポストカードで、ウクライナの景色を見たことはあった。でも、それを現実に、自分の目で見ると……。ポストカードよりずっと、美しかったのだ。
「君は、どこから来たの?」
僕らの会話を聞いていた乗客のおじさんたちが、そう訪ねてきた。白髪になった髪を丁寧になでつけて、ポロシャツを着ている。麦わら帽子が、よく似合っていた。
「台湾です。ユーリ……この彼が、台湾に留学していたことがあって。その縁で、今度は僕が、ウクライナに来ることになったんです」
ウクライナ語が少ししか話せない私は、とても緊張だった。
「それは素晴らしい、楽しんでいってね」
おじさんは、ニコニコと笑って、そう言った。
僕の隣では、ユーリが笑っている。
「楊、驚いたかい? ウクライナ人は、バスでおしゃべりするのが大好きなんだよ。見知らぬ人とも、よく喋るんだ」
「国ごとに、色んな文化があって面白いね。そういうのを知りたくて、僕は世界中を旅しているのかもしれない」
ユーリの言った通り、乗客は五人ほどいたが、彼らは顔見知りでもないようなのに、楽しく話している。僕の目は、その中の二人にとまった。
白いシャツだが、襟に赤色や青色の模様が付いているのだ。似たような服だったので、仕事の制服だろうかとも思ったが、明らかに私服だった。
「ユーリ。あの服は、なにか特別なものなのかい?」
「ああ、ヴィシヴァンカという伝統衣装だよ。ウクライナ人は、17世紀からあれを着ているんだ」
「へえ……。美しいね。たしかに、昔のウクライナ人の肖像画とかで見たことがあるかも」
ヴィシヴァンカは、着ている人の魔除けという側面もある。首周りや袖、肩口などに刺繍が施されるのは、邪気が体に入り込む弱点とされているからだ。
5月の第3木曜日は「ヴィシヴァンカの日」と呼ばれており、多くのウクライナ人がヴィシヴァンカを着て、愛国心を示したりする。ウクライナ人のファッションデザイナーが、ヴィシヴァンカをモチーフにした服をいくつもデザインして、ヨーロッパじゅうに広めたなんてこともあった。つまり、ウクライナを語るうえで、切り離せない伝統衣装、ということだ。
「なあ、みんな、クヴァスを飲まないか?」
突然、先ほどの乗客のおじさんが、大きな水筒を出してきた。なかには、黒い飲み物が入っている。
「クヴァスって何?」
と私は小さい声でユーリに聞いた。
「ライ麦と麦芽を発酵させて作られた飲み物だよ。ビールみたいだけど、アルコール度数が、とても低いんだ」
「へえ……」
「そのまま飲んでもいいし、トマトやキュウリ、ハムやゆで卵を細かく切ったものに、クヴァスを加えて冷たいスープとしても食べるね。そっちは、オクローシカって名前になるけど、美味しいんだ」
「それは、ぜひ、食べてみたいね」
僕の言葉は、けっして、嘘ではなかった。ウクライナの料理は、素材の味が生きていて、どれも美味しかったからだ。
やがて、クヴァスを飲んだ乗客たちは、ウクライナ民謡を歌い始めた。僕は、歌詞の内容が分からなかったけれど、段々と楽しい気分になっていた。もう、バスが激しく揺れ続けていても、酔うようなことはなくなっていた。
ウクライナへの旅行は、僕に様々な思い出をもたらした。
ソ連がどのようにウクライナ人を苛んだか。あるいは、ウクライナ人のなかに、どのような問題があるのか。
どの国の人も、良い人ばかりではない。悪い人ばかりではない。色んな人々がいるのだということを認識するとともに、その善悪を無理やり、露呈させてしまう戦争を、僕は強く憎み始めた。
だからこそ、ロシアのウクライナ侵略が始まってから一年間、私は無力感に苛まれた。寄付をしても、新聞に思いを投稿して採用されても、ウクライナで戦う人々を助けるには足りない……もっと何かできないか。毎日、そう思っていた。
「楊、俺のほうはなんとか無事だよ」
ユーリから連絡があったのは、ロシアによる侵略が始めってからすぐだった。ユーリはその時、仕事のためにポーランドにいたのだ。
そのため徴兵されなかったが、ユーリの顔は暗かった。
「また、ウクライナに戻れる日が来るのかな。このまま、戦争は続いていくのかな。親戚や家族は、一体どうなるのか……」
ユーリの不安は、きっと、当時のウクライナ人の誰もが抱えていたものだろう。
そうして悩んでいた時に、旧暦の正月が来た。台湾人にとっての、重要な節目。心機一転する日。クローゼットの整理をしている時に、僕はある募集記事を知人に紹介された。
「テレビ内でウクライナ戦争について討論できる若者、募集中」
僕は、思わず、クローゼットの中を見た。
そこには、ヴィシヴァンカがあった。あの、楽しいウクライナへの旅行のときに買った、大事な伝統衣装が。
「Душу й тіло ми положим за нашу свободу(我等は自由のためなら身も魂も捧げ)」
今こそ出番だ。私はウクライナの国歌を歌いながら、そう思ったのだ。
テレビスタジオは、異様な雰囲気だった。
もともと、別に僕はテレビ局関係者というわけではない。テレビスタジオの雰囲気にのまれていても不思議はない。だが、それ以上の理由があったことを、討論が始まってから理解した。
「もし、アメリカと西欧諸国が、ウクライナとの軍事交流を拡大化しなければ、ロシアもウクライナを侵略しなかったのではないでしょうか」
「つまり、NATOに参加して故郷を守りたかったウクライナ人が、悪いと?」
「誰が悪いというわけではありません。ただ、そうすれば、ロシアも自分が攻められるとは思わず、ウクライナを侵略することもなかったのではないでしょうか」
スタジオには、ロシアを擁護する人は数少ない。しかし、厳しくアメリカと西欧諸国に批判する国立大学の教授に反論できる人はいなかった。
もちろん、テレビの討論番組だから、色々な意見を持っている人が必要だ。だけれど、ウクライナに責任があるというような言い方に、僕は拳を強く握った。ヴィシヴァンカを着ていると、天日干しされた亜麻の繊維の、いい匂いがする。私は、またウクライナの金色の麦畑と青色の空を思い出した。
(今ここで、話さなければ)
(苦痛の中から、希望を生み出さなければ)
ヴィシヴァンカを着ている私は立ち上がり、あの教授に反論する。
「ロシアが、危険を感じて戦争を起こしたとおっしゃりますが、そうでしょうか? だって、ウクライナ人はいつも、ロシアに危険を感じていました。クリミア併合のときも、その前も。それでも、戦争を起こしませんでいたよね」
ロシア擁護者たちは、「言われてみれば……」という顔になったり、「でも……」という顔になったりした。
緊張していて足が震える私は、赤い模様が付いているヴィシヴァンカに触る。ウクライナを旅した時、バスで民謡を歌っていたウクライナ人のことを振り返った。
「今日、私は、ウクライナの伝統衣装であるヴィシヴァンカを着ています。ですから、ウクライナの歴史の話もしましょう。司会者さん、いいですか?」
「どうぞ」
司会者は、ゆっくりと頷いた。僕はゆっくりと、だが、丁寧に語り始める。
「十八世紀から、ロシア政府は、ずっとウクライナ人を圧迫しています。それはご存じですね」
「もちろん」
「一九二一年には大飢饉が発生しましたが、レーニンは穀物徴発をやめず、結果、百万人のウクライナ人が餓死しました。そういった歴史を鑑みれば、ウクライナがロシアに怒り、戦争を起こしても無理はない。でも、彼らはそうしなかった。なのになぜ、あなた方は、ロシア人が戦争を起こしたことを知ったら、ウクライナ人が悪いのだと言うのでしょうか」
「ウクライナは利用されているんだよ。アメリカと西欧諸国は、ウクライナとの戦争によって、ロシアを弱めたいんだ」
「そうかもしれません。しかし、戦争を始めたのはロシアです。ウクライナ人が欲しいのは自由だけですから」
私は番組に出ている人々を見つめて、一人一人に語り掛けるように言葉を継いだ。
「彼らは、ヴィシヴァンカを着て、クヴァスを飲みながら、民謡を歌う生活を送りたい。ただ、それだけです」
「そんなのは分かっています」
「分かっている? ならば、なぜ、プーチン大統領の『安心感』は重視するのに、ウクライナ平民の『安心感』は軽視するのですか?」
教授を始めとしてロシア擁護者も、もう言葉をつづけられなかった。
ウクライナ擁護者の人々は、ホッとしたような顔をしていた。
僕は発言をやめ、周りの言葉を聞き始める。まだ、緊張で足が震えていた。
こんな大舞台で発言で来たのは、ヴィシヴァンカのおかげかもしれない。自由を求めるウクライナ人の魂が、応援してくれたのかもしれない。そんな風に思って、ヴィシヴァンカの魔よけの刺繍を、ぎゅっと握った。これからも、ヴィシヴァンカを大事にしよう、と思った。ヴィシヴァンカは、ウクライナ人だけの希望ではない。僕ら、地球に生きて、戦争を嫌うすべての人の希望だ。 その人たちはすべて、ヴィシヴァンカによろしく、と言わないといけないのだ。
それに、ウクライナ人は、17世紀から、ずっと、独立の夢を諦めていない。きっと、今回の侵略がどんな結末に終わっても、そこからまた、立ち上がるだろう。
テレビの討論は続いている。段々と、ロシア擁護派の雲行きが怪しくなってきた。でも、大事なのはどちらか勝つか、ではない。どうやって、言葉で互いが納得する落としどころを見つけられるか、だ。
「僕らは、苦痛からも、希望を生み出すことができる……」
と僕は一人で呟いた。
「そうだよね。ヴィシヴァンカ。Слава не вмре, не загине(栄光は死なずに消えない)」
もちろん、ウクライナの伝統衣装は何も答えない。でも、それでもよかった。
この服こそ、ウクライナが、まだ滅んでいない証。自由を求めている証。
そして将来、僕がまたウクライナに行き、ユーリと再会の抱擁をするための約束なのだから。
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