#0

3/4
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/34ページ
「……いってきます」  傷口を抉るようにしてもう一回。  決まった場所にカードをかざして、重い足取りで迷宮のような建物の中を歩く。きょろきょろと周りを見渡すと後ろから人波に押されて前から来る人とぶつかった。謝ろうとした次の瞬間にはそこにもう人はいなかった。目の回るような都会の日常に私は早くも尻込みしながら、私を待っていたかのように佇む鉄の塊に身を委ねた。居合わせる人々は皆同じような表情で手元の液晶を眺めている。何の個性もない、のっぺらぼうがそこに沢山いるような気がして私は窓の外へと視線を移していた。飛び去って行く無数の建物は簡単に消費されていく大量生産品のようで、飛び去る景色の中に誰かの人生が詰まっているなんて私の想像力は到底思いつききもしない。  (しばら)くしてから音を立てて扉が開く。隣に立っていた会社員のような男性が人波に消えていった。それと同時に新たな人波が狭い空間の中に流れ込む。油断していた私は波に押されて、窓の景色も見えない奥の方まで追いやられていた。  仕方なく、視線を床に落とした。隣にいるのは私と同じく黒いローファーを履いた女の子のようだった。少し気になって視線を上げると、そこには私と同じ赤いリボンを付けた女の子がただ立っていた。知らない場所で迷子になって、ふとした瞬間に友人を見つけたような安心感と嬉しさが胸に込み上げた。  何度か波は繰り返されて、やがて私が波の一部となる番だった。隣にいた女の子も同じようにして波に一体化して外へと出ていく。気がつけばその女の子の姿は見失ってしまったが、周りには赤いリボンの仲間が何十人も居たことに気がついた。 「あ……すみません」  トンと小さな衝撃を脇腹の辺りに感じた。言われなければ何も気にすることもないような、そんな小さな衝撃。当たられた怒りなんかよりも、暖かい心を持っている仲間がいたことが私の心を刺激する。 「大丈夫ですよ!」  想像以上に大きな声を出してしまっていた。しまった、と思うには遅すぎたようで何人かの大人がこちらを振り返って怪訝そうな表情を見せた。月日と共に心は狭くなってしまうのかと不安になる。暖かな心の赤リボンさんは小さく会釈をするとすぐに人混みと同化して、もうどこにいるかは分からなくなっていた。
/34ページ

最初のコメントを投稿しよう!