壱 赤い痣

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壱 赤い痣

 ――山間の深い闇の中に()むのは、人のようで人でなきもの。  盆が近づく度にふと、いつ読んだのかも忘れた本の一節を思い出す。  部活が終わって、荷物をリュックの中に入れ終わった時だった。 「そ・う・ま! 壮真(そうま)! どっかプール行こうぜ! ようやく部活休みだし」 「行かないよ。盆は毎年、母親の実家に行くから」 「えっ! まじでー」  高一の夏休み。休みとは名ばかりで部活に明け暮れていたけれど、盆だけは丸一週間休みになる。俺は次々にやってくる友達からの誘いを断り続けていた。  母の山深い実家には、毎年八月に揃って帰省することが決まっている。  東京では七月に盆を迎えるが、母の田舎では八月だ。父も俺も東京育ちで、八月の熱い最中にどうして山奥まで何時間もかけていくのだと言いたくなる。父子の気乗りしない様子を無視して、母は毎年俺たちを急き立てた。気軽に行くことが出来ない実家に運転手つきで行けるのは、母には大きな楽しみだったのかもしれない。  俺は夏にあまり外に出たくなかった。正確に言えば、人に会いたくない。それと言うのも、夏が近づくと俺の右手の手首には、赤い縄のような(あざ)が出るのだ。  気がついたのは、確か十一の時だ。ぐるりと細い何かが巻きついたような痣は梅雨の最中からうっすらと浮き上がり、盆に近づくにつれて、さらに赤く強く浮き上がる。そして、盆が過ぎると徐々に薄くなって、秋を迎える頃には消えてしまうのだ。それが毎年繰り返される。痣が出た場所は特に痛くも痒くもない。  一度、プール授業の時に友達に「気持ち悪い」と言われてから、俺はひどく痣が気になるようになった。母が担任に言って、クラスメイトに注意を促したところで少しも心は晴れない。  皮膚科に行っても、医師は首を捻りながら、特におかしなところはないと言った。体温や気温の上昇と共に痣が浮き上がるのかもしれないと。  母はタオル地のリストバンドを買ってきて俺にくれた。それ以来、夏が近づくと俺は必ず右手首にリストバンドをつける。  母の実家に行けばたくさんの親戚たちに会うことになるのがわかっているから、正直、気が重い。それでも一人で東京の家に残ると言わないのは、楽しみがあるからだ。母の実家に行けば、彼に……、香夜(こうや)に会えるから。
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