8 須佐

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8 須佐

 祭りにも関わらず、布を目深に被った者がいた。  目立たぬよう座し、杯を傾けている。  神楽が始まると、舞っている巫女姫をじっと見つめた。その瞳は黒く、篝火に妖しく揺らぐ。  言祝ぎが終わり、巫女姫が神楽座から降りて社殿に戻り、人々がまた饗宴に戻る頃には、布を目深に被った者が消えていた。次の音楽が始まる。  座を外す者のことなど、人々は気にも止めなかった。 ◇ ◇ ◇  高床造りの社殿から、賑わっている祭りの様子が見える。太鼓や石笛の音も響いていた。  稚羽矢は先刻、瑞穂のための夕餉を取りに厨へ出ていった。今宵は膳の数が多いため、暫く戻らないだろう。一人になった瑞穂は、そっと社殿を出る。外の空気をもう少し、感じていたかった。社殿の奥にある大杉まで来た時だった。  声を上げる間もなく、不意に布で口を塞がれる。無事社殿に戻ったことで、油断していた。  なんとかしなくては。自分の事で、満穂を戦に巻き込むことだけは避けたい。   「すまぬ。話がしたいだけだ。大人しくしていれば手荒な事はせぬ」  被っている布で顔は見えないが、瑞穂の口を塞いだ男は、落ち着いているようだ。話している事は嘘ではないと瑞穂は、直感的に感じた。  瑞穂が抵抗をやめると、男は口を塞いでいた手をそっと外し、布を取って顔を顕にした。  切れ長の目と太い眉が印象的な男だった。 「我名は、須佐」 「須佐……」  瑞穂は相手の名を呟く。どこかで聞いた名だ。 「天原の皇子ぞ。追放されてはおるけどな」 「天原!」  身構える瑞穂に、須佐は薄く笑った。 「そう身構えなくとも良い」 「天原は、今宵の祭りに呼んでいないはず」  天原の皇子が供もつけず、あまつさえ、村奥の社殿まで入り込んだ手際の良さと豪胆さに、恐怖を覚えた。  須佐は一歩ずつ、瑞穂に近づく。 「天原が制圧したのは阿津だけに非ず」 「まさか、三馬都(みまと)も天原に?」  瑞穂は動揺を抑え、冷静に言うように努めた。 「天原の親父殿は、相手の急所を狙うのが上手くてな」  皮肉げな笑みを浮かべ、須佐は瑞穂を見つめる。 「天原の皇子であるあなたがなぜ、供も連れずにここに?」 「満穂の巫女姫を奪いに」  須佐が余りにもサラリと言ったため、一瞬理解できなかった。 「親父殿は、なんとしても満穂の巫女姫を手に入れるつもりだ。妻に娶るためにな。私はそれを阻止しようと思う。私と来い」  光が当たってもいないのに、須佐の瞳が妖しく光る。 「私を、連れ去るの? それは無理だわ」  恐怖を堪えて、虚勢を張る。  社殿が村の奥にあり、人目がないのは須佐に歩があるかも知れない。  だが、村を通過するには、満穂への出入りをするために設けられた、唯一の門を通過するしかない。しかも、そこには屈強な男が見張りとしてついている。 「造作もないこと」  そう言って二歩、三歩と素早く近づき、声を上げる間もなく、瑞穂を肩に抱えあげた。 「!!!!」  細身に見える須佐のどこに、こんな力があるのだろうかと想うほど軽々と瑞穂を抱えあげ、そっと囁く。 「声は出さずに。巫女姫、私はそなたか気に入った。みすみす親父殿に差し出すのは惜しい。どうだ、私と組まないか。親父殿からそなたを助けてやろう」 「()うたばかりのあなたを信じられるものか。離して!」  須佐の肩の上で瑞穂は藻掻く。 「巫女姫と言えど、普通の女なのだな。神の力を借りて私を成敗しないのか? 若しくは、私がそなたを謀っているかどうか、神に尋ねたらどうだ」  口の端を歪めて、皮肉げな微笑を浮かべる須佐。  その表情は、肩の上にいる瑞穂には分からない。 「神の御意志は、そのような私欲に使うものではない! 私はそなたとは違う! ()ね!」  そう言うと、瑞穂は自分を担ぎ上げている須佐の肩を思い切り噛んだ。
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