触手話

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「答えは触手話でお願いね。答えられないなら、別にいいけど」  何だよそれ。言いたいこと言っただけで、恩巳はそれで良いのか? 何のために伝えたんだよ。俺が引っ掛かるだろうが。  けど、口答が許されない、手書きも許されない、指文字もできないとなると、俺には諾否の回答すら伝える術が無い。もう小テストの時間が近づいている。こんなところでうかうかしてられない。 「この期に及んで怖気づいてんのか!?」 「なに? どういうこと?」 「自分の想いは伝えたい癖に、俺の想いは無視かよ。だから、そうやって目を閉じて耳を塞いで、俺の言葉を聞こうとしないんだろ」  恩巳の緊張は本当だ。最初から手が震えていた。  それに、一向にアイマスクと耳栓を外そうとしない。はなから俺の言葉など聞く気が無いんだ。 「私の一方的な想いなんだから、一方的に伝えさせてよ」  所々聞こえたのか、恩巳は寂しそうに言った。 「じゃあ、もう満足なんだな!?」 「時間ないんでしょ? 早く行きなよ」  恩巳はしがみ付く両手を漸く話した。依然として耳目の枷を拭おうとしない。 「言いたい事は、ちゃんと人の目を見て伝えろよな!」  ゆっくりとその場を立ち去った。俺もちゃんと自分の想いを伝えたかったが、恩巳がそれを受け取る気が無いのなら仕方ない。  一歩、また一歩。恐る恐る歩いていた恩巳と同じ速さで、俺は恩巳から離れていく。もう行かなくちゃならない。けど、想いに後ろ髪を引かれて、踏ん切りがつかない。  本当にそれで良いのだろうか。俺に後悔は無いだろうか。一度立ち止まり、恩巳の方を振り返った。俯いて唇を噛み締めている。  俺の手に文字を書いた時、恩巳の口元が動いていた。読唇術と併用すれば、恩巳が何を伝えたいのかは理解できた。俺に想いを伝えたのなら、本当は俺からも同じ思いを伝えられたかったはずだ。見えないその(まなこ)は、潤んでいるに違いない。  後悔するに決まってる!  俺は踵を返し、恩巳の元へ戻った。両手で恩巳の左手を取ると、驚いた恩巳が声と顔を上げる。 「え、なに!?」  これは触手話とは言わないかもしれない。けど、手を握っただけで俺の想いが伝われば、それは触手話の範疇だろう。俺の五指は、恩巳の五指の間にそれぞれ入り込み、指を絡めて固く掴んでいた。 「これが俺の答え! 詳しい話は後だかんな!!!」  捨て台詞を吐き、指を(ほど)いて、俺は駆け出す。もう小テストどころではないが、気持ちを整理するために一旦ここを離れる。  心の中が騒がしくて仕方ない。この後、恩巳に何て言おうか、恩巳は本当に俺の事を受け入れてくれるのか。そもそも俺が受け取った想いは間違っていないか。俺が手を握った意味は伝わっているのか。  心に惑いが生じた所為で、テストも講義も頭に入ってこない。先生の話も耳を筒抜ける。見えているはずなのに、ホワイトボードの文字が頭を摺り抜けている。 「恋は盲目」と言うが、単位を道連れに落ちる恋だけは、まっぴらごめんだ。
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