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母も靴が大好きで、プロポーズの靴はいまも大事に持っている。
乃愛の『楽しい、素敵、大好き』は父と母から感じ取ったものばかりだ。
母は黙って腑抜けている父を支えてる。
不甲斐ない夫が日中からそばにいると、嫌気がさして怒ったり不満をまき散らしたりする妻という姿が容易く想像に浮かぶが、乃愛の母はそんな態度は一度も見せなかった。
『お父さんの気が済むようにしてあげたいの』と言っている。
父の日銭と母のパート代でなんとかなっているらしい。心配で乃愛が少しばかり仕送りをしている。だが母は『いざというときのために大事にとっておくね』と言って、受け取ってはくれるが足しにしている様子はうかがえない。
父と母がそれで納得して夫婦がまだ成り立っているなら、乃愛は口出しするつもりはない。娘としてもやもやしているものはあるが、そこは余程のことがないかぎり胸にしまっておこうと決めている。
晴れない胸のもやを抱えたまま、車を飛ばして憂さ晴らし。
でも今日は土砂降りの雨で思いっきりアクセルが踏めない。
そのうちにいつも自分が出入りしている軍港の前を通る。
雨の中も雨具のポンチョを羽織っている警備隊員が港の門を守っている。
もう少し行くと、司令本部がある基地正門を通過する。
日没後のこの土砂降りで、基地周辺の歩道は人もまばらだった。
この基地へ通勤する軍人が乗り降りしているバス停も見えてくる。
屋根付きでベンチが置かれている待合スペースもある。夜燈が点灯しているが、雨に濡れたフロントガラスを通すと乃愛にはぼんやりと浮かんで出現したように見えた。
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