4 和貴

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4 和貴

和貴(わき)ー。無茶するなー」  黒髪を両脇に結い上げた美豆良(みずら)に、麻布を頭巾のように頭に巻いた少年が声を張り上げる。 「遅いぞ、志世良(しせら)。お前の脚は亀にも劣る。そんなでは(しし)に追いつけぬぞ」  弓を番えて山野の斜面を颯爽と駆けるのは和貴と呼ばれた少年。華奢で小さいが、しなやかな体躯(たいく)で軽々と急な斜面も駆け回る。美しい面立ちで少女とも見紛(みま)ごうばかりだったが、結った髪は両脇美豆良に後ろ束ね髪を合わせた男性の結い方だった。 「見ろ、あそこで猪が団栗を食べている。今日は海向こうの人を迎える祭りぞ。(しし)鹿()を捕えるんだ。猪肉(ししにく)鹿肉(かのしし)も旨いからなぁ」  料理を思い浮かべて立ち止まった和貴が、美味しい顔をする。(ようや)く追いついた志世良は、肩で息をつきながら和貴に呆れ顔を浮かべた。 「お前は考えが足りぬ。追って矢を番えれば、猪はますます山深く逃げるだろう。こうするのさ」  そう言うと志世良は、側の木に巻き付けた縄を素早く引いた。地面が動く。団栗に夢中になっていた猪は驚き、気づかぬ内に縄目を踏んで脚を絡め取られた。  網に絡まり、藻掻きながら斜面を滑っていく猪が窪地で止まる。 「罠を仕掛けていたのか。お前、やるな」  和貴が感心して、自分より頭ひとつ大きい志世良を見上げる。 「思った通りの猪道を辿ったからな。括り罠が上手く行ったな」  志世良は自分の読みが当たって嬉しそうに、笑みを浮かべた。  猪は怯え、怒り、地響きがするほどの咆哮をあげた。志世良と和貴は、咆哮しながら地を爪で搔く猪を前に片膝をつく。頭を下げて、山の先住者である猪に敬意を示した。  次に和貴が、猪の鼻先に手のひらを(かざ)し、感謝と祈りの言葉を口にする。猪は脚を折り膝を地につけ、大人しくなった。志世良は懐の短刀で、大人しくなった猪にとどめを刺す。一突きで、どうっとくぐもった音を立て、大きな猪が倒れた。起き上がることは、もうない。  二人は跪き、倒れた猪に合掌して敬意を捧ぐ。そして立ち上がると、糧を与えし山の神に二礼した。   猪の脚に運びやすいよう、手際よく縄をかけている志世良に尋ねる。 「おまえ、剣の扱いに慣れているな」 「無駄に苦しませたくはないからな。満穂には、子どもも年寄りも多いから、出来る者が糧を摂らねばならぬし。」 「こういう大きな猪は、村の若者の幾人かで仕留めるものなのではないのか?」 「無用よ。俺一人で十分だ。同じ仕事をするよりも、違うことをした方が効率がよい。それに、お主がいるではないか」    軽口を話しながらも、二人は互いを冷静に見ている。  ある日突然、山の中で出会った和貴と名乗る少年は、満穂のどこに住んでいるのか、決して言わなかった。  満穂に住まうのは八十人ほど。  異国からやって来た職人たちを入れれば、百余人ほどとなる。だが、和貴は満穂のどこの集落にいるのかなど、驚くほどに自分の事を語らない。  身のこなしは軽やかだが、山の事は何も知らないようで志世良に色々なことを尋ねて来た。  だが、猛り狂う獣の前に和貴が立つと、獣は皆、大人しくなった。  二人は親しく過ごしたが、互いの事は語らなかった。  けれども山中の一時を、一緒に過ごすにはそれで十分だった。
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