1 姫巫女

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1 姫巫女

 太古の昔。  大小合わせて百ほどの国があった。  領地を広げようとする国々は、争いが絶えなかった。  戦乱の流れで、数多(あまた)の国々が消えて行く。  その中で、一度も負けなかった国があった。  歴史書にも残らないその小国は、姫巫女が護っていたと言う。 ◇ ◇ ◇  高床造りの社殿櫓からは、国全体が見渡せる。  金色に実った稲穂が風に吹かれて、一斉に揺らぐ様は美しい。  髪を一つに高く結い上げて宝冠をつけ、首には鮮やかな翡翠の勾玉をかけている。  少女の年の頃は、十五、六。  白い袴に薄紅色の貫頭衣、その上から倭文織(しづおり)の腰紐を結んでいる。長く垂らした唐紅の腰紐が、社殿に吹き抜ける風に揺れた。   「瑞穂様、こちらにおわしましたか」  奥から出てきた乳母が少女に声をかけた。 「今年も豊かに実ったわね。風にさざめく稲穂は金色に棚引く雲のようだわ」  瑞穂と呼ばれた少女は、祝詞を読んでいるかのように柔らかく、乳母(めのと)に言う。 「神々に愛された姫様がおわす限り、この国は永久(とこしえ)安寧(あんねい)ですわね」  瑞穂の言葉に、微笑んで乳母が答えた。  乳母とは言え、瑞穂と年齢はそう変わらない。  瑞穂を産んだ後、亡くなった母の代わりに育ててくれたのが、母の側仕えをしていた月夜海(つきよみ)だった。  月夜海には同じ年頃の子供がおり、赤子の頃は、瑞穂とは乳兄弟のように育てられた。  稚羽矢(ちはや)と名付けられた月夜海の娘は、成長すると瑞穂の乳母として仕えることとなった。姉妹のような絆で結ばれていた二人には、自然の流れであった。    満穂(みつほ)と呼ばれるこの国は、領地内に豊かな川が流れる水田に適した土地で、稲作が盛んで豊かな国だった。  満穂を治める王は代々、肥沃な大地に感謝して日や雨などの神々を祀り、自らの娘を巫女にしている。  娘が生まれなかった王は、近親者から養子を取り、巫女としたと言う。  満穂王の娘である瑞穂は巫女として、物心がつく前から神と共に社殿で暮らしていた。  神々の意思を聞き取れず、日照不足や雨水不足を起こして米の収穫量が減れば、多くの民が飢えて国力が弱まる。神力を失ったと見做された巫女は、神の怒りを鎮めるための生贄となり、国の安寧を謀ることとなるのが通例だった。  巫女は命を()して神と共に在り、国と民のために祈りを捧げ、神の意思を聞くのが役目だからこそ、人々に敬愛されている。生まれた時から巫女姫となった瑞穂は、自分の運命を受け入れ、使命を果たそうと心がけた。  今年も、神々は自分の祈りを聞き入れてくれた。  米の他、大豆、粟や稗、桑など他の穀物や団栗や山栗などの木の実、柿やあけび、山葡萄などの果実も豊作の年であった。民が飢えずに済む。  瑞穂は小さく安堵の息をついて、神々に感謝を捧げた。  国が弱まれば、攻められる。  大小、多くの国々が自分の国を豊かにしようと躍起になる中、国力の弱まった国は次々に大国に飲み込まれた。  その中で、温和な満穂王が治める小さな満穂国の国力の高さは、近隣の国々に轟く。 「満穂は神通力が高い瑞穂と言う姫巫女に護られている。先の川の氾濫も巫女によって、満穂は免れたそうだ。神に愛でられた巫女よ」 「近隣の国々が日照りで困っている時も、姫巫女のおかげで満穂の田畑は潤い、米の収穫ができたそうじゃ。尊い神の娘ぞ」 姫巫女………… ___欲しいものだ。 ___我が国にも。 ___なんととしても我が国の物に。  国同士の交易にも、色々な思惑が渦巻く。  そのためか、満穂王は他国の交易使者が訪れても、決して瑞穂姫を公の場に出すことはしなかった。  十重二十重(とえはたえ)にも護られた堅牢な社殿で姫巫女は暮らしている、事になっていたのだった。
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