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18 願い
その瞬間、明けてきた空に黒雲が広がり、雷鳴が轟く。
ポツ、ポツと大粒の雫が、空から足早に降りてくる。同時に逆流した川の水が、一気に満穂に流れ込んだ。瞬く間に、大人の膝程までの深さとなり、満穂に広がった炎は跡形もなく、水に飲み込まれた。
水に慣れていない天原兵も、水に流されて行く。
「終わった、長かった!」
天原王を討った須佐は呟いて、水を掻き、瑞穂の元に走る。目を閉じて、動かない瑞穂を抱き上げた。
「巫女よ、終わったぞ。そなたの満穂は無事ぞ。目を開けよ。一人で逝くな」
母が父に殺された時、臣下と父に裏切られ、厭まれ、国を追放された時ですら、涙を零さなかった須佐の瞳から、大粒の涙が溢れた。
実の父に忌まれ、周りに人の居なかった須佐の心に、気まぐれで立ち寄った時に見た、満穂の巫女姫の美しい神楽と、他者を想う優しい言祝ぎが深く沁みた。
この巫女姫を父に渡してはならない。巫女姫が自分を嫌ったとしても、自分はこの優しい巫女姫を、命の限り守ろうと誓った。その強い気持ちがなんなのか、須佐には分からなかった。
抱いた瑞穂を天に掲げ、初めて心の底から祈った。
「今まで一度も神に願った事がない、須佐が頼み申す。巫女姫を私から奪わないでください。巫女姫を今一度、お返しください。それ以上、私は神に二度と願いを申しませぬ」
悲しみの深淵にいる須佐を、光が照らす。
雨雲が去り、残った雲間から朝陽が差した。
水捌けの良い上流地域にある満穂は、溢れた水もあっという間に捌けていく。
「須佐……」
弱々しい声に、須佐は天にかがけていた巫女姫を自分の胸元まで降ろした。
瑞穂が目を開けて、須佐を見る。
「あぁ!」
声にならぬ声を上げて須佐は瑞穂を抱きしめた。
瑞穂は天原王に刺された胸の短刀を引き抜く。
「傷はどうだ」
焦った顔で瑞穂の顔を覗き込む須佐に、思わず瑞穂の口元が緩む。
懐から鏡を出すと、真っ二つにヒビが入っていた。
天原王の刀を受け止めたのは、お守りにと須佐がくれた仿製鏡だった。
「守ってくれたのね、須佐」
「そなたも私を守ってくれたぞ、巫女姫」
そう言うと須佐は瑞穂を腕から降ろし、自らの美豆良に差し込んだ柘植櫛を取り、瑞穂に見せた。
「オホン」
後ろで咳払いが聞こえる。
流火人が指し示す方を見ると、満穂王と磯良がこちらにやって来る。
大勢の満穂の村人たちを引き連れて。
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