触手話

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 先程まで降っていた雨は止み、雲間から日が射し込んできていた。暗めだった教室が少し明るくなっている。 「じゃ、始めますか」  恩巳はそう言うと、アイマスクと耳栓を装着し始めた。何でそんなもん持ってきてんだよ。 「少し光は感じるし、音も聞こえるから、弱視難聴者って感じかな」  好き好んで自らの感覚を閉ざすとは物好きな奴だ。小さく嗤うと同時に、危険な思いをしてまで他者の気持ちに想いを馳せたいのかと考えると、嗤ったことは撤回すべきだとも思う。 「変なとこ触ったら責任取ってもらうからね」 「どーゆー意味だそれ」 「あ待って。めっちゃ怖い。これ一人で歩けないって」  机と机の間を、恩巳は恐る恐る歩き出した。右手に携えているビニール傘で、周囲の障害物を察知しながら一歩一歩と進んでいく。ビニール傘が白杖の代わりとは、偶然だろうか。鞄に下げた赤いタグホルダ―までヘルプマークに見えてくる。 「ねえ、温仕? 温仕いるよね?」 「俺はこっちだ」 「ねえねえ! いるよねえ?」  そうか聞こえてないんだったな。俺は恩巳の肩を叩いた。 「よかった~。置いていかれたかと」 「そこまで薄情じゃねえよ!」  聞こえないだろうから怒鳴り返してやった。 「お、白杖だけに?」  聞こえてんじゃねえか。 「やっぱ置いてっていいか!?」 「あ~ダメダメ待って」  偽装とはいえ、障碍者、いや、障碍を持つ者を放置しておくのは気が引ける。  10秒あれば出られる講義室を、2分掛けて、俺等は脱出?に成功した。 「え、待って、ヤバい。これムリなんだけど」  講義棟からも出て、やっと恩巳が歩行に慣れてきた頃、彼女は突然パニクり出した。 「なんもない! 今どの辺? もう講義棟出たよね!」  見てみると、恩巳は道路の真ん中で傘を振り回している。屋外に出ると障壁が開けるから、空間の把握が難しくなるのだろう。見ていて危なっかしい。ほんとの視覚障碍者でももっと落ち着いてるだろ。  ……そうか。恩巳はたった今視力を失ったばかりだから、その恐怖感に慣れていないのか。それに、障碍者には信頼できるサポーターが居ないと、危険度は格段に上がる。その役目を果たすのが、今の俺なのだろう。  周りが見えていない癖に、恩巳はヨロヨロと進んでいく。公道ではないキャンパス内とはいえ、自転車も通る道だ。放っておくのは危険過ぎる。目に余るものもあるし、色んな意味で俺は恩巳の左隣に就く。  察した恩巳は、「はい」と左腕を45°上げる。視覚障碍者の隣に就くとはそういう事だ。予想はしていたが、やはり心拍数の高まりは抑えらない。本来なら腕を組むのが正解だが、控え目に腕を摑んで引くに留まってしまった。
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