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中学校に入学してから半年が経ったころの話だ。
僕は勉強が苦手で成績が悪く、入部したテニス部では最も下手だった。
勉強も部活も両方できるようになりたかった。
抜群に。
ある日、親友の修平に教えてもらったチャットAI『ジゲン11』をスマホにインストールして、「勉強と部活動を誰よりもできるようになる魔法を教えて下さい」という文章を入力してみた。
冗談のつもりだった。
寝る前の勉強を終えて、何気なくジゲン11で遊んでみたかっただけだ。
そんなに簡単に自分の能力を上げられたら、誰も苦労しないだろうなと自分のバカさ加減に一人ニヤニヤしながら、ジゲン11がどんな返答をするのか興味津々で待った。
すると、僕が入力した文章のすぐ下に、どこの国で使われているのか分からない文字が表示された。
不思議な形をした、色々な種類の動物のイラストのようにも見える文字が一行だけ現れた。
それがジゲン11の返答だった。
少し悩んだ後、僕が「それを日本語に直して」と入力すると、ジゲン11はすぐに「この文字は日本語には翻訳できません。必要なときに書き写してください。即座に効果が現れます」と返答した。
予想していなかった展開に僕は戸惑った。
しかし、その一行の文字それぞれに不思議な何かを感じた。
僕は机の上のメモ用紙を取り出し、画面に表示されている文字を正確に書き写した。
翌朝、目覚めると昨日までとは違う自分に気づいた。
頭の中がクリアになり、体中に驚くほどのエネルギーがみなぎっている感じがした。
自分が実現したいことをすべてを、簡単に達成できるような不思議な感覚だ。
そのことを学校で修平に話すと、「お前、頭おかしくなったんじゃないの? 昨日までと全然変わってねーじゃん。それにジゲン11は現実の文字にしか対応していないから。動物のイラストみたいな文字なんて出るわけないよ」と笑われた。
「いや、本当だから」
と僕はスクリーンショットで保存しておいた画像を修平に見せようとしたが、あの不思議な文字の画像はなぜか見つからなかった。
「ほら、やっぱり嘘だよ」
「あれ? おかしいな……絶対に保存したのに。消えてる」
「おかしいのは、お前の頭だよ」
「いや、そんな……ちょっと待ってろ」
僕が必死にスマホをいじっていると、修平は「もういいよ。どうでもいい」とつまらなそうな顔をして話題を変えた。
それから、徐々に僕の能力は上がり続けた。
勉強は教科書を適当に読めばすぐに理解でき、どんな応用問題でも簡単に解くことができた。
部活動では、試合が開始された瞬間に試合終了までの相手の動きが予知能力のように脳内でイメージされ、どの試合でも僕は負けなかった。信じられないほどに高い体力、技術、精神力を身につけている自分に最初は驚いたものだ。
なりたかった理想の自分になれた、はずだった。
だけど、なぜか心は寂しさを感じていた。
ある日、僕はジゲン11に「以前の自分に戻してほしい」と頼むことにした。
しかし、ジゲン11を起動しようとしても反応がなかった。
困った僕は、すぐに修平の家に行き、「急に開けなくなったんだけど」と固まったままのジゲン11のアイコン画面を見せた。
「あれ? 俺のスマホに入れてあるジゲン11と微妙にアイコンのデザインが違うような……」
修平は首をかしげた。
「えっ?」
僕は自分のスマホと修平のスマホの画面を見比べた。
確かに、修平の言う通り微妙にアイコンの色合いが違っていた。
じっくりと時間をかけて見比べないと分からないほどに。
―*―*―*―*―
数十年の歳月が経った。
現在、元プロテニスプレイヤーの僕はあらゆる学問の博士号を持っていて、有名な賞を数えきれないほど受賞してきた。
世間からは『天才』と呼ばれているようだ。
しかし、僕は今、自分の変化に対応できずに、とても疲れている。
天才などと呼ばれても少しも嬉しくない。
というか、嬉しさを感じないのだ。
何だか、感情が日に日に失われていくような気がする。
絵画、音楽、文学などの芸術作品に触れても感動することが少なくなった。
きっと……最終的に感動することがなくなり、僕の頭は感動しないAIのようになるのだろう。
感動のない人生は、つまらない人生だ。
時折、あの不思議なアプリに人生を狂わせられなければ、どんな人生を送っていたのだろうかと考える。
今後、本物の『ジゲン11』と思い込んでいた、あのアプリを自分の手で作ることが出来るだろうか。
あの非現実的なAIアプリを完成させて、元の自分に戻る方法を見つけることが僕の夢。
一日も早く人間らしい人生を送れる日が来るように、AI化していく自分の脳をフル回転して思考している。
「今なら、まだ間に合う」と自分に言い聞かせながら、僕は研究を続けている。
(了)
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