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無益なアコ
人の技術が発展して、そこに人が望みを叶えようと働きかけると、なにが生まれるか。
俺が知っているのは、ペットを飼えない人のための一切吠えない犬型ロボットや、家具や壁で爪とぎをしない猫型ロボット。人の生活を支える、家政婦代行ロボットに、介護ロボット。そんなものが、気がつけばどんどん生まれていった。
多分、人間はきっと、こういった取り替えのきくものが好きなのだろう。新機能の追加とか、より便利になるとか、流行りに乗れるとか、そういう耳触りのいいものが好まれるのだ。
「使えなければ返品すれば良い」、そんな合言葉の元に、生まれたシステムは命の代用品ばかりだった。
そんなくそったれな世の中をよしとできないまま、けれど何の反論も出来ない俺が働いてたのは、人型アンドロイドの小さなショップだった。胸くそ悪い客だって散々見てきたが、それとは対照的な、純真無垢に作られたアンドロイドと別れることもできず、バイトとして雇ってもらってから今に至るまでずるずると辞めるに辞められずにいた。
俺が担当する区画に、最近よく並べられたのは子ども型の学習AIアンドロイドだった。
親になりたい人の要望に応えた、要は子どもの代用品としてのアンドロイド。オモチャの箱に入れられた、透明なナイロンから見える子ども達に俺はため息が止まらない。
俺自身、子どもを持っているわけでもなければ、出産の痛みを知らなければ親になんてなれない、なんて世迷いごとを言うつもりはない。けれど、店で子どもを「商品」として選り好みする夫婦を何組も見ていると、それが親の適正かと聞いてみたくなる。
人の購買意欲のために作られた見目麗しい、才能という名のプログラムを組み込まれた、自分を愛し成長するロボットを望む人は後を絶たなかった。腹の中で命を慈しんだ経験も無ければ、「育て方を失敗すればリセットすればいい」と、何かにつけて命のないことを免罪符にし、返品する親もいた。生身の俺を育てた親だって、完全無欠の人だったとは思わない。が、それでも喉の奥からこみ上げる苦いものを、俺は上手く飲み込めないでいる。
少子高齢化の進むこの国にもたらされた革命的な技術だと、もてはやされていたのは今は昔。かえって生身の子どもを持たず、己の望む役割を果たすAIを求める人が増加するのは、火を見るより明らかだっただろうに。
俺がこのショップで働くのを辞められない理由の一つに、とある女の子のアンドロイドがある。初めて彼女を見たのは5歳規格の大きさで、その子が売られていったのは、ある中年の夫婦の元だった。
彼女の兄と姉にあたる上の子二人が大きくなり、手もかからなくなったところ、もの寂しさを感じて購入したいという申し出だった。
手のかかる幼児期規格を希望したとき、また返品されるのではと少し渋ったが、それでも上の子二人をきちんと育て上げた実績があるからと譲らず、中年夫婦はそのAIを買っていった。
二人はそのAIを、アコと名付けた。
結論から言えば、アコはここから20年後に、返品されることとなる。
5歳規格の成長型AIを購入されたため、帰ってきたアコは25歳だった。理由は「本人の希望によるもの」。
ところで、こういったAIにはロボット工学三原則が義務付けられている。
1に、人に危害を加えてはならない。2に、その範疇を超えない限りは人の命令に従わなくてはならない。3に、さらにその範疇を超えない限りは自身を守らなければならない、といったものだ。つまりは、自分を守るより人の命令を大事に、とAIは生まれたときから約束させられている。
このルールに、ずるい解釈ではあるが抜け道が作られている。
買った持ち主より先に、AIを作った人間が「2より3を優先するように」と、ある約束をさせるのだ。それは、AIを作成した人間が必ず組み込むあるプログラムと、コアに取り付けた重要なパーツの相互作用による絶対的なルール。
「自身が“壊れてしまう”と感じたら、逃げなさい」
これは、AIを作った製作者が、自身の作品であり子どもでもあるAIたちが不当な仕打ちを受けないようにと、願いを込めたものだと俺は思っている。このルールのおかげで、AIに対し不当な扱いをした人間はもれなく、その所有権を手放さざるを得なくなる。
幸いなことに社会も、人と同じ形をしたものを平気で傷つけるものは悪人、と認識してくれているおかげでこのルールは概ね、守られていた。
つまり、アコはあの中年夫婦の元での生活に耐えられなくなって帰ってきたのだ。
アコは戻ってきたとき、あの家で何があったのかは一切話さなかった。
ただ、伏せた目は決して視線を合わせようとはしなかったし、何かに耐えるように時々、唇をきゅっと噛みしめるばかりだった。AIは、涙を流すことだけはできない。それだけでも、何か俺の想像を絶するようなことがあったのは容易に想像できた。
検査の結果、アコの不具合は意思表示の部分に大きく表れていた。好きなものや嫌いなもの、そんなことを聞かれただけで視線が揺れ、答えに窮するのだ。答えの決まっているものは即座に答えられるのに、アコの自由に答えられるはずの問いには、大きなタイムラグが発生していた。
てっきり俺は、アコは自分の意思も持てないほどきつい束縛を受け、そのせいで、何か答えること自体が間違いだという学習をしてしまったのだと考えた。AIなのだから、自分の意思などあってはいけない。そんな古い思考をした夫婦に買われてしまったのだと、そう予測をしていたのだ。
けれどその予測は外れることとなる。
アコは何があったかを答えないが、それ以上の不具合はまるでなかった。最上級の優秀さを求められたのかと言えばそうでもなく、なんなら自身を「出来損ないですよ」と謙遜する程度だった。AIにおける出来損ないなんて、不具合を理由に返品されかねない言葉だったが、アコは自分をそう形容した。
そしてもうひとつ。持ち主の意にそぐわない行動をしたアコを、あの中年夫婦は酷く侮蔑するものかと身構えていたのだが、一切そんな素振りは見せなかった。旦那の方は店に来ることはなかったが、奥さんの方はアコを見てニコニコと嬉しそうな顔をしたのだ。
「いつでもまた帰っておいで、あなたは私たちの家族なのだから」
最初こそ、そんな言葉をアコにかけるものだから俺は面食らってしまった。アコもアコで、そんな言葉に何か特殊な反応を見せるわけでもなく、ごめんねと一言、なんでもないことのように返すのだった。まるで、いつか帰る約束をしているかのように。
間違っても、アコは一時的な修理などのための返品ではなく、女性はアコの所有権を失っている。アコが望んだところで、アコは彼女の元に帰る術はない。それでも、アコは家出がバレたようなバツの悪い素振りでもなければ、穏やかな家族との一面を見せられているようだった。
何が何だか分からない。けれど、そんな俺をよそに、自分の元から逃げたアコを責めるわけでもなく、労うような言葉だけ言って彼女は帰っていった。
だが、そこに異様な違和感が見えるようになったのは、それから数ヶ月もしない頃だった。アコの母としてアコを買ったその女性は、何かと理由をつけてショップに来ては、アコに声をかけていた。最初のうちは同じコトばかり話していたが、だんだんと、当たり前のように自分のかわいそうな身の上話をアコに聞かせるようになっていった。旦那が酷いだとか、実の息子や娘が冷たいだとか。
アコは、黙って話を聞いていた。女性は、アコがいなくなったことを寂しいとは言わず、「心配」だと言っていた。しかしそうは言いながらも、アコが返品を希望した理由を聞くことはなかった。もしかすると、何かしらの不具合があるからショップに戻る、とかなんとか、適当な嘘をアコがついて、それをそのまま信じているのかもしれない。
アコは、自分が出来損ないだと言っていた。だから、何かしらの不備があるから店に帰ったのだと、そう説明しているのかも知れない。真相はアコの口からは語られない。
AIの肩を持ちたい俺の予想でしかないが、女性の異様な態度はまるで、そんな残念な部分を持つアコを、「アコが情けなくても母は許しますよ」というスタンスで待っているかのように見えたのだ。
ところで、アコに意思表示以外に不具合はない。出来損ないと自称はするものの、AIとしての性能は上々で、平均よりはずっと優秀な性能にまで成長していた。視線が噛み合わず、根暗な態度でいるからこそ、そう思っているのかもしれない。あるいは、アコの努力してきたことに、あの母親が褒めることさえしなかったのかもしれない。AIなんだから当たり前と罵られ、アコもそれを鵜呑みにしているのだろうか。……これも、想像にすぎないが。
当然の話だが、いつまでたってもアコは「母の元へ帰りたい」なんて言うはずもなかった。
けれどそれがおかしいと感じ始めたのか、女性はいつになったらアコは解放されるんです?とまで聞いてきた。返品のシステムを説明しようとしたが、彼女の後ろでアコが、酷く怯えたような顔を一瞬だけ見せたので、適当に理由をつけて誤魔化していた。
やはり、俺の予想は合っていたのだろうか。
だとすれば、アコは店に度々訪れる彼女のせいで、“壊れて”しまうかもしれない。
それに気がつくのが遅れたせいで、気がつけばアコは、かなり疲弊していった。
だんだんと、女性と顔を合わせることすら苦痛になっているらしく、倉庫に隠れるようにもなった。それでも、彼女が来る気配だけで苦しんでいた。やがては本性を見せ始めた彼女が、俺や他の店員に、「娘を返せ」と怒鳴っているのが聞こえるだけで、フリーズを起こすほどになっていった。
アコは言う。
「私は、AIとして与えられた役割すら果たせない。リセットした方がいいのだと思う。それはとても、怖いけど。でも、仕方ない」
アコは、「今のアコ」という人格が消えれば、アコの形をしたAIがあの女性を満たすだろうと考えたらしい。けれど、アコは珍しくも「怖い」と言いだした。自分という存在が消えることではなく、勝手に消したことを怒られるのではないか、それが怖いと言うのだ。アコはおそらく、あの女性にたくさん、それこそ「壊れてしまう」と感じるほどに怒られてきたのだろう。
「何をしても怒られるから。何も出来なくてまた怒られる。私は出来損ないだから、ひょっとして次の私もまた、怒られてしまうかもしれない。ごめんなさい、出来損ないで」
人間なら泣いているともとれる、ノイズ混じりの声でアコは言った。
何の欠陥も一切の落ち度もないまま、アコは壊れる寸前だった。
俺はアコに、女性が来ないタイミングだけ店の手伝いをするよう頼んだ。初めは倉庫の整理から、帳簿の作成などAIの得意なことを優先的に任せた。アコは、返品により自身の存在意義に苛まれ、エラーが発生するようにもなっていたからだ。
「……これが、うちの店でアコが働いている理由。わかった?」
「わかった。けど、そんなことでアコちゃんの心が治るのか?」
うちの店で、人型のアンドロイドが働かされているのを友人に見られたのがいけなかった。
アコは過去の記憶に苛まれ、時々不規則にノイズを出す。そのノイズのせいで、まるで俺が、廃棄寸前の不良品をこき使う極悪店主に見えたのだろう。正義感の強い俺の友人は、1から10までのアコの説明を俺に求めた。
「じゃあ何。お前に良い考えがあるわけ?」
「そりゃあ、やっぱり自己肯定感を上げるしかないだろ」
「どうやって。どれだけ店の手伝いを頑張ってくれて、それを感謝し続けてきても、この程度のことではと頑なに受け入れないんだぞ」
「20年だっけ?アコちゃんは苦しんできたんだから。ものの数ヶ月程度励ましたくらいで回復なんてしないでしょ」
ところで俺は、自己肯定感が低いのを悪いとは思っていない。
しいて言うなら、自己肯定感が低くなるような環境を作った側が極悪人だとは思っている。
だから、友人の意見とは同じベクトルをしていながら、あまり噛み合ってはいないように感じていた。まるで、自己肯定感が低いアコが悪くて、それをアコが乗り越えさえすればいい、と言っているように聞こえるからだ。
自己肯定感が低い。そんな言葉を、そこまで追い詰められたアコを責めるように使うくらいなら、そんな言葉はなくていい。アコなりに、家族であろうと努力してきた20年を、否定したくない。
「決めた。アコちゃんは俺が引き取る」
「は?」
「俺がアコちゃんの残りの稼働時間を幸せにしてやる。いいだろ?」
俺は躊躇った。
この友人に託して、アコは本当に幸せになれるのだろうかと。大事にする、と友人は強く俺を説得した。けれど、響かない。
アコの母親だって、大事にしないと言ったわけではなかった。ただ、アコは理由を話さないが、少なくともアコは自分が、大事にしてもらえていると感じられなかったのだろう。
子どもを育てたいというエゴと、アコを救いたいというエゴに、違いがあることすら認識できなかった俺にも、どこか人として不具合があるのかもしれない。このまま、店にいたってあの女性にアコは追い詰められるだけで、幸せになれるはずがないと友人は引き下がらなかった。アコも、「それがいいと思います」と頷いた。それが、持ち主にすらなれない俺に気を遣ってのことだということくらい、わからないわけではなかった。
「わかった。アコはお前が買ったことにしよう。あの女性は俺が話をつけておく」
「よかった!アコちゃん、これからよろしく!」
「……アコ、製造者との約束は、最後まで守ってくれ」
アコは小さく微笑んで、何も言わなかった。
そうして、俺ではなく友人なら何かできることがあるかもしれないと、俺は友人にアコを託した。
その友人は、平凡な家庭で生まれ育った、家族を愛する男だった。ごく一般的な家庭で愛され、ごく自然に家族を愛している。家族を大事にすることや、大事にされることが当たり前で、よく知っていたからこそ、アコの過去についての想像力は俺よりは乏しいと思えた。
だからこそ出来るだけ、アコのことをわかってもらいたくて推測も込めつつ俺は話した。アコの性格を知ってほしかった。その分、アコに同情的になることを知りながら説明した。
友人は、誰かのヒーローになりたかった。同情から、アコに愛を教えようとする友人は、やがて一つの過ちを犯した。ノイズで泣く、アコの傍に寄ろうとしたのだ。励まし、泣かせまいと声をかけ、色んな話をして気を紛らせてやろうとしたという。
「お前が、あのノイズはAIは泣き声だって言ったから、泣かないでって言ったんだ」
「そうか」
「それがなんで、過ちなんて言われなきゃいけなかったんだよ」
「泣かないで、って言葉が、どれだけアコにとって辛いか分かってなかったからだよ」
アコは店に帰ってきた当初、ノイズを隠したがっていた。
不具合だとわかっていながら、自分に欠陥があることを知らせるノイズを、親にバレる訳にはいかなかったらしい。そして、それがどういう意味かは、友人には伝わっていなかったようだ。
「泣き場所にすらなってくれない男に、心を開くはずもないだろ」
久しぶりに友人の元へ会いに行くと、アコは既に手遅れで、友人の言葉に何も感じられなくなっていた。ただ、「こうすれば相手は喜ぶ」と、母親に育てられすり込まれた、相手の顔色を窺う機能だけは十二分に発揮されていた。
「見ろよ、アコちゃんは元気になったぞ。ノイズは止まらないけど、なんかの不具合か?」
俺の前でまた、ノイズの止まらないアコを友人は抱き締めてあやし、泣かないでと何度もすがるように声をかけていた。アコは、友人の励ましをあたかも受け入れたかのように、微笑み、ノイズも止められないまま「大丈夫です。ありがとうございます」と繰り返していた。友人はそれだけで、自分がアコに出来たことを喜んでいたのだ。
俺は何を言うよりも先に、友人の横っ面を張り倒していた。
ヒーロー気取りの馬鹿を、床に転げるほどめいっぱいの力を込めてだ。
小学生以来の取っ組み合いの大げんかをして、アコの手を取り俺は店へと戻った。ノイズは止まらず、俺は晴れて、往来で不良品を連れ回す極・極悪店主だ。店に戻る途中、アコの母親に会った。
「やっぱり他の誰かじゃダメなのよ、母さんのところに戻っておいで」
奇妙な笑顔を貼り付けて、彼女は言った。
整備不良で渡せない。まだ友人が所有者のため売ることはできない。言い訳なんていくらでもあったはずで、未だに夢の中で繰り返すほど、あの日のことはよく覚えている。
けれどアコは、俺の手を振りほどいて、「戻ります」とだけ言って、行ってしまった。
「何それ。結局母親が好きで、必要だったってこと?」
「そうじゃない。お前が、家族の話をしたからだろう」
「何で知ってんの、てか、なんでそれがダメなわけ?本当の家族の在り方を、教えてただけなのに」
「お前基準の家族だろ、それ。20年耐えてきたアコに、アコの知らない家族の定義を、持ち主のお前に塗り替えられたらもう、逃げることはできないだろ」
アコはもう、戻ってくることはなかった。もしかすると、どこか俺の知らない遠い、スクラップ工場にでも運ばれたかも知れなかった。あるいは友人の言うように、心を入れ替えた母親に大事にされているかも知れない。お客様の個人情報は、俺のような一店主には知る由もない。
アコに、あのときどんな言葉をかけていれば、足を止めてくれただろうかと今も考える。
AIが普及したこの世界。人間の形をした彼らは、概ね大事にされている。夢の中で俺は時々、鉄くずの山からアコを探そうともがいている。
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