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「ごめんねー。私、いらないものはクローゼットにしまう癖があるんだよね」
私たちは二人でクローゼットから出てきたたくさんのガラクタを整理整頓していた。若槻は私がクローゼットを開けたことに対して咎めることはなく、ただ床に散らかった物を手に取るだけだった。
「勝手に開けてごめん」
だからか、良心に耐えきれず、私から若槻に謝った。このまま何も言わなければ、追求されることはなかっただろうに、私は何をやっているんだろうか。
「気にしないで。怪我とかはない?」
だが、若槻は私の謝罪を素直に受け止めるだけだった。代わりに心配の声をかけてくれる。何も言ってくれないのはありがたい。ただ、若槻が好意的な行動を見せれば見せるほど、この状況における善悪がはっきりとしすぎて不甲斐なさを覚える。
なんだか若槻の悪いところを探そうとしていた自分が馬鹿らしく感じた。
「おおーっ! これ、懐かしいな!」
片付けていると、不意に若槻が大きな声をあげた。私は反射的に彼女の方へと顔を向ける。見ると、彼女は一枚の封筒を手にしていた。A4サイズの紙がそのまま入りそうなくらいの大きさだ。
「何それ?」
私は若槻の方へ歩いていくと、彼女の隣に座る。
若槻は封筒の中に入っているものを取り出す。中にはA4サイズの画用紙が数十枚ほど入っていた。画用紙には風景画や自画像、モチーフ画らしきものなど多種多様な絵が描かれている。
「懐かしいなー」
「これ、若槻が書いたの?」
「うん、小学6年生の時にね」
「小学6年生……」
見る限り、高校生くらいが描きそうな絵のクオリティーだ。絵の形はもちろんのこと、構図や濃淡の付け方など、とてもじゃないが小学生で出せるものではない。この頃から才能を開花させていたんだな。
「お母さんとの最後の思い出の作品たちなんだ」
「お母さんとの最後って……」
「私が小学を卒業するときに他界したの」
やっぱり、あの仏壇に飾られていた写真は若槻の母親だったのか。
「この時は辛かったなー」
「そう……だよね。そんな小さい時に母親がいなくなったら……」
「いや、この作品を描いていたときの話ね」
「紛らわしいからやめてよ……」
しんみりとしていた感情は、若槻のボケによって相殺された。案外、若槻は母親を失くしても平気なのだろうか。
「いつ描いたの?」
「夏休みの時。お母さんと二人で1日2題、美術大学で過去に出題された問題に取り組んでいたんだ。一次試験のみで、A4サイズにしているから簡略版だけど」
「1日2題って、鬼畜すぎない? 普通にやったら、10時間以上はかかるでしょう? それを毎日って」
「うん、だから『地獄の絵描き大会』って呼ばれてたんだ。小学生最後の夏休みだっていうのに、今までで一番ハードだったよ。これのために、夏休みの宿題なんて夏休みになる前に9割終わらせたんだから」
「うわー、きついね。でも、どうしてそんなことを?」
「えっとね……」
若槻は遠くを見ながら何やら言いかねている様子を見せる。
これを描く理由に対して、そんなに言い悩むことがあるのだろうか。母親との最後の作品と言っている以上、私が必要に聞こうとするのは烏滸がましい気がする。
「大変お恥ずかしい話になるので、他言無用でお願いしていい?」
私は静かに頷いた。彼女の言い方的に誰かに初めて話すお話らしい。それを自分に言ってくれることを少しばかり嬉しく感じた。当初の予定通り、彼女の秘密が聞けるかもしれない。
「実はさ……私って絵が上手いじゃん?」
「まあ、チャールズ皇太子賞をとってるからね」
「でしょ。まあ、それもあってか、小学校の頃はよく他の子達の批判をしてたんだよね。小学生って意外と素直じゃん」
「うん……自分で言うのはどうかと思うけど」
「てへへっ……でね、それを見越したお母さんがこの世への置き土産として私に身を挺して教えてくれたんだ。どんなことがあっても人を批判するようなことはしてはいけないって」
「なるほどね……それで、なんでそのことが『地獄の絵描き大会』に繋がるの?」
「ほら、私ってあまり絵をたくさん描くって感じじゃないじゃん?」
「そうだね。気が向いたら描くって感じ」
「でしょ。それは私には『努力をする』っていう才能があまりないからなんだよね」
「それであの質の絵を描いているのはなんだかムカつくけど」
「ごめんごめん。まあ、そう言うわけで、あまり努力をして来なかった私は、他の人もそんなものだと思い込んでいたわけ。小さい子って主観的に物事を判断することが多いじゃん」
小さくなくても、主観的に判断する人間はたくさんいる。才能のあるやつは特にそうだった。
「けど、そうじゃないんだってお母さんは分からせたかったんだろうね。だから最後の夏休みを使って、私に『努力』と言うものを教えてくれたんだ。自分はすこぶる体調悪いにもかかわらず、私と同じく1日2題取り組んだんだよ」
「お母さんもやったの?」
「もちろんだよ。でなきゃ、私は怠けただろうからね。自分がやることで私にプレッシャーを与えたの。ホント意地悪なお母さんだよ。だからこそ、今も大切に胸の中にしまえることなんだけど」
若槻の優しさは母親から受け取ったものだったのか。だから、あんなにも他の人たちを受け入れてあげれたんだ。努力する才能がないからこそ、努力する人間に対して尊敬することができている。
「絵ってさ、不思議だよね。制作時間が3時間の作品であっても、深掘りすれば『その人のこれまでの人生と3時間』って感じだもんね。どんな物を見て、どんなことを感じて、どんなことを思ったのか。それら全てが合わさって絵が作られる。ねえ、ピカソの逸話って知ってる?」
「30秒で描いた作品に100万ドルの値打ちをつけて、理由を聞いたら『30年と30秒』って言ったやつ」
「そう。たった一つの絵を描くだけでも、その裏には血の滲む努力があるんだよね。2枚目に描いた作品は1枚目の意志を受け継いでいる。3枚目に描いた作品は1枚目と2枚目の意志を受け継いでいる。今から自分が描く作品にはこれまで自分が描いてきた作品の意志が受け継がれている。そう考えると、誰が描いた作品も私には輝いて見えるんだ」
「そっか……なんか……ごめん」
「どうして急に謝るの?」
「えっ! あ……その……なんでもない!」
私は顔を若槻から背ける。その瞬間、体温が上昇していくのが分かった。ものすごい羞恥心が私の心を埋め尽くしていく。
「なんでもないって何よ!?」
若槻はそんな私に躊躇することなく、顔を近づけて聞いてくる。私はさらに顔を背けて若槻に応戦した。まさか彼女がそんなことを思ってみんなの作品を見ているとは思いもしなかった。私は彼女を恨んでいたことを心底恥ずかしく感じた。
これからは彼女のことを、きっと今までにないくらい輝いて見れることだろう。
私は男に生まれて来なくてよかったと思った。もしそうなっていたら、今胸に抱いたこの感覚にいてもたってもいられなくなっていただろうから。
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